アポリアー災禍の中の生を描く児童文学

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童心社 初版2016.5.16

野島一弥が不登校のひきこもりになったのは、スパイクが原因だった。
同じクラスの鷲田が、ふざけて隠したスパイク。買っても買ってもすぐに足がでかくなって窮屈になる。「馬鹿の大足ね」と笑って、かあさんは金を出してくれる。
家にゆとりがあったわけじゃない。
でもかあさんは、いつもそうした。鷲田は隠してあったスパイクをトイレの便器に投げ込んだ。咄嗟に掴みかかった一弥が抱いたのは殺意だつた。
簡単に一線を超えてしまう自分が恐ろしく、一弥は中学校に行くのをやめた。
それは一弥が、中学2年の時だった。

6年前。トラック運転手の片桐保は、激しい後悔に見舞われた。
あのときおれが、夜行便の仕事さえ引き受けなければ、妻の理彩子も、息子の翔も、死ぬことはなかった。
二人に少しでもいい暮らしをさせたくて、夜、家を空けることが多くなっていた。あの夜も。
妻と子を乗せた車にトラックが突っ込んだ。即死だった。あの瞬間、片桐のすべてが壊れた。

2036年。
東京一帯に、マグニチュード8.6、震度7の大地震が襲う。

一弥の家を津波が襲った時、彼は2回に、かあさんは一階にいた。
渦の中、一階の母の安否を確かめようとした一弥を、偶然にも助け出したのは片桐だった。一人が精一杯だった。母を見殺しにして自分を助けた片桐を、一弥は激しく憎む。

難を逃れ、町工場にたどり着いた人々の中に、一弥と片桐もいた。
食料も尽きかけ、避難所に移動する手立てもないまま、時間だけが過ぎていく。
そのなかに4歳の男の子がいた。祖父と一緒のところを辛くも救われた厚木草太だ。
この災禍以前に、彼は両親を失つていて、いまは祖父と二人暮らしだったが、大地震の直前、生きることに行き詰まっていた祖父は、まさにその日、孫と心中を図ろうとしていた。混乱の中で救出された二人。辛くも拾った命である。
しかし、この草太の存在が、一弥、片桐たち、家族と別れ、行き場所を失い、自暴自棄になりそうな被災者たちの、かすかな生きる支えとなっていく。

本作は、2016年、東日本大震災からわずか5年という段階で、近未来という設定を持ち込むことによって、震災というテーマを描く児童文学という難しい課題に挑戦した作品である。
仮想ドキュメンタリーという形をとってはいるが、挿絵に使われているのは、すべて2011年東日本大震災の写真だ。ここにも作者、編集者の覚悟が読み取れる。

極限状況にある人々の生きる姿を、やや距離を置いた視点で、じっくりと丁寧に描き出している。
トラウマを抱えた中学生の一弥が、引き離されるように母親と切り離される冒頭から、見知らぬ人々と出会いながら「生」を掴み取っていくという本筋にも、もちろん説得力があるが、何よりも本作をすぐれた児童文学にしているのは、キャラクターの描き分けが鮮やかな登場人物が徐々に生きる希望を見出していく姿と、その鍵となる草太という存在だ。

あすの命も定かでない状況の中、なぜ彼だけが、幼いながら、人の痛みを黙って受け止め、生きる支えとなれるのか。
それは、登場人物のうちで彼一人が、大地震のよって何かを奪われたのではなく、命を与えられた存在として描かれているからである。
この作者を動かしている「子どもへの加担」の姿勢が生み出す圧倒的なまでのエネルギーに唖然とさせられた。現代児童文学はまだまだ、力を失っていない。

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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