児童文学史に重要な足跡を刻む資料の発見。

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創立75周年記念号とのこと。今も昔も決してメジャーとは言い難いこの分野で、最も着実に、ここまで途切れずに継続されたことに敬意を評したい。

さて今号の重要記事は、藤田のぼる氏による「七十五周年記念資料集編纂にあたって~文書は語る・文書は生き続ける」である。
これまで協会は「児童文学の戦後史」(1978・東京書籍)と「戦後児童文学の五十年」(1996・文溪堂)の二冊を刊行しているが、75周年にあたっても、散逸の恐れのある未完の資料類を整理して刊行する必要を感じ、企画を立ち上げられたということである。当記事ではそこで取り上げられる予定の資料をいくつか紹介しているのだが、これがちょっと、ネコパパには驚くような内容なのだ。

まずは児童文学者協会の「綱領」の出自があきらかにされたこと。
たたき台が児童文学者協会の少し前に結成された「新日本文学会」の綱領であることは以前から知られていたことらしいが、実際にはどの文言がどう生かされ、また変更されたのかを、藤田氏は今回はじめて具体的に検証された。
氏によれば、「新日本文学会(新日文)」は平野謙、小田切秀雄ら雑誌「近代文学」に拠る人々によるプロレタリア文学の流れを汲む団体で「民主化運動」を文学で体現しようとする政治的色彩の強い団体だったらしい。日本児童文学者協会の事務局は当初この「新日文」の事務所に間借りしていたそうである。「間借り」とは微妙な言い方だが、要は児文協というのは新日文の傘下、あるいは下部組織のようなものだったととらえていいのだろうか。

記事では、両団体の綱領の全文を掲載して比較しているので、興味のある方は記事そのものをご覧いただきたい。簡潔に違いをまとめると、「新日文」綱領が政治運動の色彩が強い文言なのに対し、「児文協」のそれは、政治色を和らげた表現になっている。
例えば、第1項で新日文が「民主主義的文学の創造とその普及」をうたい、第3項で「反動的文学・文化との闘争」を掲げるのに対し、児文協では「民主主義的児童文学を創造し普及する」として第3項に当たる内容は挙げられない。
藤田氏も指摘されているように「な」を加える事によって文学の内容がより柔軟で多義的なものとなる。新日文の明記する「進歩的文学」と「反動的文学」の文言を、児文協綱領では採用していないのも、これと関連しているだろう。
児童文学者協会が、時代の刻印でもあった「政治闘争的文言」を綱領として掲げるのを避けた背景には、そうした政治性が児童文学というジャンルに馴染まないという意識があったからだろうと思われるが、同時に、戦時中戦意高揚の作品を書き続けた多くの会員たちの屈託もあったことが想像される。ある意味「逃げを打った」と見ることも可能だろう。結果論ではあるが、そうした姿勢が、対立・分裂・解散の道をたどった新日文の轍を踏まず、今日まで組織を維持できた理由でもあった、と言うこともできそうだ。

そして、さらに重要な新資料の発見がある。
『児童文学者の戦争責任』に関する粛清委員会による覚え書」である。
1946年3月17日の創立総会で決定された議案に「児童文学界における戦争責任の明確化及び戦責出版社七社への不執筆動議」(堀尾幸平「新日本児童文学論(2002・中部日本教育文化会)」によると、提案者は奈街三郎)があった。この決定を受けて委員会が発足させたのが「児童文学粛清委員会」である。メンバーは本記事によると「秋田雨雀、江口喚ら8名」という。
この件は関英雄が「体験的児童文学史・戦後編」のなかで、共同でリストを発行した日本童画会との示し合わせによって未公表となった、と述べているそうだ(ネコパパの蔵書に「体験的児童文学史・前後編(1984・理論社)」はあるが、記述は戦中までしかない。全部は刊行されなかったようだ)。
その理由は、会員で戦争中多少なりとも戦争協力の作品を書かなかったものはなく、それは自己批判と反省に帰すべきであるというものである。
総会で議決され、委員会まで発足させているのにどう言い訳したのか、ともかくリストは未公開となった。

一方、児文協の「上部組織」であったとおぼしき新日文は、児文協創立総会の12日後の3月29日に東京支部創立集会を開催し、その場で25人の「文学における戦争責任者」が小田切秀雄によって指名されたという。
こうした容赦ない追求の姿勢が、闘争と分裂を生み、やがて組織の瓦解にもつながっていったと思われるが、それは日本の近代文学が主体性を回復するためには一度は通らなければならなかった道であったはずだ。幸か不幸か、児童文学者たちはそれを「なかったこと」にすることで、分断を未然に防ぐことはできたが、戦争責任の追求は中途半端なまま過ぎてしまったと言えるのかもしれない。

