雪の人くい谷ー続・五箇山ぐらし

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偕成社 1982.5


■故郷への長い旅


天保13年春。松吉たちが五箇山に流刑になって2年が過ぎていた。年貢米をめぐる不満が原因で罪人となった加賀西念の村役とその家族たちは、今では五箇山利根谷の村人にすっかり溶け込み、忙しい毎日を送っている。14歳になった松吉も、つらい床下の塩硝作りを自分にまかされた特別な仕事と心得て励む日々だ。

そんな彼らに命が下された。金沢本願寺の回収に必要なケヤキの五本の切り出しである。雪に閉ざされた五箇山に検分にやってきた山奉行の佐藤は高圧的で、ケヤキの切り出しも五本ではなく十五本だと無理難題を言い渡す。しかし作蔵じいをはじめとする村人はしぶとかった。西念の助けも借りて、突貫作業で見事に納入する。「おかげで枝の貯えもできた」と胸を張る。

しかし難題は終わらない。今度は、加賀藩主母君の病気快癒を祈願する、巨石の奉納だ。これにはさすがに窮した村人たちだったが、間一髪、松吉の機転で切り抜ける。

松吉たちの働きは、とうとう認められた。

かつての「やくざもの」で、今は足軽頭となった余助や、誠実な公事役同心の佐藤の尽力もあり、女子ども十五人の、四日間の里帰りが許されたのだ。二年ぶりに見る故郷西念で、松吉は美しく成長した幼馴染のおふゆとも再会し、村人たちとやすらぎのひとときを過ごす。そして、全員が罪を許され帰郷する日を思い描く。松吉の予想は、あと五年、だった。

しかし五箇山に戻った松吉たちの前に、探りを入れるように日参する、ひとりの商人があらわれる。一方西念でも、松吉たちの知らない間に、困窮した子どもたちをめぐる別の出来事が進行している。二本の糸は、やがて「雪の人くい谷」でひとつに合わさり、物語はクライマックスを迎える。


■作家としての成熟、そして積み残したもの


「天保の人びと」に始まる「松吉三部作」を締めくくる長編。かつおきんやが教え子の中学生とともに調査を始めたのが1955年。本作刊行が1982年。実に27年の歳月をかけた大作となった。

本作は五箇山に流刑となった松吉たちの2年後に実現した里帰りから、全員の免罪までを描いている。五箇山での生活描写と松吉の成長に的を絞った第二作とは違い、再び支配階級である武士の搾取に苦悩する百姓たちの姿か描かれている。

ただし、ここに登場するのは、武士に翻弄されまくりだった第一作とは違い、知恵と行動力を駆使して、難題を切り抜けていく、強き共同体として成長した百姓たちである。これこそ、作者がほんとうに書きたかった民衆像だったにちがいない。

また、女性の存在感がやや薄かった前二作と比べて、松吉とおふゆのほのかな思慕が描かれているのも大きな魅力だ。さりげなく抑えた書き方ではあるが、かつお師の作家としての成熟が伝わってくる。

「あとがき」には「今やっと第三部を出すことができました」とある。「完結」とは書かれていないところに注目したい。結びの直前にあらわれる唐突なクライマックスのあと、わずか数行で述べられる「結末」をはじめ、五箇山移送の途中で姿を消した松吉の兄、孝蔵のその後の人生、松吉の恋路など、本作には随所に「未完の趣」が感じられる。また、かつお師の作風なら当然解明されてしかるべき、「積み増しされたケヤキ」の真相もあきらかになっていない。

巻末に掲載された「解説」で、西本鶏介は「かつおきんやは、児童文学者というより歴史小説家」と述べ、本作のことも「歴史小説」と呼んでいるが、どうだろうか。かつお師自身は「歴史児童文学」という呼称を好んで用い、「児童文学」という概念には常に意識的だった。そのことと、本作で「書ききれなかったこと」には関係があるのではないか、とネコパパは思う。

なぜなら、最後に用意されたクライマックスも、ケヤキをめぐるミステリーも「児童文学的」な要素を存分に含んでいると思うからだ。そこをいささか「積み残し」たことで、本作は前半の描写シーン過剰さも相まって「歴史小説」への傾斜を強めたのではないかと思うのである。

ご本人がお元気なら、お聞きしてみたかった。残念である。

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コメント

コメント(2)
三部作だったのですね!
 三部作だったのですね!
 1955年ころに生徒といっしょに調べていったのは、当時の、京都の『北白川こども風土記』などと軌を一にする動きです。木下順二らの雑誌『民話』なども。雑誌『民話』を見てあれッとおもったのは、ファンタジー元年とも言われる1959年のまえに、いぬい・とみこ氏が、佐渡島に昔語りの語り手に会いに出掛けていること。民衆からの聞き取りが子どもの文学の周辺で燃え上がっていたことです。後年、昔話研究で名をなす福田晃氏は、そのころ、大学生で人形劇を子どもたちに見せるサークルに入っていたそうです。子どもたちに関わる歴史や民俗や説話の、調べごとと創作や上演が交錯した一瞬が、そのころだったといえるようです。かつおきんや氏は、それを一瞬ではなく、かなり息長く泳いでみせた方だと思います。かつお氏の粘りはすばらしいです。

シュレーゲル雨蛙

2020/10/03 URL 編集返信

yositaka
Re:三部作だったのですね!
シュレーゲル雨蛙さん
コメントありがとうございます。
『北白川こども風土記』は当時の子どもを巡る地域事情を知るのにたいへん有益な本でした。児童文学者もこうした地域掘り起こしの文化活動の機運に大きく影響を受けたと考えられます。

いぬいとみこの『木かげの家の小人たち』に指摘されている「小人像の中途転換」は、作者の民話への傾倒が大きく影響しています。途中から登場する日本の小人アマネジャキは、当初の構想にはないものだったのです。

かつおきんやは、研究者としては明治大正期の作品研究に幅広い視点をもっていましたが、作家としては金沢の地域に密着した歴史児童文学を書き続けるという姿勢を生涯崩しませんでした。かえってそれが読者を限定したともいえますが、児童文学史上、唯一無二の財産と思います。です。あらためて検証されるべき人でしょう。

yositaka

2020/10/04 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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