2022年の読書③

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昨年2022年2月、久しぶりに東京に出かけて、明治大学裏手に興味深い建物を見つけた。「明治大学米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館」という長い名前の図書館で、開催されていたのは、ネコパパ「熱愛」の漫画家樹村みのりの原画展である。
図書館の蔵書・資料は、その名を冠した米沢嘉博 (1953~2006)の所蔵品を土台にしている。米沢氏は1980年より「戦後マンガ史三部作」を刊行した評論家で、日本マンガ学会の設立にも参画、1975年第1回コミックマーケット創立メンバーだった。漫画評論の第一人者であり、隆盛を誇る二次創作同人誌マーケットの開拓者でもある、という。ネコパパはその名前は記憶していたが、著書を読んだのは初めてだ。遅きに失したかもしれない。
本書は、氏による本格的な作家論シリーズの第1弾となるはずだったが、急逝によってその計画は惜しくも未完となった。内容は、これまで「二人で一人」で語られることが多かった藤子不二雄を独立した二人の作家として、彼らの表現の発展と進化、『ドラえもん』のFこと「白い藤子」と『笑うせえるすまん』のAこと「黒い藤子」の相関関係を追っていく。
それぞれの作家の膨大な作品が年代順に名を連ねていくのは、それだけで壮観だし、巻末の総合作品リストも資料的価値が大きい。
しかし一方で「評論」として本書を見ると、引用と分析によって実証していくというよりは、「概説としてざっと語る」語りが多く、なかなかモチベーションが持続しない。
読者が既読の作品を思い浮かべながら読めば、それなりに納得できることは確かなのだが、あまりなじみのない読者には困る記述で「読み解かれていく」という手ごたえに乏しいのは残念なところだ。米沢氏の提示したかった「コミック学」は、いまだ全体像をあらわさないままに終わってしまった感が強い。
せめては彼の残した「図書館」が、これを担う場として育っていくことを願うばかりだ。
2023-01-01 (5)
ネコパパは萩尾望都の作品とは50年間、リアルタイムで付き合っている。
この漫画家の枠にとどまらない不世出のクリエーターによって、ネコパパの世界観はどれだけ揺さぶられただろう。そのことの是非はわからないが…
本書は萩尾のデビューから近作までを、出生から年代順に追いながらその作品モティーフの変化を概観したもの。
特に幼少時、漫画への理解の薄い両親との意識の断絶と、双子の主題を好んで取り上げたこととの関係を解き明かしていくところは、興味深く読んだ。また、本書は萩尾が大泉時代の竹宮恵子との葛藤を初めて公にした『一度きりの大泉の話』も視野に入れた初の評論であることも注目される。
この「事件」によって、萩尾の絵柄や作風が大きく変化し「SF」への傾斜を強めていったことや、自身と竹宮を主人公のモデルにした『精霊狩り』シリーズ中断の背景など、これまで触れられることのなかった観点にも光を当てている。
『ポーの一族』『トーマの心臓』といった、少年同士の友情をファンタジー世界を背景にした初期作品とは違い、『スター・レッド』や『バルバラ異界』などのSF作品は、時折難解で、ストーリーを追うのが難しくなるところがある(そこが魅力でもある)が、筆者は萩尾を先鋭的なSF作家と明確に位置付け、作品の構造を丁寧に解き明かそうと試みる。ざっと読み流しただけでは気づかない指摘が多く、再読を迫られる。ネコパパは特に音楽をテーマにした『銀の三角』は、もう一度じっくり読みなおしてみなければ…と思った次第。

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筆者の土井信影は、いわゆる実験アニメーションの研究者で、この分野は文学で言えば「純文学」にあたる。
それもあって本書は、一般的な「人気アニメ」とは別の観点で新海作品を考察している、貴重な一冊だ。初期の個人製作作品『ほしのこえ』や、その延長線上にある『秒速5センチメートル』を高く評価する筆者が、『君の名は。』以降の「国民的人気監督」としての新海誠を、必ずしも快く受け止めなったことは容易に想像できるし、それは本書執筆の段階でも十分客体化されていないように思われる。
土井氏は『君の名は。』以前と以降の新海の作品を、はっきり区別して論じている。
キャラクター不在で「美しい現実」そのものを前面に押し出して、主人公を無個性の匿名の存在(土井氏の言い方では「棒線画」)とすることで、鑑賞者の視点と同化させ、孤独感を共有する。この手法を前期とすれば、後期はキャラクターの存在感を一段と増し「現実」に拮抗するまでになっている。この二つの要素の共存する独自の魅力に、人々はこれまでにない面白さを発見した…

ネコパパは息子に教えられて、マイナー作家の時代から新海作品に触れてきた。けれども『君の名は。』で新海の作風が大きく変化した印象はなかった。たしかに結末はハッピーエンドだけれど。しかし、新海の個人製作的な作家性や登場人物の「棒線画」としての性格は、筆者には重大だった。土台とする「現実」をどう見、どう描くかが筆者には大きな関心事だったからだ。日本の代表的なアニメ作家、宮崎駿、高畑勲が「現実否定」によって作品基盤を作るのに対して新海は「現実肯定」によってそれを作る。アニメーションの歴史の中で最も重視される要素だった「動き」を抑制して静的な「風景」を前面に出すのが新海誠の独自性であり、そこが現代に生きる人々とシンクロした。そういいたいように思える。土井氏は概して二元論に持ち込んで論じたい人のように思えるが、そこに違和感もある。
はたして現実とは、否定したり肯定したりするものなのか。高畑勲、宮崎駿は現実に対して「批判の目」は鋭いが、決して否定していわけではない。現実の見方には、肯定・否定よりも、もっと無数のグラデーションがあるのでは…
とはいえ、こうして一つの物差しを与えられると、そこからいろいろな議論が展開できそうだ。その意味で本書は問題提起に富んだ本なのはたしか。ネット読書会に取り上げられたら、ぜひ参加したいな。

