日本最古のオーケストラの足跡がここに。

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あるむ 2021.11.27
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本書は「日本最古のオーケストラ」の誕生と変遷をたどる貴重な一冊です。
実はネコパパ、本書の出版記念会に呼ばれて、スピーチを仰せつかったのですが、なにしろ実際に手にするのは記念会の当日。中身はその少し前に、出版人の一人、勝原オーナーにざっと見せていただいただけです。それでも貴重さはわかったので「これ、すごい本ですね」とつぶやいたのが運の尽き。
で、ネコパパはなにをしゃべったのか。スピーチの草稿をお読みいただきましょう。

■「音楽隊」から「管弦楽団」へ

現在も渋谷を拠点に活動を続けている東京フィルハーモニー交響楽団は、ウィキによると「日本最古のオーケストラ」と書かれています。え?NHK交響楽団じゃないの?
まずその疑問から始めましょう。

ウィキによると、当団の前身は明治44年(1911)設立の「いとう呉服店少年音楽隊」。団員12名。編成はホルン、フルート、クラリネット、コルネット、バリトン、チューバ、大太鼓、打楽器、他に持ち替えでヴァイオリンとチェロを演奏するものがあったという説もあります。少年というだけあってメンバーは12歳から14歳の少年でした。楽長は海軍軍楽隊出身の沼泰三。開店1周年を記念して結成されたもので、それには2年前設立された三越少年音楽隊の影響があったらしい。
こうした百貨店楽団の結成は当時ブームとなり、翌明治45年には大阪三越、京都大丸が、大正期にはいづも屋、大阪高島屋が同様の楽団を結成。しかし関東大震災を機に急速に下火となり、先鞭をつけた三越は、早くも大正14年には解散。他の団も長くは続きませんでした。
しかし「いとう呉服店少年音楽隊」は継続しました。
結成の翌年には、上京して上野の店舗で演奏し、以後は上京のたびに、東京派遣海軍軍楽隊院の指導をうけています。指導者の中に、のちの楽長、早川弥左衛門の名があります。彼はヴィオラ、ヴァイオリンの指導者で、海軍軍楽隊には陸軍とは違って、弦楽セクションもあったのでした。これが大正2年(1913)団に弦楽セクションを加えるきっかけを作ります。そして翌大正3年(1914)、音楽団は「管弦楽団」へ進化します。

■そのころ、東京では

そのころ、東京では大正4年(1915)三菱財閥の総帥、岩崎弥太郎が山田耕作を指揮者に迎え、東京フィルハーモニー協会を設立しています(この時点で「いとう」が1年先行)が、これは短期間に潰え、次の東京でのオーケストラ活動は、大正14年(1925)の日本交響楽協会を待つことになります(「いとう」が11年先行)。これは山田耕作、近衛秀麿の協力で設立されたのですが、二人の関係は水と油で、翌15年(1926)分裂し、メンバーの大半は近衛率いる「新交響楽団」へ移動。(「いとう」が12年先行)これがNHK交響楽団の母体となります。以上の根拠から、やはり「日本最古のオーケストラ」は「いとう呉服店少年音楽隊」と考えるのは妥当でしょう。

さて大正13(1924)年、つまり「いとう呉服店少年音楽隊」が本格的な管弦楽編成に移行した、まさにその年、この『発掘レトロ音楽館』の主人公である丹羽秀雄がコンサートマスターに就任します。そして翌大正14(1925)年5月には「松坂屋少年音楽団」に改称。以降、NHK名古屋放送に定期出演。さらに同じ年、沼楽長が胃癌で死去、二代楽長として就任したのがあの早川弥左衛門でした。昭和2年(1927)音楽団に若手有志も加えた交響楽団である「松坂屋洋楽研究会」も発足します。

