鐘を鳴らす子供たち-ラジオドラマ出演者たちの奮闘を描く物語。

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■2020.1.31 小峰書店

昭和22年。
敗戦後の混乱期、玉川上水近くの小学校に通う6年生の良仁は、隣のクラスの担任である菅原に誘われ、親友の祐介とともにラジオドラマに出演することになる。菅原は演劇指導に熱心な教員で、自分のクラスの生徒中心に児童演劇のグループを作って活動している。短期間、良仁の兄の担任だったこともある。
おやつや謝礼が出るというし、頼れる優等生の祐介といっしょなら、と話に乗った良仁だったが、彼を待っていたのは演劇グルーブに在籍する勝と世津子の反発と、演技指導の兼子先生による徹底的な発声指導の毎日だった。
集まった子どもたちの中には、本気で演劇の道をめざす実秋もいれば、学校にもほとんど来ず、闇市で売るためのシケモク拾いを目的に出演を引き受けた、将太のような者もいた…
敗戦後の混乱期、NHK初の連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の制作に取り組む大人たちと子どもたちの織りなす物語がはじまる。

そのはるか後継番組である、NHKの連続テレビ小説「エール」では、作曲家、古関裕而の視点で取り上げられていたこのラジオドラマだが、本作は、出演した子どもたちの視点で描かれている。正統派の児童文学である。
登場人物たちの会話中心で、テンポよく進行するストーリーは、まさに「読むラジオドラマ」の観があり、いかにもそれらしい、典型化されたセリフなどは、ちょっと類型的な感じもするくらい。けれど、読み進むにつれて、引き込まれる。

登場人物のなかで、強い存在感を感じたのは、主人公の良仁よりも、浮浪児を演ずる、まさにうってつけの境遇の将太と、ドラマでは紅一点の役柄、みどりを演ずる、一級年下の小柄な都だ。
このふたりは、性格は正反対ながら、すんなりと役になりきってしまう力は半端じゃなく、生放送進行中の中、子どもたちのトラブルであわや中断になりそうな場面で、台本にないアドリブを繰り出して事態を収めてしまう。こんな演劇ものでなければできない緊張感が楽しめるのも、本作の大きな魅力である。

しかし、痛快なだけの作品ではない。
当時の社会状況への、鋭い切り込みもある。少年たちが演技の参考にと出向く「闇市」あらため「青空マーケット」のエセ傷痍軍人などの、えぐりの聞いた描写や、悪臭紛紛たる地下道での「本物の戦災孤児」の描写の獰猛さには、只事でないリアリティがある。朝ドラ「エール」にも闇市や孤児たちの姿が登場していたが、このような描写を読むと、いかにも上っ面に思われてしまう。
この場面を読んで、思わず作者の生年月日を確認したのだが、1966年生まれ。ネコパパよりもずっと年下なのだ。

状況を生き延びる困難さに時代はない。

それを知る作者の視線は、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」そのものの存在価値も、相対化させていく。
戦災孤児保護施設に「慰問」に出向いた出演者一行は、そこのリーダー格とおぼしき「新橋の地下道上がりの少年」光彦に、ドラマの内容を「みんな嘘っぱちの綺麗事」と喝破される。
本書の核心ともいうべき場面だ。
光彦の言葉は、戦後児童文学、児童文化のあり方そのものに対する鋭い批判、とも言えそうだ。
そんな光彦に、脚本家の菊井一夫は光彦の「最も欲しがっている」品物である万年筆を手渡し「それで君は自分の物語を書きなさい」と告げるのだ。

本書は文章も構成も、全体に荒削り。
結末部分など、ちょっとナマな思いを語りすぎているかも、と感じる箇所も少なくないが、事実に基づく、後世に伝えるべきエピソードに満ちた作品として、疑いなく貴重な一冊である。

読み終わったあと、あらためてラジオドラマ主題歌「とんがり帽子」のSP盤を聞き返してみた。
歌詞に込められた「菊田一夫」の思いが、一層胸にしみる。ネコパパはリアルタイムを知らず、この歌を知ったのも最近のことだ。当時この歌が、どれほど愛されたか…先日入手した童謡レコードのひと山には、真っ白に擦り切れたこの曲のSP盤が3枚も含まれていた。
本作にも引用されている「昨日にまさる今日よりも、明日はもっと幸せに」の歌詞は、今の聞き手にもつよく迫る。そして、考えさせる。

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コメント

コメント(2)
遠景の戦争と戰後と・・・・・・
 身近にクラスターということばを聴き、その余波を受けて過ごしました。これがいまから数十年経って、新型コロナウィルスの流行が振り返られたときに、どのように当事者が振り返るのか、また、後世の者がどのように物語るのか。

 当事者の振り返りと後世の者の物語とでは、しばしば前者が尊重されがちですが、じつは当事者の記憶だって物語を形成しているし、後世の物語にも当事者じしんが忘れてしまった事実が含まれる。そんなことを考えさせられてしまいました。
 そのときを生きていて、じぶんの身の回りは見ていても、じぶんの周辺以外のことは見ていないので、特に、取材が丹念であり時代の周辺までもが確りと拾い上げられている場合・・・・・・後世の者の物語にも深い事実が宿る、ということがあるだろうと。
 たとえばネコパパさんの先生のかつおきんやさんの近世を舞台にした物語等でもそういうことを考えてよいのではないかと思うのですが。

 もちろん、取材不足の物語も巷には多いのでしょうが、その辺りは、読書歴、読書量の勝負で、何とか乗り切れるのでないかしらと思っています。
 ネコパパさんの読書歴、読書量を知るとき、ここでの「書評」は、私には意味深いと思いました。よい本をご紹介くださったなと感謝します。

シュレースゲル雨蛙

2020/11/25 URL 編集返信

yositaka
Re:遠景の戦争と戰後と・・・・・・
シュレーゲル雨蛙さん
書評とはおこがましい。ただの独り言みたいな紹介文です。
当事者の振り返りと後世の者の物語の問題は難しい。児童文学学会でも広島の語り部を描く作品で話題にされていましたね。
歴史にも二通りあると思います。既に時代を経てすっかり過去になっている「遠い過去」の場合と、当事者・近親者が生存し記憶が生々しい「近い過去」の場合です。後者は「証言」の要素が有るだけにそれゆえの実証性と生々しさがありますが、客観的になりきれず意図的な取りこぼしが否定できない。むしろ、すっかり過去になったほうがクールな事実確認ができることもあります。
それは、ノンフィクションや小説の内容にも影響すると思います。本作の時代設定は「近い過去」と「遠い過去」の境界線ですから、両者のせめぎあいがよく見えるのかもしれません。
私はファンタジー偏愛の「境界線」好きなので自然とこういうものに惹かれるようです。

yositaka

2020/11/26 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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