ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調Op68「田園」
アンドレ・クリュイタンス指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
日Warner +Tower Records TDSA 4(SACD)
録音:1960年5月
録音会場:ベルリン、グリューネヴァルト教会
プロデューサー:ルネ・シャラン
エンジニア:ホルスト・リンドナー
第1楽章 10:23
開始は遅い。フレーズは息長く、後に行くほど大きく膨らみ、ゆっくりと弱音に。これが楽章全体を通しての基本姿勢で、弱から強、強から弱への、ゆったりと深い呼吸感に満たされている。
響きは長い残響も手伝って、全体によく溶け合っている。オーボエやフルートのソロなど、木管のピックアップは控えめだ。
クリュイタンスの個性は、弱音部分に顕著に現れる。
個々のパートが、明確な輪郭線を描くことなく、ある色からある色へ移りゆく、そんな音彩の変化がが聴いていて心地よい。この感じは聴き覚えがある。この指揮者がラヴェルやドビュッシーやフォーレでいつも聴かせる、柔らかく溶け合い、温もりを感じさせる、あの独特の響きである。
クリュイタンスは、アクセントやスタッカートで音を切り立たせたり、俊敏な動きやトゥッティの迫力を強調することが、ほとんどない。「力感」をになっているのは、もっぱら強靭な低弦で、たとえば再現部直前など、すごい勢いで前面に押し出てくる場面もある。音の厚みもあり、力強さに欠ける印象はないが、コーダの最後の盛り上がりなどは、ちょっとやわらかすぎる気もする。
第2楽章 13:48
ぐっと音を伸ばして奏でられるテーマ。長い残響のせいもあり、水面のさざめきのような第二ヴァイオリンはあまり目立たない。一定の速度でゆったりと流れる、川幅の広い大河を思わせる。
木管パートが遠くてくっきりせず、特にフルートの音が遠いのは残念だが、オーボエとクラリネットは明瞭で、紛れもない「ベルリン・フィルの音」だ。
ここでも弱音部の音作りはすばらしく、艶の乗ったチェロにファゴットが重なり、えも言われぬ「特別な音色」を生み出す部分など「音の魔術師」と呼びたくなる。コーダの「鳥の歌」では、鮮やかなフルートソロが初めて前面に出て、クラリネットが繊細な弱音でこれに応える。
第3楽章 5:54
前楽章の気分を残すように傾らかな出だしから一息ついて、ダイナミックな運動に転ずる。
管楽三重奏は底光りのアンサンブル。とくにオーボエは名人芸だ。トリオでは強靭な低弦が唸りを上げる。ただし、なぜか「農民の舞踏」という感じは伝わってこない。ここは舞曲ではなく、あくまでアレグロの音楽、ということなのだろう。
第4楽章 3:44
弦楽の強靭な合奏を軸にした、堂々たる進軍。中でもコントラバスの威力がすごい。
この迫力に追い打ちをかけるのが、ティンパニのずしっと重い連打音だ。ここも第3楽章と同じく、嵐や雷雨の描写というイメージはあまり湧いてこない。このあたりのニュアンスはどう言い表したらいいのだろう。壮大な叙事詩を感じさせる絶対音楽、とでも言えばいいのか。
第5楽章 9:51
前楽章の変わり目、低減が声を潜めるのとほとんど同時に、オーボエとフルートが入る。阿吽の呼吸だ。それを合図に、音楽は再び第1楽章の荘重な流れに回帰する。
遅く控えめなテーマの提示。
フレーズの形をくっきり表すよりは、よく作りこまれ、ブレンドされた全体の響きに包み込まれる。
音楽は寄せては返しつつ、次第に高揚していくのだが、クリュイタンスはここでも冷静さを保つ。
感情の高ぶりをストレートに表出するのではなく、音の丹念な作り込みと、微妙なニュアンスの醸成に徹するのだ。音楽は高揚するかわりに、さらに呼吸を深め、テンポを落としていく。最後の「祈りのフレーズ」、それに続く終結部を支配するのは、厳かな静寂である。
■描写を排した、精緻な音楽美
フランス音楽の権威だったベルギー生まれの指揮者、アンドレ・クリュイタンス。
ベルリン・フィルハーモニーによる、初めてのベートーヴェン交響曲全集は、彼の指揮によるものである。
これとほとんど同時期、EMIはドイツの指揮者カール・シューリヒトとも全集録音を進めていた。オーケストラはクリュイタンスの手兵、パリ音楽院管弦楽団。これには当時から「逆では?」という意見も聞かれたというが、実は、クリュイタンスはモノラル時代、1955年にもベルリン・フィルと「田園」を録音している。それが好評だったため、2年後には「第7」も録音。その実績が、同社はじめてのステレオ録音による全集に発展した。
そのクリュイタンスの「田園」は、70年代初めには東芝セラフィム・レーベルの廉価盤LPになっていて、学生にも手に入りやすかった。
けれども、これを友人宅で聴いたネコパパの印象は「重い・遅い・盛り上がらない」というもので、気品と洒脱に満ちた、フォーレやラヴェルの名指揮者、というクリュイタンスのイメージとはやや隔たりがあった。