■八面六臂の活躍

昭和3(1929)年には「名古屋交響楽団」を併称し、御園座、名古屋市公会堂を拠点に演奏活動を展開します。昭和5(1930)年には山田耕作が指揮台に立ちました。
昭和6(1931)年には「松坂屋管弦楽団」と改称。
さらに昭和8(1933)年には「松坂屋シンフォニー」と改称。
昭和11(1936)から「中央交響(管弦)楽団」も併称。昭和3年来の「名古屋交響楽団」の名も継続したので、当時名古屋にはたくさんのオーケストラがあると錯覚した人も多かったことでしょう。
そして昭和10(1935)年から、ツルレコードにレコーディングを開始。名称は中央交響管弦楽団。これが正式に「中央交響楽団」となるのは昭和13(1938)年でした。以後、同団は東京に移駐し、苦闘と紆余曲折の年月を経て、現在の日本最大の規模を誇る東京フィルハーモニー交響楽団になっていくわけです。

■コンサートマスターの貴重な回想

『発掘レトロ洋楽館』は、長年同楽団のコンサートマスターとして活躍した丹羽幸雄氏の回想録をもとに、中日新聞社の長谷義隆氏が、当時の新聞記事などの資料を駆使して調査し、連載記事としたものです。資料のほとんど残っていない、明治・大正・昭和初期の日本のオーケストラ活動の実情をよみがえらせてくれる、貴重な書籍です。
センバツ野球大会で演奏する様子、活動写真館内での演奏風景、高橋悠二、高橋アキの母親で天才少女ピアニストと言われた蔭山英子との共演風景など、丹羽氏所蔵の貴重な写真も満載。
昭和17年、中央交響楽団を退団した丹羽氏は、満州に渡航し、建国十周年慶祝交響楽団、新京音楽団、ハルビン交響楽団でも活動します。ハルビンでは朝比奈隆の指揮でも演奏。
そして満州国崩壊時は、ソ連侵攻の最中、間一髪の逃避行…というこれまた波乱に富んだ日々が語られる。クラシックファンならずとも一読をお勧めしたい、歴史の証言というべき一冊です。

10分という時間枠でしたが、ちょっと長めのスピーチになってしまいました。最後に、戦前の貴重なSPがCDになっていますので、そこから1曲お聴きいただきましょう。1936年発売のもので、ブラガ作曲「天使のセレナーデ」演奏も録音も、とても素敵です。

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ぐらもくらぶ G-10025 2016年05月29日
ぐらもくらぶ監修・解説:毛利眞人

東京フィルハーモニー管弦楽団の前身である中央交響楽団の演奏を含むSP復刻盤CD。録音は1935~1937年。

収録曲(作曲者)/演奏:
1. ヴォルガの船唄(ロシア民謡) / 黒田進 (ten)・君島愛子 (pf)
2. 荒城の月(瀧廉太郎) / 高木東六(pf),鈴木喜久雄(vn.), 鈴木章(vla.), 鈴木二三雄(cello)
3. 宵待草(多 忠亮) / ルモンド四重奏団
4. 旅愁(John P. Ordway) / ルモンド四重奏団
5. 天使ガブリエル(James E. Stewart) / ルモンド四重奏団
6. ガボット(Franz Joseph Haydn) / ルモンド四重奏団
7. 水車(Joachim Raff) / ルモンド四重奏団
8. アンダルーゼ(Emil Pessard) / 河村秀一 (fl)・山盛清吉 (pf)
9. 幻想曲(Adolf Terschak) / 河村秀一 (fl)・山盛清吉 (pf)
10. アヴェ・マリア(J. S. Bach - C. Gounod) / 小亀桂二 (vn)・片桐 舜 (pf)
11. ユモレスク(Antonin Dvorak) / 余語仁三郎 (vn)・山盛清吉 (pf)
12. ピアノソナタ No.14 嬰ハ短調 月光 (全楽章)(Ludwig van Beethoven) / 小林 礼 (pf)
13. 天使のセレナーデ (Gaetano Braga)/ 早川彌左衛門(cond) 中央交響管絃楽団
14. 「詩人と農夫」序曲 (Franz von Suppe)/ 早川彌左衛門(cond) 中央交響管絃楽団
15. 舞踊組曲「白鳥の湖」~第一情景(Pyotr Ilyich Tchaikovsky) / 早川彌左衛門(cond) 中央交響管絃楽団
16. イタリー狂想曲(Pyotr Ilyich Tchaikovsky) / 早川彌左衛門(cond) 中央交響管絃楽団
17. 組曲「アルルの女」~メヌエット(Georges Bizet) / 早川彌左衛門(cond) 中央交響管絃楽団
18. 「ファウストの舞踊音楽」~フリイネの踊り(Charles Gounod) / 早川彌左衛門(cond) 中央交響管絃楽団


