若きムラヴィンスキーの『くるみ割り人形』。

mravinsky (1)
エフゲニ・ムラヴィンスキーと言えば、1960年代から70年代、ロシア・ソビエトを代表する指揮者としてクラシック・ファンにはよく知られた存在だった。
ネコパパがクラシックを聴き始めた中学生時代の1970年、大阪万国博の一環として来日が決まった時には、だから大きな話題になったものである。ところが、病気を理由に突如キャンセルとなり、期待していた人々を落胆させた。
実は、キャンセルはこれが初めてではなく、レニングラード・フィル初来日の1958年でも同じことが起きていたらしい。レコード録音が少ないこともあり、「幻」度は、いっそうは高まった。後に分かったことだが、キャンセルの理由は病弱というよりも、ソビエト政府との折り合いの悪さであり、国外に出る許可が直前に取り消されることはままあったようだ。

そんなムラヴィンスキーが初来日したのは1973年。
公演は一部がNHKTVでも放送され、ネコパパもリアルタイムで見た。長身で精悍な指揮姿は威厳にあふれ、いかにも巨匠という感じだったし、音楽がまた個性的で、無駄なく精緻に造形され一音の無駄な音もしない。これでファンはさらに増え、指揮者自身も日本を気に入り、それから1年おきに3度来日するという、今思えば異例の事態になった。ネコパパも5回目の来日がアナウンスされた時、ついにチケットを入手したのだが、公演はキャンセル。前回1979年来日時にレニングラード・フィルの楽員が亡命し、その責任を問われたためというのは、後にわかったことである。次のチャンスは二度とこなかった…
そんないきさつもあって、ムラヴィンスキーの録音には思い入れもあり、没後、じりじりと発掘されて数も増えていったCDをかなり購入し、愛聴盤も多い。

そこで今回紹介するのは、ムラヴィンスキーの指揮した、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』抜粋。
これは1975年に発売された、2度目の来日を記念して限定発売された出されたLPの一枚だ。録音は1946年と、大変古いもの。
PXL_20230217_123828562.jpgPXL_20230217_130215308.jpgレーベルは「新世界レコード」。発売はビクター音楽産業。当時ソビエトで収録されたクラシック録音と言えば、このレーベルだった。ごらんのとおりのローマ字表記。今見ると懐かしいし、珍しい。
由来は、神田神保町にあった「新世界レコード社」。ソビエト、東欧の輸入盤を扱う輸入会社だった。そこが自社制作の国内盤の製作を始め、プレスと委託販売を日本ビクターに依頼したことが切っ掛けとなり、やがて同社の「ビクター・ワールド・グループ」という洋盤販売部門に編入され、多くのソビエト録音が「新世界」盤として発売された。西側諸国では珍しいことだったそうである。のちにビクターはこれをソビエト本国のレーベル名「メロディア」に変更している。

ムラヴィンスキーのレコードは「新世界レコード」の売れ筋の一つだったが、1973年の来日時に、同社は既出のモノラル録音をすべて1000円盤として再発売した。これでもう、出すものはないと思っていたが、75年の二度目の来日を機に、まさかの国内初発売の盤を9枚も出してきたのである。
演奏はすべてレニングラード・フィル、録音は1946~1952年という短期間に行われていた。『くるみ割り人形』はその中でも最も古い録音にあたる。
そして9枚の中で、ネコパパが入手したたった1枚が、これだった。

参考までに、matsmoさんのホームページから、この時発売された盤を引用しておく。

ビクター音楽産業「ムラヴィンスキー名演シリーズ:第2期
(限定盤,1枚1300円)

MK1073 ベートーベン:交響曲第4番 交響曲第5番
MK1074 ブラームス:交響曲第1番
MK1075 チャイコフスキー:舞踊音楽「くるみ割り人形」[ハイライト]
MK1076 チャイコフスキー:舞踊音楽「眠れる森の美女」[ハイライト]プロコフィエフ:「ロミオとジュリエット」第2組曲
MK1077 ハイドン:交響曲第101番 グラズノフ:交響曲第4番
MK1078 モーツアルト:交響曲第39番 交響曲第33番
MK1079 ウェーバー:舞踏への勧誘(ワインガルトナー編) ラヴェル:「ボレロ」ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲
リスト:メフィスト・ワルツ
MK1080 プロコフィエフ:交響曲第6番
MK1081 ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

ムラヴィンスキーはこの『くるみ割り人形』で、独特の選曲をしている。
通常よく演奏される「組曲」に含まれる曲目は「花のワルツ」だけで、あとは、ドラマティックな場面を大きく切り取って演奏しているのだ。
A面にはクリスマスパーティが終わった深夜に繰り広げられる、ねずみの大群とくるみ割り人形率いる人形の兵隊との戦いとその決着、くるみ割り人形が少女クララとともに、お菓子の国へ旅していく場面転換の音楽が続けて入っている(第6曲~第9曲)。B面では間奏曲的に「花のワルツ」が置かれ、あとは全体のラストシーンに当たるスケール感のある曲(第14曲a、第15曲)が演奏される。
有名な「行進曲」や「葦笛の踊り」や「金平糖の踊り」などが含まれていない選曲に、はじめて聴いた時は当惑したが、なるほど、ムラヴィンスキーはこの曲を「交響曲」として演奏したいのだなと考えると腑に落ちた。『くるみ割り人形』の本当に優れた音楽は「組曲」に含まれない部分にこそあるのだ、ということに、このLPは気づかせてくれたのである。

