ネコパパの痒みも吹き飛ぶ、ヤンソンスの「夜の歌」。

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マーラー 交響曲 第7番 ホ短調「夜の歌」
マリス・ヤンソンス 指揮
バイエルン放送交響楽団
(2007年3月8,9日 ミュンヘン,ガスタイク・フィルハーモニー ライヴ録音 Br Klassik)

ネコパパはアレルギー体質で、季節の変わり目が特に症状がひどい。
子どもの頃は喘息やら鼻炎に苦しんだが近頃は収まり、もっぱらアトピー性皮膚炎だ。50歳ころ医者に「君の皮膚は乳幼児と変わらんね」と言われたことがある。いやいや、頭の中身もそうかもしれないが。
どこがひどいって、それは関節部分で、手首に首に肩に肘膝、それに…
痒みを我慢するのに一番なのはなにかほかの事で注意をそらすことだ。スポーツだめ。社交も苦手。で、自然と読書と音楽鑑賞である。
掴みどころがないネコパパの正体なんて、こんなもんだ。

さて、マーラーの交響曲第7番は5つの楽章から出来ている。
陰と陽、鬱と躁、対照的な曲想をもつ長大な両端楽章、「影のように」と題された不思議に静かな中間楽章の合間に、「ナハトムジーク」である第2、第4楽章が挟まれる。前者はカウベル、後者はマンドリンが活躍するファンタジーに満ちた音楽である。
この二つの偶数楽章がネコパパの好みだが、2007年にライヴ録音されたこのヤンソンス盤は、全曲に渡って「ナハトムジーク」の魅力にあふれていて、時間と痒みを忘れさせる。
ヤンソンスのいいところは、早めのインテンポで、逡巡なく前へ前へと進んでいくところ。
それと、全ての楽器が鮮明でくっきりと前に出てくるところ。
「ナハトムジーク」の追加楽器が明晰なのがなにより嬉しい。第4楽章のマンドリン・ソロなんて、大規模のオーケストラの中では埋もれてしまうように思われがちだが、2度のライヴを耳にしているネコパパは、そんなことは全くないことを知っている。とにかく音が大きい楽器で、マーラーもそれを承知で使っていると思う。しかも鮮明でストレートだけに終わらず、夢見心地の中でふと訪れる不安や憂鬱の感情表現も見事なのだ。

この曲のフィナーレは、それまでの「夜」の雰囲気に満ちた音楽とは大きなギャップがある。
勝利のフィナーレというか、酔って浮かれるお祭り騒ぎというか、突如としてケタタマシイ音楽になる。どう聞いてもムリヤリ感があり、マーラーの意図がわからない。演奏によっては屈折した焦燥感さえ感じてしまうのだが、この演奏はそうではない。ヤンソンスは、さらにテンポを速めて、思い切り楽しむかのように盛り上げる。すごく情熱的なのに、響きがまったく重くならない。彼があの魅力ある笑顔で棒を振っているのが目に浮かぶようだ。

ネコパパはストレスがかかると、自分ですぐわかる。
あちこちが猛然と痒くなるのである。音楽を聞いていても、そういう時はあって、退屈だと寝落ちして、つまらないと痒くなる。マーラーを聞くときは実は「寝落ち」が結構あるのだが、このディスクはすみずみまで楽しめた。

痒いときはヤンソンスで、「夜の歌」のフィナーレを聴こう。

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コメント

コメント(2)
夜の歌の第5楽章は
タンタカタッタタンタカタッタタアタアタアタア タカタンタカタンタカタンタカタン

あの冒頭聴くと、CDを聴き始めた頃の東京のアパートの部屋に引き戻されます。ショルティ&シカゴのCD。1枚であの長い曲が入りきるお得な1枚でした。CDの長時間収録がマーラーやブルックナーをポピュラーにしたのは間違いないので。

ショルティによって刷り込まれたあの思いっきり開き直った健康な第5楽章が、ぼくの基準になっていて、いつもならば好きなクレンペラーが不健康に聞こえてしまい、遠くからの遠雷のようにティンパニを響かせるハイティンクの(デジタル録音のACO盤だったかしら)盤は早々に中古に売りに出した記憶があります。ヤンソンスのはひょっとするとショルティ派? ついていたユーチューブまだ見ていません。楽しみです。
先日、クレンペラー・イェルサレム盤購った中古屋で同時に3セット500円棚から見つけたのが若杉・都響ライヴの夜の歌。見本盤で新品同様でした。ぼくはこの1セットだけほしいと言って500円で買いました。これはサントリーホールでチクルスしたときの録音。ぼくはこれ聴きに行ったです。あの頃都響定期会員だったです。若杉のプログラムのセンスはすごいと思っていたし、解釈も面白いなと思うところがたくさんあったのですが、一つだけ、生理的に苦手だったのは金管の響かせ方がきつすぎて耳に突き刺さる感じがしました。だからCD買う気にはならなかったです。しかし、今回、買って聴いたら、金管突き刺さる感がないの。そうして第5楽章冒頭の鳴らしっぷりがよいでした。ウーン、録音は不思議だな。でも、よい方に変わっているならばよいのではないかと思っています。

夜の歌の第5楽章。あの唐突感、以前拙ブログ
https://sansuica3000.fc2.net/blog-entry-922.html
に紹介した岡田暁生がしめしていた曲の最後を盛り上げて唐突に終わらせる形(サドンデス型)、例えばラヴェルのボレロの最後のダダダダダンの先駆みたいに考えられないか。近代から脱近代へと時代が移るときの軋みみたいに、考えてみたのですが。
ベートーヴェンの近代的な盛り上げ方とは違うなあと思います。

シュレーゲル雨蛙

2021/04/30 URL 編集返信

yositaka
Re:夜の歌の第5楽章は
シュレーゲル雨蛙さん
私は雨蛙さんほどライヴは聴いていないので確信的な事は言えませんが、朝比奈翁の演奏会でのちにCD化されたものの比較で気づいたことはあります。それは、曲によって印象がひどく変わるものとそうでないものがあるということです。

その違いは録音する側の姿勢もあると思いますが、やはり大編成のものほど変わりやすい気がします。ライヴでは金管が突出して、弦楽器が引っ込み気味になる。もっともそれを感じたのは「グレート」と「展覧会の絵」で、前者はCDの方がはるかに聴きやすく感じましたが、後者は明らかにライヴがよく、CDは力不足に感じました。

その点マーラーなどは、録音はかなり難しくライヴとCDの印象の違いも大きいでしょうね。このヤンソンス盤も、健闘してはいますが、Br Klassikレーベルの特徴で残響成分の取り込みが多く、明晰ではありますが、ライヴの音をどれだけ再現しているのか疑問なところもあります。

第7番の唐突感は、はじめてバーンスタインのDG盤を聞いたときはかなり抵抗があり、早々にディスクを売り飛ばしてしまったくらいでしたが、だんだんと慣れてきて、これはこれとして楽しめる心境になってきました。唐突って言ったって、まあ人生はそんなもの、これこそ真実かもしれません。

yositaka

2021/05/01 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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