「民話」をめぐる言葉の冒険。

ずいぶん前にご寄贈いただいた一冊。
ご紹介するのが遅れてしまいました。
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熟読していましたので。でも、なかなか歯ごたえがありまして。
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ネコパパの理解した範囲でご紹介します。

民俗学者・昔話研究者である関敬吾(せき けいご、1899年7月15日 - 1990年1月26日)は「民話」という言葉に生涯こだわりを持つ一方、「昔話」と銘打つ書籍も刊行を続けた。
両者の関係とは?「民話」の出発点とは?

関は「昔話」という概念には二種の言説が混在していると考えていた。
ひとつは「ムカシガタリ」もうひとつは「ハナシ」である。彼は両者を統一せず、包括的に「民話」とした。それは「ハナシ」から社会の改良、あるいは国語教育への関連を読み込んだ柳田國男の「昔話」観とは異なっていた。

関の「民話」使用は、1930年からである。
それには彼の出身地の状況が関わっている。長野県雲仙市。ここでは三つに分化した伝統的な物語が存在。①伝説②むかし③はなし、である。柳田は折口信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)の「カタリ/ハナシ」説の影響を受けた「ハナシ」観に固執したが、これは関には受け入れ難かった。なぜなら「ハナシ」の範囲が広すぎたからである。そこで関は包括概念である「民話」という用語を用いようとしたと思われる。
一方、関の後輩にあたる民俗学者野村純一(のむら じゅんいち、1935年3月10日 - 2007年6月20日)は「昔話の本態は『カタリ』以外の何者でもない」としている。
柳田と野村の間に関がいる。

1981年に関が著した『昔話の構造』(同朋社)に、彼の「民話」についての考えが記されている。
民話とはヨーロッパにいうフォークテールの借用語であって「昔話」とは一致しない。フェアリーテール、メールヘンを包括した概念がフォークテール、包括概念である。ここから関は「昔話」を「民話」の一部と定義した。
1955年、関敬吾は『民話』(岩波新書)を上梓する。
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だが当時、関とは異なる文脈で出立した「民話」を標榜する一派があった。
木下順二の戯曲『夕鶴』の上演をきっかけに1952年に誕生した「民話の会」である。
彼らは「民話」を民族遺産としてとらえ、科学的研究、演劇、児童文学、放送、教育などに生かそうとする運動を推進した。松谷みよ子、いぬいとみこらの児童文学者も参加していた。松谷の民話最終の旅はよく知られているが、いぬいの佐渡島フィールドワークについては、2冊の評論集にも記載がなく、初見の事実である。

1957年、柳田國男は講話「昔話の研究について」の中で、民話の会の提唱する「民族の民話」という考え方に否定的な見解を述べている。「彼らは昔話を利用して文学作品を創り出すのが目的。だから、作り替えてもいいという話になる。我々が問題にする『昔話』とはあくまで過去のもの。昔話採集の現場で『民話』という言葉は通用しない」と、「民話」をむしろ否定する。
だが、関の考え方でいけば、柳田の「昔話」も同様に否定されるだろう。「ムカシバナシ」でなく「ムカシガタリ」であると。野村純一は柳田への違和という点で関と連帯していた。

関敬吾は「民話の会」の関わりを持ちつつ、一定の距離感を保っていた。
国文学者の臼田甚五郎(うすだ じんごろう、1915年〈大正4年〉1月25日 - 2006年〈平成18年〉10月26日)は、関が松谷みよ子に、國學院大學の校内で顔を真っ赤にして詰め寄る様子を目撃したという。また、民俗学者、桜井徳太郎(さくらい とくたろう、1917年4月1日 - 2007年8月27日)は1957年の論考で「民話の称はこのごろの流行、民話の会は世間・時流に迎合している。そういう態度に名称にしがみつくなら、断固反対する」と批判的な意見を述べている。桜井も、民間説話の研究に、現代の創作の要素が混入していることを問題視していることが伺える。
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さて本論は「母と息子との『民話』」と題されている。最終章は関圭吾がなぜ「民話」の称を用いたのかを最初期の著作にさかのぼって検証していく。
関が口承文芸関係を発表した1928年は柳田國男が初めて昔話についての長編論文を発表した年であった。関本人は1933年刊の「桃太郎の誕生」(三省堂)によって柳田の論考に触れたと書いているが、実際にはそれ以前から大きく興味を傾けており、関がはじめて昔話関係の報告を「旅と伝説」所収「高陽民話(一)」(1930三元社)として発表する頃には柳田の「昔話」の定義を十分に咀嚼していたと考えられる。ここに報告された島原半島の昔話は「昔じゃったでなんもん」で始まり「てるばつかるばんねんどん(人名)」と語り収められる。さらには「この地方では昔話を普通はムカシといい「昔話」といってすら、この種の話を聞き出すことはできない」と説明している。「話の相の手はきかない」とも。すでに柳田の用語を批判的に捉えて「民話」の称を用いた背景が暗示されている。

