『ねずみくんのチョッキ』シリーズと言えば、ベストセラー絵本として名高い。
これを題材にした記事が、朝日新聞に掲載されていた。
たいへん興味深い内容である。
『ねずみくんのチョッキ』という絵本を、今江祥智は、高く評価していた。
発表当時から、あちこちで「絵本の広がりと深まりを示す一冊」として、紹介に努めていた。
しかし、それだけではない。この記事によれば、この絵本の出版の後押しさえしていた、ということになる。
そうだったのか…
そう思った瞬間、ネコパパの脳内時計はすごい早さで巻き戻り、ひとつの光景にさかのぼっていく。
ときは1976年3月、雪深い黒姫山でのこと。
ネコパパは「黒姫絵本の学校」という合宿形式の絵本講座に参加して、あの長編児童文学「山の向こうは青い海だった」「海の日曜日」「ぼんぼん」の作者、今江祥智が、絵本・児童文学について、早口の関西弁で熱弁するのを目の当たりにしていた。
あの日、一夜にして、若きネコパパは「児童文学脳」に「洗脳」されてしまったのである。
今江はそのとき、当時まだ未訳だったアーノルド・ローベルの「ふくろうくん」や、刊行準備中だった長谷川集平のデビュー作「はせがわくんきらいや」、そして邦訳が出たばかりのカニグズバーグ「ジョコンダ夫人の肖像」とともに「ねずみくん」の素晴らしさと先進性について論じたのだった。
「洗脳」の影響は、これでは終わらなかった。
同じ年の11月、ネコパパは、京都の聖母女学院大学で行われた児童文学講座「絵本はいま」にも、参加していた。
この企画の「黒幕」もおそらくは同大の教授だった今江祥智で、そこでは『ねずみくん』の作者、なかえよしを・上野紀子夫妻が、そろって登壇し、第1作「ぞうのボタン」が日本の出版社で認められず、アメリカの出版社を渡り歩いて、ようやく出版できた経緯についても話された。
「ねずみくんのチョッキ」の初版は1974年8月だから、これらの講座は、出版されて1年半から2年後ということになる。
当時の今江の絵本についての論考は、評論集「絵本の時間 絵本の部屋」(1975.9すばる書房)に収められているのだが、同書には「ねずみくんのチョッキ」についてのまとまった言及はない。
ただ、1974年5月発表のトミー・ウンゲラー論の中に「ぞうのボタン」の紹介に続けて「目下製作中の『ネズミくんのチョッキ』」と、書名が出ている。
巻末の「あとがき」では「新しい絵本」のひろがりをもった絵本群、として紹介された6冊のなかに書名が登場する。ただし、ここでは表記がかわって「ねずみくんのチョッキ」(中江嘉男+上野紀子)である。
「あとがき」の日付は1975年7月。
「ねずみくんのチョッキ」発刊の1か月前である。
今江自身がその出版にかかわっているという記述は皆無だが(目下製作中、という言葉が関与を暗示しているかもしれない)、この夫婦作家への今江の肩入れが並々ならぬことを語るのは、この評論集の「装丁」だ。
表紙絵は上野紀子の手になるもの。
表紙だけではなく、3つの賞の扉にはそれぞれ別の上野描く「黒い帽子の少女」のカットがあしらわれている。目次の末尾には太ゴシックで目立つように、ブックデザイン=中江嘉男、装丁・本文カット=上野紀子と書かれている。(ブックデザインと装丁の違いは何か?)
ネコパパには、敢えてこの二人の名前を出し、装丁を依頼することで、二人を何としても世に出したいという、今江祥智の意志、野心を感じないではいられない。
のちに今江は「絵本の時間 絵本の部屋」の増補版として評論集「絵本の新世界」(1984.9大和書房)を上梓している。彼の絵本論の総決算というべき大冊だ。
この本には、さきの本には含まれなかった「上野紀子」の章がある。発表は1976.4となっている。ちなみに初出誌は、すばる書房刊の絵本研究誌『月刊絵本』である。ここでは「ぞうのボタン」「ねずみくんのチョッキ」以下、12冊の書名が挙げられ、夫婦絵本作家の精力的な活動ぶりと作品としての卓抜さをを紹介している。
ここでも、出版のテコ入れをしたはずの今江自身の活動については一言もふれず、あくまで「黒子」を貫いている。注目すべきことは、列挙された書名の中に今江祥智のテクストに上野紀子が絵をつけた『そよ風とわたし』が挙げられていることだ。
今江はこれについて「渡米前に出来上がっていたのに、出版は1年以上もあと」になったと記している。中江・上野が渡米して、各社に持ち込んだ末、処女絵本「ぞうのボタン」を出版したのは1973年のことなので、今江はそれ以前から上野の才を認め、自作絵本の挿画に起用していたことになる。
「絵本の新世界」が出された1984年には、すでに夫妻は売れっ子絵本作家になっている。
「ねずみくんシリーズ」はこの年、第15巻に当たる『とびだせ!ねずみくん』を出版。以後、現在も長く続くシリーズとなっているのは、みなさんもご承知たろう。
それを意識してのことなのか、今江祥智は書名を変更し、装丁もすっかりあらため、彼の処女絵本『あのこ』以来、長くタッグを組み続けた画家、宇野亜喜良にこれを委ねている。彼の役柄は「本文レイアウト・装丁」とされている。
「絵本の新世界」巻末には、「絵本・わたしの百選」と題されたリストが掲載されている。そこには『ねずみくんのチョッキ』も、もちろん、リストアップされている。
ネコパパはこのリストをざっと眺めて、推測してみた。
この中の一割、いや二割は、確実に今江祥智の強い後押しで出版されたもののはずだ。いや、もっと多いかもしれない。
リストが作られてから、すでに37年が過ぎようとしているが、リストアップされた絵本のほとんどは、「絵本の古典」として、今も書店に並び、図書館でも読まれ続けている。
本として「現役」である。
移り変わりが大きく、大方の新刊が3週間で書店の棚から消えると言われる「本の業界」で、これは驚くべきことではないだろうか。
日本の絵本・児童文学作家にして「名伯楽」、ジャンル隆盛の「黒子役」を果たした影の編集者・今江祥智の仕事を掘り起こし、考察することは、この「業界」に関わる人々にとっても「大きな宿題」なのではないか…と改めて感じさせられる。
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コメント
でもさ、だからといって読み聞かせをすると、
後ろの方から「見えなーい」って、必ずブーイングが^^;)
小さいねずみクンを、みんな、見たいからね。
「あとで借りてじっくり読んで」とお勧めしやすい絵本でもあります。
ユキ
2021/06/13 URL 編集返信読み聞かせするには大型絵本でないと難しいですね。
「ぞうのボタン」は不思議といけるんです。最後の「ブランコ」のところも、絵はとても小さい。絵本としては小さいところに意味があるんですが、つくづく、絵本を読むことと読み聞かせることは別のことだと思います。
作家としては大勢に読み聞かせることを意識するとどうしても表現が限定されるので、伝える側にも同じだけの表現力が必要になります。
私は、小さくてもぜひ見せた家があるときには、子どもたちの近くに寄って、ざあーっと、全員が見えるように見せて回る、ということを、よくしました。
yositaka
2021/06/13 URL 編集返信