ポーの一族、全員集合。

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小学館 2023.2.14

1970年代前半、ネコパパに少女漫画の愉しさを教えてくれたのは萩尾望都の作品だった。
彼女の代表作『ポーの一族』は永遠の時を生きるバンパネラ(吸血鬼)の少年、エドガーとアランの二人が悠久の時を旅して多くの出来事に出会い、いわば「生きざる者」の目によって「生きうるもの」の存在理由を照射しようとする物語だ。
普段は人間社会に隠れ棲み、正体が露見すれば、相手を殺すか塵と化すか、運よく生き延びたとしても、存在はあまりに希薄なふたりの旅が続く。
描き始められたのは1972年。そして、いくつかのエピソードの「積み残し」は感じさせつつも4年後の1976年「エディス」で完結。「相棒」アランの死を示唆する終わりだった。

まさかの執筆再開は2016年。40年の歳月は萩尾の絵柄を変え、はじめは違和感もあったがやがて初期シリーズとの緻密な関連と、いまだから描ける新展開が無理なく繋がり、作品世界は初期を超えるスケール感を持つようになる。「エディス」以前のエピソードから始め、時代を前後しながらひとりひとり「役者」をそろえてきたのが本書までの展開。初期シリーズが吸血鬼の少年二人の孤独な旅とそれにかかわる人々の人生を描くローファンタジーだったのに対して、新シリーズは吸血鬼に属する一族が続々登場し多彩な「バンパネラ・ファミリー」が語り演ずるハイファンタジーなのだ。

本巻から始まる「青のパンドラ」のエピソードは、その集大成というか、ことによると、フィナーレになるかもしれない構想で書かれていくのかもしれない。
消滅を目前にした状態で保存されたアラン。
瀕死の状態になりつつも、なんとか生を繋ぎとめてアランの蘇生を願う主人公エドガーを軸に、初期作品では、たったの数コマしか登場しなかった、ポーの一族の祖、キング・ポーがついに主要人物として登場し、四千年にわたる一族の歴史と、不死の秘密、一族分裂のきっかけとなった確執についても語られていく。

チリのように消滅しない限りは、不老不死のポーの一族は、時間の概念が曖昧で、常に「今」の連続だ。
そこを象徴する素敵な場面がある。
エドガーとアランがミュンヘンのマリエン広場で語り合う回想場面。ネコパパも観光した、ミュンヘン市庁舎にある古いからくり時計の前で、二人は時間について会話する。アランはからくり時計が好きなのだ。

「あの時計塔の人形が動くところ、面白いなァ。何百年も大切にされているんだ…今でも動いてる…いいな」
「そうだね ぼくも好きだよ」
「エドガーが好きなのは壊れた時計だろ」
「壊れたのも好きだけど動くのも好きだ」
「針はただ動くだけじゃん」
「針が動くと時間が動く 時間は目に見えないのに…見えないのに…時は刻まれていく」
 時は流れゆく とどまることなく…
「『ホフマンの舟歌』好きだな」

これは二つ前のエピソード『ユニコーン』に登場した、オッフェンバックのオペレッタ『ホフマン物語』の一曲「ホフマンの舟歌」を受けてのセリフだ、その歌詞は

 過ぎ行く時は 戻ることなく
 慈愛の情も遠く運び去る
 時は過ぎ行く 戻ることなし…

つまり、二人の会話のバックにこの曲が流れている、という趣向。
「壊れた時計」と「動く時計」の隠喩も、深読みを誘う。ほんの数コマのセリフも見逃せない濃厚さ。これこそが萩尾望都の作品を読む醍醐味だ。

一方で、青い壺とか、炎の剣とか、影の馬車とか、初期作品のイメージとは似合わぬ「魔法グッズ」が次々と登場したり、一族同士が、上下関係抜きのタメ口で会話の応報を繰り広げるところは、もはやそれらしくかっこつけなくても、何でも語れる域に達した、萩尾の円熟の技である。
そして隙あらば放たれる痛烈な批判精神。例えば、キング・ポーの愛用する「影の馬車」、時空を超えて疾走する乗り物の姿がなんとも古臭く、時代遅れとからかわれた際の、ニーチェまで引用してのキングの熱い弁舌に、ネコパパ爺は、まさに溜飲が下がる思いだった。

※ちなみにキング・ポーの年齢は4000歳(推定)のようです
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そして最後には、まさに衝撃の展開が…気になる方はぜひご一読ください。
できれば、最初から…

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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