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コメント

コメント(6)
土居さんの本
ネコパパさんの読書にはなかなかついていけていません。最後の本、ちょっと読んでみようかな。以前ライトノベルを論じたときに、ライトノベルの特色をキャラクター主義だと一柳廣孝さんが定義していたの気になっていました(『ライトノベル研究序説』)。ライトノベルは小説、映画、アニメ、コミック、ドラマCDなどのメディアミックス展開をするときに、作者がそれぞれ異なり、ストーリーに食い違いがあっても登場人物のキャラクターがぶれなければOKということでしたが、キャラクター不在というのは、このライトノベルの対極にあるということなのでしょうか? なにぶん当該作品群に接していないので、まずは当たってみたいです。

シュレーゲル雨蛙

2023/02/05 URL 編集返信

yositaka
Re:土居さんの本
シュレーゲル雨蛙さん

キャラクターという概念は、一筋縄ではいかないと思っています。

竹宮恵子は自身の漫画講義でストーリーがまずあって、登場人物はそこから必然として生まれてくるものと主張していますが、彼女の作品だけ読むと、どうもキャラクター優先のように見えます。

一方土井氏は、キャラクターは類型化、わかりやすさにつながるもので、高踏的な作品では、人物を抽象化・無個性化することで「現実」が前に出てくる、という考えをお持ちのように見えます。彼がよく使う「棒線画」としての人物とは、そういう意味で、彼は新海誠の初期作品をそういうものとしてとらえているようですが、ネコパパにはそこがいまひとつわからない。きっと勉強不足なんです。

yositaka

2023/02/05 URL 編集返信

竹宮恵子だけ…。
‥‥藤子不二雄も、新海 誠も、ライトノベルも無縁な者です。

竹宮恵子だけ、一時期のめり込んでいました。
『風と木の詩』は単行コミックを全巻揃えて熟読し、記憶がもう曖昧ですが、一ヶ所ストーリー展開に矛盾があったようなのを記憶しています。
『テラ-地球-へ』は朝日ソノラマの大判で所持、これも数度 熟読、アルコールが入った時には、泣けてくることも多々。

萩尾さん、竹宮さんの仕事は、ジェンダーの多様性への大きな刺激にもなったかと思います。
いっぽうで、作画家・ひお あきら氏が「作画協力」したとクレジットされていた、見開きカラーの雄大な、スペースオペラ的雰囲気満点の口絵も魅力で、これを「やはり男性の助力が…」と取りそうになるのは、う~ん、どうなんだろう、と思ったり。

萩尾さんの作品は残念ながら読んでいません。
個性的女流では、岡野玲子『陰陽師』は、全巻熟読しました。活字版原作よりずっと精密で、味わい深いのでは…といいながら、夢枕版原作はほとんど読んでいない…。
岡野版コミックには、「巻物くん」なんていうキャラ(いちおう式神? )がいて、こいつの行動には、『吉備大臣入唐絵巻』を知らないとわからないものがあったり、村上帝の時の天徳内裏歌合の描写は、作者にはそうとうな国文・国史のブレーンがいることも推測され、圧巻でした。

― ですが、漫画は書棚に残ることなく、上記はみな資源ゴミとなりました…。

へうたむ

2023/02/06 URL 編集返信

yositaka
Re:竹宮恵子だけ…。
へうたむさん

竹宮恵子さんとは二度ばかり「大勢の会」でお会いして、ちょっぴり会話もしました。
作品のイメージとは違う、礼儀正しい物静かな人で、和服姿がよくお似合いでした。どこかのインタビューで作品は『風と木の歌』と『地球へ』で、すべて書ききったと話されていましたね。
私も多分そうだと思います。『風と木』はかなり趣味的で共感できる人物がいませんが、『地球へ』の敵役キース・アニアンの造形は良かったし、彼がいたからこの作品は成功したと思います。
そういえばこの作品の構想はもともと第1部だけで、第2部以降は読者の強い要望に応えて書き継がれたのでした。ところがキース・アニアンの登場は第2部からなので、少なくとも本作は、キャラクターありき、ではなかったことになりますね。

岡野玲子さんは1982年デビューなんですね。私の好きな女性漫画家はほぼ70年代から活躍していた人が多く、あとは「縁」で知った人です。岡野作品には「縁」がなく、読む機会はありませんでした。

yositaka

2023/02/06 URL 編集返信

ふと思い出したのは
この時期のこの界隈に、「ささやななえ」という漫画家がいたなぁ…と。
主婦目線の漫画を描くかと思うと、凄く怖い作品もあったなぁ。

私は竹宮様の「ロンドカプリチオーソ」が好きでございました。

ユキ

2023/02/06 URL 編集返信

yositaka
Re:ふと思い出したのは
ユキさん
私の知っているささやななえは、少年少女を主人公に地味な作品を描いていた人という印象です。彼女も萩尾望都や竹宮恵子らと親交の深い作家でした。
現在はささやななえこというペンネームだそうですね。1970年代、ちょっと気になっていましたが、その後視界に入ってこないうちに、だいぶ活躍のジャンルも画風も変わったようです。主婦ものとかホラーは読んでいないんです。

yositaka

2023/02/06 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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