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コメント

コメント(4)
音楽五十年史(堀内敬三)
近年、早稲田(2013年)をはじめとする全国各地の大学オーケストラが相次いで100周年を迎えていること(「大学」+「交響楽団」+「創立100周年」で検索)、また、堀内敬三さんの『音楽五十年史』に「東京音楽学校の演奏会でどんな管絃楽曲をやったか調べて見ると、シューベルトの未完成交響曲(三十三年五月第一楽章だけ、三十五年十一月全曲)…」(年号は明治)等々の演奏会記録の紹介や、「帝国劇場は明治四十四年三月一日に開場したが、その前から専属女優を養成しており、管絃楽団も四十三年九月に出来て二十名の生徒がユンケル・ウェルクマイステル指導の下に練習をしていた」等の記述があることから、究極的には「最古のオーケストラ」は、常設かつ固定メンバーかどうか・楽器編成・総人数・レパートリー等々による、定義の問題となるのかもしれません。いずれにしても1910年代前後の音楽人たちの意気込みや熱気を想像して興奮せずにはいられないテーマですね。こんな素敵な本の出版記念会でスピーチだなんて、さすがです!

Loree

2022/01/10 URL 編集返信

名古屋大学交響楽団といとう呉服店少年音楽隊
父の遺本名古屋大学交響楽団の「10年の歩み」を読みかえすと初代音楽部長勝沼精蔵氏(後の名古屋大学総長)の「思い出」に大正の終わりから昭和の初めにかけて…17名の学生がバンドを組んで公開演奏をした。・・・その時私は音楽部長であった。…。
大塚弘氏の「むかしはなし」に名古屋には本格的な交響楽団も無く、僅かに松坂屋管弦楽団があったのみです。・・・不足のメンバーは松坂屋から臨時応援を求め・・・松坂屋の多田君、横井君、堀君に教えを乞い・・・等々。
いとう呉服店少年音楽隊は、名古屋大学交響楽団を育てられ東海のクラッシック界に花開いた感があります。
興味深い資料で勝原さんに出版記念会に資料として配ってはとお願いしました。

チャラン

2022/01/10 URL 編集返信

yositaka
Re:音楽五十年史(堀内敬三)
Loreeさん
「いとう呉服店少年音楽隊」を元祖とするなら、メンバーと楽器編成を知らなければならない…という意図でいろいろ検索しましたが、諸説あって確定しません。しかし、他の百貨店と違って弦楽セクションの導入に目を付けたのは確かに速いと思いました。もちろん、背景には東京音楽学校を中心とする音楽教育と文化の広がりがあります。明治大正の西洋音楽導入の過程は同様の問題も含め今後も関心をもっていきたいと思っています。今回スピーチの機会をいただいたのは全くの偶然でしたが、良い勉強の機会になりました。

yositaka

2022/01/10 URL 編集返信

yositaka
Re:名古屋大学交響楽団といとう呉服店少年音楽隊
チャランさん
松坂屋文化というものは、思ったより多くの成果を、地元にも全国にも、もたらしていることがよくわかりました。いろいろな名称で活動したのは、雇い主である松坂屋との金銭トラブルを回避するためだったと思われますが、金食い虫のオーケストラの経費を松坂屋が払い続けたおかげで、藤原義江も歌劇団を維持できたそうですから、国内オペラ文化の育成にも貢献したわけです。
一方で学生オケ、アマチュアオケの活動も名古屋は盛んで、その系譜をたどることも重要ですね。「10年の歩み」はそのための貴重な資料です。今回の記念会では触れる余裕がありませんでしたが、どこかで紹介する機会を持ちたいものです。

yositaka

2022/01/10 URL 編集返信

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Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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