『はだしのゲン』が、広島の平和教材から削除される。

PXL_20230216_234747374.jpg
朝日新聞 2023.2.18

2013年から広島市の小中高で使用されている平和教育教材「ひろしま平和ノート」から、資料として紹介、または引用されていた中沢啓二の漫画『はだしのゲン』が削除されることが決まったという。
img_4f6ab4622777e5dd5d8a3e9d5ce194536023380.jpg
記事によるとその理由は「被爆の実相に迫りにくい」ことで、理由としては(登場人物たちが浪曲を歌って生活費を稼ぐ場面で)「浪曲は今の児童たちになじまない」こと、(母親に栄養をつけるために金持ちの家に忍び込み)コイを盗む場面は誤解を与える恐れがある、というものだ。短い記事なので、他にも意見があったのかもしれないが、大衆文化のありようが現在と違うことや、現在からみれば犯罪行為とみなされる行為を容認するような場面があることで「被爆の実相に迫りにくい」と結論付けるのは、いかがなものだろうか。

歴史的な事実を伝えることは、当時の社会、文化状況込みで伝えることで、もちろんそれを教室で行うには、教師の準備や力量が必要なのは当然のことだ。
広島市の小中高の教員たちがすべて「年間3時間」の授業を、1年も欠かさず行っているとすれば、それは教師にとっても、市民にとっても大変有益なことと思われる。しかし広島市教委は「教員や大学教授を交えて議論を進めてきた結果」『はだしのゲン』を教材から削除することを決めたという。それも19年度から議論してきたというから4年間も。その結果がこういう理由だというのは、ネコパパにはちょっと納得がいかない。

『はだしのゲン』は、執筆からすでに50年を経たもので、現在の漫画の水準からみれば、子ども読者には違和感を感じる作品かもしれない…とは思う。
しかし、被爆者自身の手になる作品として、これだけリアルに「被爆の実相に迫る」力のある作品は多くない。もしもこれが「実相に迫りにくい」とするなら、これに代わる、いっそう適切な作品を教えてほしい。
その意味で「ひろしま平和ノート」の新版が、これに変わってどんな作品を取り上げるつもりなのか、あるいはもう、この種の作品は取り上げるつもりはないのか、知りたいものである。代替教材の内容は、記事だけでははっきりしないが「娘が語った内容」という点に一抹の不安を感じるのは、ネコパパだけだろうか。

新聞も、この記事を出しっぱなしにしないで、問題提起も含めた継続取材を行っていただきたいと思う。

さらに蛇足を言えば、この「年間3時間」が広島市の学校だけで行われているという実態も、ネコパパの目には奇異に映る。原爆を中核とした平和教育は、広島だけの問題ではなく、日本の問題として行うべきことだからだ。
原爆が「広島の問題」として扱われている限り、それはどうしても「被爆」という言葉が内包している「被害者」の視線を超えることができにくいようにも思う。
親思いで、情に厚い、犯罪には全く無縁なはずの主人公であるゲンが、なぜ「コイを盗む」という「犯罪=加害」を行わなければならなかったのか、それをさせたのは誰か。そこを避けて通らず、問いかけ、教師と子どもが同じ目線で考える。例えばそんな語り合いによってこそ、「平和教育」の扉はわずかに開かれるのではないか、とネコパパは考える。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメント(4)
反対です。
役人はセンスが鈍い人種なのでしょうか?

継続して使われることを望みます。

不二家憩希

2023/02/18 URL 編集返信

なるほど、こんなことが…。
そんなことが起こっていましたか‥‥と申しても、私は『はだしのゲン』は読んでもおらず、学校における「平和教育」云々の印象もほとんどありません(兵庫県。これは私が長期不登校だったためもあるでしょうけれど)。

> もしもこれが「実相に迫りにくい」とするなら、
> これに代わる、いっそう適切な作品を教えてほしい。
ある種 政治的な“勘ぐり”になってしまいますが、そもそも戦争の「実相に迫」ること自体を、“めざさない”志向を読み取ることができます。

> 「被爆」という言葉が内包している「被害者」の視線を超えることができにくい
重要なご指摘ですね。まずは、「「被害者」の視線を超えること」を暗に抑圧し、さらにはその「「被害者」の視線」をも希薄化・形式化してゆくこと、これが戦後日本の政府・行政も市民も「平和国家」、「民主主義」を唱えながらの深層心理だった、のでは。

ご紹介の 高橋源一郎『ぼくたちの戦争なんだぜ』を通読しました。
印象に残ったのは、285頁あたりから述べられる、統合失調症、猫田道子、それから『野火』の世界。これらが描き出す「「遠い」存在」(299頁)は、著者自身が違和感を抱きつつ、同書内でも消化しきれていないような印象を持ちました。
戦争が、この「遠さ」を突然もたらす、その「実相」を教育で取り扱うなど、先生たちにとってはある意味 とんでもないヴィルトゥオジティ=達人芸を求められるようなことでもあろうか、と思います。
とりとめない雑感にて失礼します。

へうたむ

2023/02/18 URL 編集返信

yositaka
Re:反対です。
不二家憩希さん
役人というか…
こういう副読本の編集には、現場教師が駆り出されることが、私の経験では多いのです。私自身も副読本の編纂を手がけました。
教育委員会も、実働隊の学校教育課のメンバーはほとんどが現場の教員です。
彼らは決して感覚の鈍い人たちではなく、学校現場で実績を上げている優秀教員も多い。しかし熱心な教師も、役所に出向するとなかなか思い通りには動けなくなる。教育の組織というのは、厄介な構造になっているのです。

yositaka

2023/02/18 URL 編集返信

yositaka
Re:なるほど、こんなことが…。
へうたむさん

戦争の「実相に迫」ること自体を、“めざさない”志向というのは、すくなくとも教育現場ではないはず、と現場にいた私としては、思いたいところです。
熱心な実践家、特に社会科の教師と話をすると、歴史的な事柄については指導書や指導要領にとらわれず、自分できちんと調べて授業をされている方が多かった。教育は結局、教師個人の判断に負うところが大きく、教師が変われば指導方法もまるで変わります。
指導要領の文言も、無数のグラデーションをもって解釈されるので、締め付けの多くなった現状でもやりようはあると考えています。「達人芸」などない、教師のちいさなつぶやきや仕草であっても、何かを読み取る伝わる子どもは、きっといるはずです。

yositaka

2023/02/18 URL 編集返信

コメント投稿
非公開コメント

プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

ご訪問ありがとうございます

月別アーカイブ

検索フォーム

QRコード

QR