追悼 童謡歌手・平井英子さん

平井英子さんが老衰のため死去
104歳 「てるてる坊主」など日本の童謡歌手先駆け
5/14(金) 5:00配信
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 「兎のダンス」「てるてる坊主」などを歌い、日本の童謡歌手の先駆けとして知られた平井英子(ひらい・ひでこ、本名・鈴木英=すずき・ひで)さんが2月21日午後5時30分、老衰のため東京・練馬区の高齢者施設で死去していたことが13日、分かった。104歳だった。
 関係者によると、亡くなる前はだんだんと食事を取らなくなり、眠るように息を引き取った。前日には家族が見舞いに訪れていたという。

 1928年にデビューし、幼少期から天才少女歌手として活躍。現在のレコード会社、ビクター創立時に専属歌手第1号となり、かれんでチャーミングな歌声を武器に中山晋平作曲の「アメフリ」など多くの名作童謡を歌った。
 童謡劇「茶目子の一日」、流行歌「タバコやの娘」も大ヒット。同曲を手掛けた作曲家の故鈴木静一さん(80年死去、享年79)と20代で結婚後、歌手を引退した。

 2014年には代表曲を収録したアルバム「スター☆デラックス 平井英子」が発売された。当時、平井さんのもとを訪れた音楽関係者によると、認知症が進んでいたため会話は難しかったというが、収録曲「ブルー・ハワイ」について「ご主人の鈴木さんがアレンジした曲ですよね?」と聞くと、目を細めて喜んでいたという。

 後日、追悼ミサを親族で行う。喪主はめい、江連恵美子(えづれ・えみこ)さん。

童謡について勉強中のネコパパだが、平井英子というひとがこの世界のもっとも重要な一人だったのは早くから気づいていました。
蓄音喫茶「エヂソン」や、蓄音機ギャラリー例会の席で、この人が話題になるたびに「まだご健在」という事実が、驚きとともに語られていました。といっても戦前に既に歌手を引退されていて、その後の消息はほとんど分かっていないとのことでした。

ウィキペディアには、戦前の彼女の代表曲の一覧が掲載されています。

てるてる坊主(1928年/ビクター レコード番号:50503)
あの町この町(1928年/ビクター 50503)
証城寺の狸囃子(1929年/ビクター 50669)
茶目子の一日(1929年/ビクター 50681)
兎のダンス(1929年/ビクター 50899)
村祭(1930年/ビクター 51120。文部省唱歌)
砂山(中山晋平作曲版)(1931年/ビクター 51821)
あめふり(1931年/ビクター 51821)
十五夜お月さん(1932年/ビクター 52370)
シャボン玉(1934年/ビクター 53082)

すべてが平井英子の創唱ではないのですが、昭和30年生まれのネコパパでさえ知っている歌が多く含まれているのに驚きます。「アメフリ」「兎のダンス」「てるてる坊主」などの歌が、一人の同じ歌手によって初レコーディングされていたことは、今ではほとんどの人の記憶から消えているのではないでしょうか。

この中の何曲かは、最近まとめてネコパパが入手した童謡SPコレクションに含まれていました。この機会に何曲か聞いていました。

歌い方は当時の童謡歌手にありがちな頭声を強く出す、いわゆる多くの人のイメージにある童謡風の歌い方とは異なり、地声の語りを生かした自然な歌い方で、それがまろやかな声とうまく調和した親しみやすさを生み出しています。ちょっと舌足らずに聞こえたりもしますが、実は大変なテクニシャンで、ヒット曲である「茶目子の一日」では、言葉の情報量が多い歌詞をすごいスピードで、しかも聞き手を楽しませることを意識して歌いこなしているのに驚かされます。
レコード・デビューが1928年。マイクロフォンを使った電気録音が実用化されて3年後。童謡歌手の嚆矢と言われる本居みどり・貴美子姉妹が機械録音で自力で声を通す必要から、音程を高くとった発声になったのに対し、平井英子はマイクの機能をよく生かした、童謡歌手のクルーナーだったと言えるかもしれません。


心からご冥福をお祈りしたいと思います。

最近、ネコパパは童謡にも多少の興味を持ち始め、蓄音機の会でご紹介するために調べ物をしたりするのですが、ネット検索全盛の現在でも、当時活躍した童謡歌手の情報はわずかで、詳しい経歴も不明な人が多く、わかった人のなかにも、本居みどり、伴久美子、古賀さと子など、早くに亡くなられてる人も少なくないことに気づきました。

大正時代に誕生した「童謡」の全盛時代は、およそ十数年、終戦直後まで含めたとしても三十年あまりと短く、大正期から戦前に脚光を浴びていた童謡歌手たちは、今やほとんどが過去の人になってしまいました。ジャンルとしてのマイナーさを物語る事実ですが、いまあらためて聞いてみると、子どものための音楽の古典として、後世に残すべき作品は決して少なくありません。
今後はこれをどう記録し、継承していくか、考えていかなくてはと思います。



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コメント

コメント(2)
素晴らしい童謡の数々・・・
こんにちは。
平井英子さん、名前だけは知っていました。ネコパパさんのSP盤・・いいですね~~

<今後はこれをどう記録し、継承していくか、考えていかなくてはと思います。>・・・
おっしゃるとおりですね。

最近は、子供たちの童謡を歌うのをあまり聞きません。なぜか・・・
正直、お母さんが知らないのです。確かに昔の童謡は古めかしいといえばそうかもしれませんが、素晴らしい歌詞とメロディーの曲はたくさんあります。
昔、電車に乗っていたら隣に小さな女のお子さんと母親がいました。車窓から夕焼けが見えました。小さなお子さんが「お空がきれい!」・・・と言ったら、母親が「あれはね・・夕焼けっていうんだよ‥きれいだね・・」と、言って小さな声で「ゆうやけ こやけで ひがくれて やまのおてらの かねがなる・・」と子供に歌っていました。実にほほえましい光景でした。

素晴らしい童謡の数々・・・ぜひ録音ばかりではなく、曲そのものを継承していってほしいものです。

HIROちゃん

2021/05/17 URL 編集返信

yositaka
Re:素晴らしい童謡の数々・・・
HIROちゃんさん
大変素敵なエピソードですね。おそらくそういう場面で、童謡は辛くも生きているのでしょう。
ネコパパは昭和30年生まれなので、レコード童謡はもう衰退期に入り、街に流れていたのはよりモダンな「子どもの歌」か「歌謡曲」でした。
当時のレコード会社の童謡担当ディレクターの証言を読むと、曲より歌手人気に頼ってジャンルが低迷、そこへ、学校行事向けの振り付け編曲用楽曲の大きな需要が来て、業界が振り回されながら衰退していくさまが述べられています。
「童謡」は大正後半から昭和20年代まで。その期間を超えて今日まで生き残った曲は、まさにクラシック音楽。見直されるべきですね。

yositaka

2021/05/17 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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