ところが、そのリストが「覚え書き」という形で残されていたのだ。

今回ネコパパは、この記事に触発されて野上暁「児童文学の現代へ」(1998・パロル舎)を改めて読み直した。これは戦後児童文学の戦争責任や、作家主体の問題を精査した、画期的な論考である。
野上は戦後期、児童文学者が戦争中の執筆姿勢を作家主体の問題として検証するのを避け、また古田足日ら「現代児童文学」の出発点となった「少年文学宣言」周辺の新しい世代の書き手たちも、戦争責任については直接の言及を避けたことを指摘している。
しかし、1946年という終戦直後の年に、実際に「直接の言及」に動いた事実があったのである。
藤田氏によって近く刊行予定の「資料集」では、どこまで公表されるのだろうか。
戦責文学者、戦責出版社に指定されたリストはもちろん、8名の粛清委員会全員の氏名、委員会議事録、そして出来ることなら、リスト作成の動議を提出した奈街三郎の思いや提出するまでの経緯をわかる限り詳しく公表していただきたいと思う。
奈街自身、戦意高揚作品の創作には関わっている事実もあり、こうした提案には「身を切る」覚悟を必要としたはずだからである。

いずれにせよ、児童文学史に重要な足跡を刻む資料になるのは間違いないだろう。



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コメント

コメント(4)
戦争責任問題
うーむ。昭和21年というのは、やはりかなり難しい年ですね。先に高見順『敗戦日記』『終戦日記』を読んだことを拙ブログに掲げました。前者は昭和20年、後者は昭和21年の日記です。高見はプロレタリアートから出発して転向を余儀なくされた作家です。その高見にしても敗戦は微妙な問題でした。
野坂参三の帰国と共産党ブームが皮相な一過性のものに終わった経緯が、綴られていました。戦争を進めていた職業軍人が簡単に共産党支持に回ることを記録(複写機のない時代に日記に新聞を克明に書写)して、複雑な心情を添え書きしています。
例えば愛国者だった金沢嘉市等のその後の苦悩に比して、容易な共産党支持者もいたことかと思います。

(昨夜、バス内で書き、あわてて下車時に投稿したので誤字が多く失礼しました)

ぼくは子ども時代を思い出すのですが、1960年代になっても、まだまだ日本は貧しかったですね。電気も不安定でお笑い三人組の時間帯に画面がチラチラしたり、泥棒とかスリが普通にいました。それでも混乱は収まって来、安保闘争さえするだけの余裕もできできたと思います。1959年の古田足日らによる童話批判が起きた背景には、そういうわずかな余裕があったのかなと思います。
それに対して1946年は戦後というよりも、やはり戦争を引きずっていた混乱期でしょう。バブルの崩壊が1991-1993年だったから1994年が崩壊後とはならない気がする。東日本大震災が2011年だったから2012年が大震災後とはならないのでは(新コロ難儀が2025年に収まるとして2026年はもう難儀後だと、すぐにそうはならないのでは)。
その混乱期にその混乱の原因を追求して断罪しようとするのは、やはり難しいだろうな、と思うのです。
そのような混乱状況を含めて、資料が公開されるのは、新コロ難儀渦中にある私たちがとるべき態度に対してなにがしかの示唆を与えてくれるだろうと思います。
すみません、追記が長くなりました。

シュレーゲル雨蛙

2021/05/17 URL 編集返信

yositaka
Re:戦争責任問題
シュレーゲル雨蛙さん
作家たちへの一連の責任追及には、GHQからの圧力もあったと思います。
アメリカ占領下だったし、敗戦国としては自然な成り行きだったかもしれません。
ところが、占領国のアメリカ自体が民主と反共で揺れ動いていました。そんな中で、表現者としての主体性を保つのは私たちの想像を超える困難があったはずです。
ところが児童文学者たちは「とにかく目の前の子どものために」という文言を縦に、屈託なく「転向」し、立ち直ってしまった。
そういう人たちにとっては、戦争中の創作活動を掘り返されることは嬉しいことではないでしょう。
ただ、事実は事実として記録、継承されるべきで、当事者にとってそれが、どんなに恥ずかしく、かっこわるく、不都合であったとしても、隠さずに残すしか、責任の取りかたはないのだと思います。
そういう意味で、藤田氏の今回の発掘は大変意義あるものと思います。

yositaka

2021/05/18 URL 編集返信

すみません
コメント書き直し投稿とネコパパさんの返信とが同時進行だったようです。失礼しました。

シュレーゲル雨蛙

2021/05/18 URL 編集返信

yositaka
Re:すみません
追記拝読しました。
納得です。
資料を単独で考察するとなると、当時の状況を考えずに例えば「断罪」するというような短絡的なものになる危険性があります。
なので、十分な注意を払い「歴史的背景を考慮した上で」広い視野で「後世の糧」としていく必要があると思います。まあその「当時の状況」というのも、調べ出すと芋づる式にどんどん出てくるのですが「芋づる」に絡まるのは、動きが取れなくなるからゴメンだと諦めるのはまずいし、無知ゆえに過去と同じ轍を踏むのは、それこそ本当に「子どものために」ならないですからね。

yositaka

2021/05/18 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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