「縮減時代」をテーマとした内田樹講演会を聞きました。

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大学から案内のメールが届いたのを見て、すぐに申し込みました。

フロアーは150人、ネット参加は500人限定とのことでしたが、内田樹氏からじかにお話を聞けるチャンスはめったにないと思い、150人の枠に賭けたわけです。当選でした。

以下は、当日のメモから起こした講演の内容です。聞き逃したことや誤解もあるでしょうが、そのまま書くことにします。


■「越境」なんて時代遅れ?


こんばんは。内田樹です。

「縮減社会の新たな地域マネジメント」というテーマのシンポジウムに、どうして私が?と思ったのですが、考えてみれば「越境」は得意です。

本来の専門はフランス文学ですが、ずっと、それにとどまらない活動をしています。でも、専門が定まらないというのは最近、不評です。「内田さん、評判悪いよ。専門外のことに口を出しすぎる」と言われる。クロスオーバーを進める大学は、今や少ない。タコツボ志向で、早く専門分野を絞るのが効率的と信じている。それを端的に表すのが、ここ4.5年よく聞かれる「深堀り」という言葉。特にジャーナリストが多用します。狭いところに入り込んでいく苦しさがあって、好きではありません。

以前は「複眼的」が大切と言われたが、いつからか、バタッと言われなくなりました。「学際的」も消えました。かわりに台頭するのは善悪二元論。これの蔓延は、世界的傾向。問題を敵味方に単純化していく。

オルテガ・イ・ガゼットは「文明とは敵とともに生きること。野蛮とはは分断することだ」と述べています。だとすれば、いまや時代は、野蛮に向かっているのかもしれません。安倍政権の手法はまさにそれでした。彼らの言葉には建前も葛藤もない。「反対者とともに統治する」のが近代社会なら、まさしくこれは幼児化社会です。

大阪都構想もそう。関係者に聞いてみると、長年の経験で、推進者の主張する二重行政の混乱はないようです。細かいすり合わせを嫌がるのは、制度の問題ではなく、人間に問題がある。要は、合意形成が面倒くさい。やりたくない。難しすぎる。人間の器と交渉能力が必要だから。怖いと思うのは、大阪市民の反対があまり見られないこと。特に若い人。国会にどうして二院制があるのかわからないといいます。合理的でないという。それは論点をずらして異なる意見をセーブする必要があるからです。だから面倒でも必要。しかし昨今の政治家は、論議を尽くさず簡単にすることがベストと思い、困難自体を批判と受け取る。複雑な現実は、複雑な言葉でしか語れないということが理解できないようです。

日本だけではありません。アメリカでもアラブでも、同じ問題が起きています。理解も共感もできない相手との共存は、技術と成熟が必要です。こんな時期に「越境」を研究テーマにしようとする愛知大学に私は深く感動しています。はっきりいってこれ、時代遅れですから。

今の学生の状況を三つの言葉で言い表すなら「罠にかかった」「息ができない」「身動きもできない」つまり、落とし穴にはまった気分。狭い場所に閉じ込められてのびのびと呼吸ができない状態です。「フランス語もドイツ語もいらない。英語だけで十分だ」「英語も読み書きはいらない。オーラルだけでいい」ランキングには狭い基準がいります。ばらけると査定できません。それで狭いところに追い込もうとするのです。


■「査定病」になっている日本人


今、日本は貧乏です。バブルまでは、フランス文学にさえお金は回ってきた。研究費もどんどん上がりました。ところがある時期から「貢献度」が言われ始めます。アクティビティ、エビデンス、査定。実は僕も当時は賛成しました。ところが疑問に思い始めた。みんな同じことをしないと「査定」なんてできないのです。

それでどうなったか。日本は学術的発信力も急落。受賞数、論文数、引用数も低落。なぜか。イノベーションがなかったからです。イノベーションと査定は水と油。日本は完全に縮減社会になりました。その原因の一つは人口減少。何を基準にしてパイを分配するか、それを査定し始めた途端、低落が始まった。隣のパイを気にするようになる。そこから憎しみが生まれる。本来そうなったときには、パイをあきらめて他の物を食うべきなのに、パイの分配方法でもめている。そんな場合じゃないのに。