筆者は山形県の口承文芸にはハナシよりもカタリの比重が強い傾向があると考察している。そこから、関敬吾の原郷の語り収めにもカタリの強さが影響しており、その意識が柳田國男のハナシを重視する「昔話」意識とズレを生じ、それが「民話」の語として表出されたのではないかと、筆者は結論づけている。
「民話」の出自は原郷における「母と息子の『民話』」からの展開にほかならなかった…」
本論の結びである。

■ネコパパ感想

ネコパパが児童文学に興味を持ったのは1973年。
松谷みよ子「民話の世界」(講談社新書)が出たのが1974年で、この本は刊行直後に読んだはずだ。、ネコパパの「民話」意識は「民話は山の向こうにあるのみではなく、自分自身も、そして誰もが民話の語り手であり、たったいまも生み出されている」(いわゆる「現代民話」論)という松谷の考えによって形成されていて、基本的は今もその影響下にあるはずだ。
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「民話の会」の共通認識も、そのような方向性にあったと見て良いだろう。
「夕鶴」「龍の子太郎」「ベロ出しチョンマ」などの創作民話的な文学作品(民話的再創造)も、こうした考えから生み出されてきたはずだ。
そんな意識で本論を読むと…筆者の論旨からはいささか外れるかもしれないが、中盤の「民話」概念の「軋轢」が、個人的には大変興味深いものとなる。
「民話」の語にしがみつくことを批判する桜井徳太郎の言説は威勢良く「世間」を下に見て「時流に乗る」研究姿勢への疑義を表明しているが、そういう自身もまた「昔ばなし」の語にしがみついているようでもあり、むしろ「世間」こそが「昔ばなし」の泉源ではないか、と思うのは、イケズだろうか。そんな中で、関敬吾もまた「再創造」も含めた包括概念としての「民話」には違和感を感じていたのかもしれない。
気になるのは、筆者が臼田甚五郎から直接伺ったという「関敬吾と松谷みよ子の確執」らしきものである。これに関しては、筆者自身に詳しい事情や議論の内容をお聞かせいただければと思う。

ヨーロッパの児童文学文献には、ドイツ語の「メルヘン」に、伝承文学の「フォルクス・メルヘン」と創作文学の「クンスト・メルヘン」があり、英語の「フェアリー・テイルズ」にも「フェアリー・テイルズ=フォーク・テイルズ」と「リテラリー・フェアリー・テイルズ」の分類がなされている。
詳しいわけではないけれど、欧米の研究では、概して伝承文学と創作文学が排他的・対立的な関係にはなく、いずれも人間の「想像力が生み出した作品」として研究され、論じられているのではないだろうか。
だとしたら、我が国でも同様に「区分はしつつ、本質部分はは包括する」という意識で考えていく道があるはずではないだろうか。そのあたりから。巌谷小波の「御伽話」坪田譲治の「にほんむかし話」の口承文芸学で位置づけも明らかになってくるように思われる。
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コメント

コメント(2)
自転車通勤、自転車操業
ネコパパさま、ものすごい馬力でブログが更新されるので、愛読者・蛙が追いついていません。この論文、ぼくも読んでいますから、少しだけ補足します。
『民話』いぬいとみこの佐渡からの報告は、いぬい・とみこ、と、正確には姓名の間に中点が付されていました。いぬいの代表作の一つ『木かげの家の小人たち』の前年だったかしら。
関と松谷との民話をめぐる確執、そのときの会話の内容は知っている方がありました。その内容は後日著者が紹介するでしょう。しかし、これがきっかけかもしれません。松谷が自宅に民話研究所を設け日本民話の会を立ち上げ、機関誌『民話の手帖』創刊、自らフィールドワークを始めたのは、たいしたものだったと思います。関の批判はよい結果をもたらしたかも知れません。
『島原半島民話集』巻末解説で関が紹介した当地の語り収め冒頭一字は、誤植で「て」になっていますが「こ」が正しいです。これは論文の著者が傍注で正していたかと思います。

シュレーゲル雨蛙

2021/04/28 URL 編集返信

yositaka
Re:自転車通勤、自転車操業
シュレーゲル雨蛙さん
愛読者とはもったいないお言葉です。やる気が出ます。『木かげの家の小人たち』の出版は1959年12月。この年こそ現代児童文学の出発の年と、はやくも意識した人々が、なんとか年内に出版しようと尽力した結果だと聞いています。この作品にはファンタジーの前提となる「掟」が後半崩れ、突然、物語の文脈としては不可解な、土着の小人「アマネジャキ」が登場する問題点が指摘されていますが、もしかしてこれには、いぬいのフィールドワーク活動の影響があるのかもしれません。ここは追求してみたいところです。
松谷と関の会話の内容もぜひ知りたいですね。これは重要です。松谷のバイタリティーについては清水真砂子が「子どもの本の現在」(1984)で「母親の情念とゆたかな生理の開放」と鋭い指摘をしています。この文章で清水もまた、松谷に「顔を真っ赤にして詰め寄っている」のですが、それは関と一脈通じるものがあるのか、ぜひ知りたいのです。

yositaka

2021/04/28 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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