「流行歌」のはじまりを歩く新聞記事。

朝日土曜曜版「Be」に掲載されたちょっと古い記事です。3月20日、連載「はじまりを歩く」、「流行歌」をテーマに取り上げたもので、なかなか読み応えのあるものでした。
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帝国劇場の舞台から「流行歌」は生まれた。芸術座の公演「復活」の挿入歌で、ヒロインのカチューシャを演じた松井須磨子によって歌われたため「カチューシャの唄」と呼ばれた。作曲家、中山晋平のデビュー曲でもある。
当時の日本はレコード産業の黎明期。須磨子の唄は「復活唱歌」としてレコード化されたが、売り上げは2万枚とも2千枚とも。ラジオ放送開始は11年後で流行を実感する状況はなかった。

2010年永嶺重敏著「流行歌の誕生-『カチューシャの唄』とその時代」によれば、開演当初に歌詞が帝劇の廊下に張り出され、それを書き写す人だかりができたという。街頭の演歌師や帰郷した学生による広まりもあった。芸術座の地方公演も活発で、「復活」の上演回数は444回。歌を広げる要因となった…この歌が「流行歌」の始まりであるかどうかは諸説あるようですが、歴史的な重要性は揺るがないでしょう。

記事の後半は芸術座の隆盛と、不倫関係にあった松井須磨子と島村抱月に対する世間の批判とそれを跳ね返すような精力的な活動ぶりに触れ、二人の悲劇的な死についても述べています。放送メディアのなかった時代に、民衆がどのように「歌」を伝えていったか、その多様さの一端を知ることができる貴重な記事でした。

本文とは別に、次のようなコラムも設けられています。
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「復活唱歌」の回転数が78回転ではなく83回転であることにも触れられていて、相当マニアックな記事になっています。オリエント・レコードのアールデコ調レコード袋のデザインも、魅力的です。
ちなみにオリエント・レコードは、大正元年に京都で設立されたレコード会社、東洋蓄音機のレーベルで、詳しいことは不明ながら大正8年に日本蓄音機(のちの日本コロムビア)に吸収されるまで数年間活動を続けたようです。

そして、本記事もふくめて「富士レコード社」の存在感が大きいですね。記者が「復活唱歌」を聴くために持ち主と待ち合わせて同社で試聴したり、コラムでも紹介されています。
コロナ禍のせいもあって、ネコパパも1年半くらい東京神保町には足を踏み入れていませんが、こういう記事があると、すぐにでも出掛けてみたくなります。
神保町に店を構える「富士レコード社」と「レコード社」の二軒は同族会社で、SP盤の品ぞろえは圧巻ですから…まあ、お値段も…


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Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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