こういうことです。熊本でインフルエンザが発生。福岡のホテルに避難する計画を提案した。ところが役所からは却下された。誰をそのホテルに入れるか、査定が難しいというのです。それならみんなで我慢しよう。避難所に支援物資の毛布が運ばれてきた。嬉しい。ところが、避難所全員に配るには足りない。それで役所は「持って帰れ」と返答。これじゃあみんなで死にましょう、ですよ。タイタニック号の場合はどうだったでしょう。限られたボートに乗るためのパニックは起きなかった。我が国の役人には優先順位がわからない。査定に取りつかれ、ほとんど病的になっている日本人に、どうして新しいものが生み出せるでしょうか。「縮減社会」で新しいことを作り始めるには相当厳しい状況です。政治も格付け、学術家会議の会員選びにもランキング。こんな人間が政治家をやっている。


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■コロナ禍が明らかにした資本主義の脆弱


話を戻して、喫緊の課題は人口減少です。あまり報道されませんが実は、2018年からもう100万人減っています。30年後には3000万人る見込み。今後は年間100万人のペースで人口減という事態なのに、政府内にこれに取り組むセンターは存在しない。政策も出ません。実は密かに進められています。それは「都市一極集中」策です。中途段階は、まず中核都市に人を集める。ばらばらに住んでいたのでは管理コストがかかりすぎるからです。方法は医療と学校を都市部に移すこと。そうすれば住民は動くしかない。次には交通機関の縮小。よくわかる事例は赤字路線の廃線です。赤字の鉄道をバスにすれば合理的、という理屈に、なるほど、と思うのはまずい。道路やトンネルも経年劣化します。しかし、利用者が少ないということで、メンテ予算は出ない。不便は自己責任だというわけです。結局は、土地を捨てろということなんです。過疎化、人口減は、地方では想像以上にすごいことになっています。観光地として有名な岐阜県郡上八幡。土地の方に尋ねると、子どもの代までここに住もうというのはたった二軒だといいます。現在は二百軒。10年後には二軒。100分の一ですよ。二軒なら、バスも通さず、道路も直すまい。福島も九州も災害から復興していませんが、それも本気で予算をつけずに窮乏を待つ、棄民政策の一環といっても言い過ぎではない。

地方創生、コンパクトシティ、スーパーシティ化なんて、表向きには言われています。行政サービスの合理化と集中。日本人は「コスト削減」というと、すぐに賛成する。そんな流れを看過しているうちに、30年たつと日本は、首都圏だけに人が集まる国になってしまうでしょう。もちろん政府は地方にそんな見通しは言いません。言ったら、地方票頼みの自民党議員は全員落選ですから。

これに対抗するシナリオなんて、あるんでしようか。あります。明治時代、日本の人口は5000万人でした。そして全国各地に人がいた。みんな地方で暮らしていた。経済成長など考えなければ、それで生きていられるのです。資本主義は行き詰まった。日本はそのフロントランナー。そんななかでも、豊かに生き、自尊感情を持つことはできると考えます。それには資源を地方に少しずつ広げていかなければならない。しかし、政府から一極集中策の原案が出ない以上は、個人的な考えとして反論するしかありませんでした。

そこへコロナです。一極集中への警鐘が、思わぬところから鳴らされた。集中はパンデミックに弱い。都市で暮らす危険が顕に。それだけではありません。収束の見通しのない自体が予想されます。近年パンデミックを起こしたウイルスは、どれも動物由来です。本来感染しないはずのウィルスに人間が感染するというのは、人と獣の境界線が崩れことを意味している。環境破壊が一つのピークを超えたということです。これは、一旦収束してもすぐに次が来るということです。もう後戻りはできない。次の感染症流行までの間隔がどんどん短くなっていくでしょう。

それでも人間が人間らしく生きるにはどうしたらいいのか。備えがいります。従来の、在庫ゼロが合理的、ものは今必要なだけあればよく、足りなくなれば買えばいい、という考えでは乗り越えられません。コロナ禍対応における、米中の差はそこでした。中国には備蓄があった。ヨーロッパで深刻な被害となったイタリアも医療用マスクなど物資が欠乏しました。ところが頼みのヨーロッパ諸国は自国分の確保優先で、売ってくれない。売ってくれたのは唯一、中国だけでした。イタリアはEUに対し大きな不信感が残った。

必要なものは金で買えるというのが、資本主義の原則だった。必要なものは自給、国内生産しかないとなれば、それは資本主義の歴史におけるはじめての事態です。金で買えないものがあると認めればグローバル経済の基盤は崩壊します。

これから世界は大きく変わっていくでしょう。感染症が定期的に訪れるかもしれぬ時代へ。対策はひとつ。人と違ったことをすること。それを認めることです。


■「逆フロンティア」の境界域で展開する後退戦


安倍政権は日本のシンガポール化を目指してきました。東京五輪も、大阪万博もそのための布石でした。しかし、このような集中型の国家戦略はもはや、頓挫せざるを得ない。こんな私のシナリオを支持してくれる人は誰もいないけれど、自分としてはこれしかないと思っています。

