カールじいさんの空飛ぶ家~UP


『カールじいさんの空飛ぶ家』(原題:UP)

■2009年公開
■監督ピート・ドクター ボブ・ピーターソン
■製作総指揮アンドリュー・スタントン ジョン・ラセター
■製作ジョナス・リベラ
■脚本ボブ・ピーターソン ロニー・デル・カルメン
■音楽マイケル・ジアッチーノ
■配給ウォルト・ディズニー・スタジオ


ディズニー映画を映画館に見に行った。いったい何年ぶりだろうか。
「異色の傑作」とのこと。娘・店長の薦めもあり、時間も空いていたので、出かけてみることにした。

カールは、探険家にあこがれ、冒険を夢見る少年だった。
街はずれの空き家で、これまた冒険家のいでたちも勇ましい少女エリーと出会い、意気投合した二人は、いつの日か、伝説の場所「パラダイスの滝」に行こうと約束する。
ともに成長した二人は、やがて結婚。かの空き家をリフォームして、新居に。熱望する子どもには恵まれなかったが、幸せに生き、幸せに老いていく。
約束した「冒険の旅」にはついに出かけないままに…
しかし、エリーは出会いの日にカールに見せた「わたしの冒険ブック」を託して先立ってしまった。
時がたつ。
カールの家の周りは都市開発が進み、高層ビル街になっていた。
老いて階段の昇降もままならないカールだが、妻と暮らした大切な自宅を手放さない。再々の地上げの催促に抗して、ますます頑固になっている。
そんなある日、ふとした原因で傷害事件を起こしてしまい、危険人物として老人ホームに強制的収容されることになってしまう。
家を出る日。
迎えに来た係員の前で、2万個の風船を結びつけた家は、突然空に舞い上がる。
カールと「招かれざる客」ラッセル少年を乗せたまま…


家が空に舞い上がるまでの序盤が、とてもいい。
子どもの時代から、老年までの二人の人生が、テンポよく描かれている。中でも妻エリーの、老いるほどに美しく、輝きを増していく姿や黄昏を見つめる横顔の表情は息を呑むばかりだ。
エリーの死後、頑迷な老人となって家に閉じこもるカールもいい味だ。
二人の思い出のこもる家を手放さず、激情に駆られて杖で人を殴り、大怪我をさせてしまうカールの描写。迫真性がある。
ディズニー映画も、こんな場面を作るのか。
望むならば、カールとエリーの人生の描き方には「ある時代を生きた人間」という観点が欲しかったが…

さて。
家が飛び上がってからの物語は、すっかり、いつものディズニー調に戻っている。つまり、家族向きのエンターテイメント・ストーリー。
決して「ファンタジー」ではない。物語展開のリアリティを保証するのは「世界観」ではなく「徹底的に作りこまれ、効果的に動かされる映像」だから。
ディズニーアニメの定番、可愛らしく頼もしい脇役「物言う動物たち」も登場。
手を掛けた映像で、二万個の風船が一つ一つ、別々の動きをさせているのがすばらしいという前評判だったが、
残念ながら、私はそういうことに目が向けている余裕はなかった。
いっぱい、気になることがあるのだ。

例えば。
その風船を、歩くのももどかしい老人がどうやって調達したのか、三日間しか持たないというヘリウムガスのボンベをどうやって入手し、何日かけて注入したのか、南米までの空路の計算は?そもそも風船二万個で持ち上げ可能な重量は…
カールはそういうことを得意とする職種、技能を持った人だったのか?そんな伏線は見当たらないが。そもそもカールの職業は。
こんな疑問を持つ私を、野暮と言わないでほしい。
「ファンタジー」の構築とは「説得」である。
説得力のない空想は、多くの場合「絵空事」である。
人は映画に何を求めるのか。人生、生きるに値するとの励ましであり、実感であり、幸福だろう。いかに深刻な、救いのない作品だったとしても、製作者のねらいは「人生の伴走者たる作品」ではないだろうか。
苦しいこと、辛いことばかりの多い人生、「絵空事」では生きる支えにならない。一時の気晴らしにはなっても…と私は思う。
悔しかったら、私を説得して見せなさいね。

まあそこは「ディズニー」。商品としてのネヴァーランドを作る企業の仕事。期待するほうが間違いかも。楽しもう。
だが、結末はどうしても、疑問だ。
ハッピーエンドなのは当然としても、家が飛び立つ契機となった序盤の事件(老人ホーム送致処分)の決着をつけないままに終わらせている。まずいのでは。
もうひとつ。この結末からは「カールがエリーとの幸せだった過去を振り切って、新しい人生に旅立つ」物語と読めてしまう。過去の呪縛から自分を解き放ち、新しい人生を歩みだす物語だ。エンドタイトルに、エリーの姿が出てこないのも、それを裏付けているように思う。
でも、いいの?若いならいざ知らず、カールの人生はもういくらも残されていない。衰えた肉体も思うに任せない。その彼に、人生を「清算」し、人はいつからでも生きなおせる…などというのは、
寂しすぎる。


石原千秋は「テキストはうそをつかない」として、「読み取って構築するのは読者の仕事」だとしている。
試みに、私なりの「読者の仕事」をしてみよう。物語の真実が見えてくるかもしれない…。

カールは、傷害事件がもとで、老人ホームに収容された。
エリーと住んだ家は、まもなく取り壊された。
その跡地を目にしたカールは、生きる意欲をすっかり喪失する。もはや行くところも、帰るところもないのだ。
老人ホームのベッドで寝たきりとなり、記憶は混濁し、意識は失われてゆく。そんな中で、カールは夢を見る。
老人ホームからの迎えの車が到着するや、たくさんの風船をつけたあの家が空高く飛上がり
昔エリーと夢見た「パラダイスの滝」へと向かっていく夢だ。そこで彼は「冒険」する。冒険の内容は、少年時代通い続けた映画館で熱中した、荒唐無稽な、冒険映画が原型だ。人跡未踏の隔絶した秘境で、絶滅したはずの巨鳥が実は生きていた。それを守ろうとするもの、追い求めようとするもの、その追跡と闘争が、はてしなく繰り広げられていく。
カールの夢は、いつまでも、いつまでも醒めない。
それは「夢オチ」のない、永遠の夢…

「冒険」って、なに?

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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