演奏は、一聴して骨太で荒々しく、いかにもロシアのオーケストラの印象であり、1973年の来日公演で披露したベートーヴェンやショスタコーヴィチのような、精妙なイメージからは遠い。
けれども、弦楽器、特にヴァイオリンの響きにじっくり耳を澄ませると、やはりそこには、ムラヴィンスキー独特の音楽の世界があった。
第6曲のハープのアルペッジョに見え隠れするヴァイオリンのデリケートな強弱の付け方からして指揮者の目が光っているし、戦闘の場面も音自体は重いが、動きは俊敏、そして場面転換が「雪片のワルツ」に至る部分での細かい音の動きの繊細さと音色の多彩さ。ハープの大胆な音の浮き沈み。本来なら加わるはずの女声合唱はいないが、巧みな楽器のコントロールであたかも人の声のような響きを作っていることには驚かされる。
唯一「組曲」に含まれた「花のワルツ」も個性的だ。冒頭のハープのカデンツァが楽譜にない音型を描くのがまず驚きだが、表情の妙は中間部。音の波が押し寄せるような部分の反復で、前半ぐっと音を弱め、後半で大きくクレシェンドすることで凄いスケール感を与えているのだ。続く第14曲aは『悲愴』交響曲のフイナーレを思わせるような、切々とした弦の歌を聴かせる。ここは「雪片のワルツ」と並ぶ、当盤の白眉かもしれない。

ムラヴィンスキーはこの曲のセッション録音をこれしか残していないが、演奏会では頻繁に取り上げていた。
演奏記録によると、5番目に多い演奏回数だったという。現在ネコパパの手元には、ライヴ録音のCDが三種類あるけれど、曲目はいずれもこのLPから「花のワルツ」を抜いた6曲。つまり、一層辛口の選曲である。せめて「花のワルツ」くらいは演奏してくれてもよかったのに。

さて、この録音には、後日談がある。
ムラヴィンスキーの死後「未発売テイク」が発掘されたことだ。1998年、メロディアが一時BMGと契約していた時期に「メロディア未発表録音集第2巻」として発売された4枚組CDにそれは含まれていた。録音時期は1946~48年。「行進曲」「葦笛の踊り」「中国の踊り」「金平糖の踊り」など、おなじみの6曲である。これで既出のものと合わせて13曲が「ムラヴィンスキーのくるみ割り人形」として聴けるようになった。
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ただこのCD、契約に問題があったらしく、あっという間に廃盤になってしまった。
これをあらためて再発売したのは、独プロフィールという、ドイツの放送局保有のテープを復刻しているレーベルである。ドイツの放送局保有というのも不思議だが…2016年に発売された6枚組CDに含まれていた。
またも、セット物!
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そして、2022年。この音源から『くるみ割り人形』とモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲をピックアップしたCDとLPが、キングインターナショナルから発売された。
ようやくの単売である。
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1940年代のソビエト音源を使って、15000円もするLPまで作るというのは、販売者のよほどの思い入れがあってのことだろう。
ネコパパはちょっと興味は感じていたものの、買おうとまでは思わなかった。
幸い、NMLにはアップされている。いつも無料で利用させてもらって申し訳ないとは思いつつ、そっくり拝聴させてもらった。
思ったより良好な音質で、ダイナミックレンジはひどく狭いものの、中音域中心のごつくて音像の大きいモノラルサウンド。ただし、リバーブをかけて音を膨らませるのはこのレーベル独特のリマスターで、好みは分かれそうだが…

新発見の6曲が加わると、全体が一層多彩で、面白いものになる。それは間違いない。
ただ、これらの曲の演奏は、既出曲に比べると普通で、ムラヴィンスキーの特別な表現が聴けるかというと、そこは微妙。いったんは13曲を収録したものの、曲を絞り込んでレパートリーを固めた彼の気持ちもわかる。
これからは、折に触れて両者を楽しむことにしよう。

<付記>

この記事を書いたきっかけは、名古屋の某中古店で「ムラヴィンスキー名演シリーズ:第2期」9枚のうち6枚を入手したことである。
価格は1枚110円。
当時は初回限定発売、しかもオイルショックの最中でプレス数も少なかったらしく、中古店でもめったに見ない上に、その後の再発売もほとんどない音源が含まれているので、喜んで入手したのである。
欠けていたのはブラームスの1番、プロコフィエフの6番、ショスタコーヴィチの8番。「くるみ割り人形」は確信犯的にダブリ買いした。
ベルリオーズ/ワインガルトナー編「舞踏への勧誘」とか、演奏時間17分18秒の「ボレロ」とか、とにかく個性的で面白い。これらについては、いずれ稿を改めて。

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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