こうした人類の経験しなかった自体に向けて必要なことは、地域を広げて自然の侵食を食い止めること。これからは後退戦です。信ずるべきは人ひとりの力。ひとりいれば崩れないお寺も、その一人がいなければあっという間に崩壊します。住むことの損耗よりも住まないことの劣化が早い。以前は竹林だった場所にあった一軒家で、人がいなくなってしばらく経つと、竹が床を突き破る。竹林に戻ろうとするのです。開拓時代のアメリカはどうだったか。開拓者は100万人、60年ですべて開拓し尽くした。アメリカの広さに対して驚く程の少ない人数です。人間のあくなき破壊願望が自然を刈尽くす。それが生産力にも転じる。

今の日本は逆フロンティア、自然と文明の境界域に人が立つ必要があるのです。少なくていい。農耕する必要も、必ずしもありません。彼が居る、それだけで自然の侵攻は止めることができるのです。誰も指摘しないが、境界にはフロントラインの人がいなければならない。無住状態にしてしまえば、そこにはカオスがあらわれます。

宇沢弘文先生は自然環境を「社会的共通資本」(social overhead capital) の一つに位置づけています。これを生き延びさせるには、農村人口を20パーセント上げること。根拠はありません。私の直感です。フロントラインにエビデンスはない。先行事例がないですから。それでも、複数の分野の人々が、地方に向けて直感的に動いている現状がある。それが感染症時代に対抗するライフスタイルであることを見抜いているからです。以上のことから、本学の研究テーマとして、「自然と人間の境界」を立てることを望みたいと思います。

いまや人類は文明史の転換点に立っているといっていいでしょう。正解は誰も知らない。処方箋もない。周知を集める必要があります。それぞれの現場で、ご尽力を期待します。


■キーワードは「勇気」


質疑応答の時間。

Q  江戸時代、日本がスペインの植民地にならなかったのは?

A  日本が当時「強大」だったから。莫大な経費と軍事力をかけるメリットがなかったからでしょう。

Q トリエンナーレでの問題について一言。

A 同情申し上げます。わかりやすい主張は、野蛮です。

Q 地方離散のシナリオについて。

A ミクロの視点で見ると、離散してしまっては日本は持ちません。

Q 地方回復への打開策は。 

A 先日平田オリザさんと話し合いました。回復する自治体は、文化的ハイエンド。例えば、おしゃれ なカフェにイタリアンレストランがあり、女性が住みやすいところ。文化的な集客力をもつこと。

Q SNSの発達、リモートワークは地方の活力になるか。

A 都会のリスクを避けるには合理的でしょう。

Q   直観力を高めるために、教育の場はどうすればいいのか。   

A 先の見えない時代に向かう方向を決めるに必要なのが直観力。体験的に思うのは、だれにでも直観 力はあるということ。ただ、それに従うには、時には周りの人を押しのけなければいけない。勇気が必要です。心と直感に従う勇気が。それは…教えることができない。どこにでも「やること」に対する反対者はいるからです。

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コメント

コメント(2)
だめだ、こりゃ。
財務官僚が正義を貫くために自殺し、それを嘲笑・無視した首相と副首相。
自殺は良くないことですが、彼を追い込んだのは事実でしょう。
その後継首相を「苦労人」と誇大表現で持ち上げるマスコミ、それを簡単に信じ込む沢山の人達。
(だめだこりゃ)と思いました。
政治家がダーティーなのは世の常ですが、大量の国民がトロすぎます。
私もトロいですが、ここまでひどくはないと思っています。

不二家憩希

2020/10/08 URL 編集返信

yositaka
Re:だめだ、こりゃ。
不二家憩希さん
みんな、大局観をもつのが怖い。考えるのが怖い。私もそうです。でも勝手ながら、国の舵取りする人がそれでは、心もとない。
アメリカの大統領候補の討論を聞いていると、やはり大局観がなく、半ばやけっぱちに目先のことばかり言いつつ、とにかく相手を罵倒してでも勝ってやるというエネルギーが伝わってきます。
それが日本では感じられない。それが不二家さんのいわれるトロさなんでしょうね。
内田さんは「根拠も出せないし、だれも支持してくれない話ですが」といいながら、90分間ノンストップで、落ち着いて、しかも熱のある言葉で語り続けました。
野蛮や幼児化を回避するのは難儀ですが、こういう言葉には希望の種があります。数年来、このひとの言葉に気力を補填してもらって、こんな記事を書いているわけです。

yositaka

2020/10/08 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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