その印象は、長い間変わらなかったが、今回ひさしぶりにSACD化された新盤を聴き直し、リマスターかDSDか、どちらの効果かわからないが、印象をあらためた。やはりこれは、あの唯一無二の、ラヴェルやベルリオーズを演奏した指揮者のものに間違いない。
深い呼吸で音楽をつくる、音作りの魔術師クリュイタンス。彼ならでは「田園」である。
そしてもう一つの発見。フランス音楽の権威と呼ばれたにもかかわらず、この人は「描写の面白さ」を狙うタイプではなかった。
それで、思い出したことがある。高校生時代、指揮者も解釈も不要の、つまらない曲と思い込んでいたラヴェルの「ボレロ」が、クリュイタンスのレコードを聴いて、初めて「良い曲」と感じられた、あの体験である。クリュイタンスは「ボレロ」をバレエ音楽でもオーケストラのショーピースでもなく、ひたすらに「音を作り込む」曲としてとらえたものだった。単に鳴っているだけの音はひとつもなく、全てに色合いと意味とニュアンスがある。そこに感動があった。
そんなクリュイタンスが、同じ演奏姿勢で「田園」を作りこんだ結果が、この録音である。それは見事に完成された、精緻な音楽であった。でもそれは、ネコパパが「田園」に求める感動とは、ちょっと異質なものなのかもしれない。
ベートーヴェンはこの交響曲を「情景ではなく感情の描写」と呼んだ。
ほとんど同時期の1959年に「田園」を録音したフリッツ・ライナー。クールな構築主義者で知られた彼でさえ、フィナーレでは、抑えていた感情を吐露するかのような高揚を聴かせている。
そういう演奏と比べると、このクリュイタンス、ちょっとポーカーフェイスすぎるのでは、と感じられてしまう。
もっとも、クリュイタンスがいつもそうだったとは、限らない。パリ音楽院管弦楽団を指揮した1964年の東京ライヴ、ベルリオーズの「幻想交響曲」では、驚くべき高揚を聴かせていた彼である。「田園」にも、ライヴ録音があれば、あるいは…
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コメント
クリュイタンスのベートーヴェンを聴いて思ったのは、その響きの立体的なこと。あ、これは立方体だ、これは円錐だみたいに、各楽器が置かれるべき位置に置かれて互いに繋がりあっているような、響く空間がくっきりと目に見えるような聴こえ方だと思いました。
これをよいと見るか、杓子定規と見るか。好みの問題かと思います。吉田秀和『世界の指揮者』でベートーヴェンの7番について、面白い比喩をしていたと思います。遠くから汽車がどんどん近づいてくるはずなのに、一向に汽車の姿が大きくならない、だったかしら、なるほどなあ、と思いつつ、こう考えました。遠くから汽車がどんどん近づいてくるとは規則正しく遠近法的に音楽が演奏されている。それにも関わらず、心の中の盛り上がり、フルトヴェングラー的な即興的感興が一向に沸き上がって来ないのは、不満だということかな。吉田の感想はこんな感じだったかと思います。
しかし、貧乏時代に買ったCDだから自分を満足させるために贔屓しているのかも知らないけれども、蛙はこのクリュイタンス盤の立体的な演奏、これはこれでなかなか耳にすることの出来ない名人芸だと思われました。
田園も、音響の立体的な構成をしっかりと聴かせてくれるなあと思いました。懐かしい盤です。
シュレーゲル雨蛙
2020/08/21 URL 編集返信この盤は私たちの世代には思い出が多いようです。ジャケットが食べ物の写真のCDにも記憶がありますよ。「クラシック・エッセンス100」。あれはまだ、ちょっと高くて、一枚2500円でした。そのあと1990年代後半の「セラフィム・シリーズ」が1500円。
>その響きの立体的なこと。あ、これは立方体だ、これは円錐だみたいに、各楽器が置かれるべき位置に置かれて…
なるほど。低弦にどっしり土台を固めさせた上で積み上げていく構成感は確かにそうかも。残響がもっと少なければ、そこが一層際立ったのかもしれません。
吉田秀和の評言は、大変的確で、しかも面白い。彼はこういう比喩が実にうまい。物を常に分析的に見る人なんでしょうね。
yositaka
2020/08/22 URL 編集返信私がベートーヴェンの第7を聴くために最初に買ったのがクリュイタンス&BPOで、黄土色ジャケットのセラフィム盤でした、ゆったりテンポでしなやかに拡がる音響、引き締まった感覚もあり、気に入って聴いていました。
今聴くと弦が前に出て、管やティンパニの打音が引っ込んでいるのがやや物足りないですが、EMI盤の特徴だったようにも思います。
michael
2020/08/24 URL 編集返信その音とりが個性的で、よく響く会場でマイクが少なめ、ということだったのでしょう。EMIの初期ステレオは、こういう音で始まったのです。
DeccaやRCAとは違う発想です。
黄土色ジャケットのセラフィム盤は東芝最初の1000円盤でした。
デザインはありきたりでも、ジャケットは堅牢で盤質良好。現在は初期盤が高価で取引されるような、いいものがそろっていました。
ただ、ベートーヴェンの交響曲はなぜか、全部がクリュイタンスではなく「英雄」はケンペ、「田園」はクーベリックだったのです。
それでファンの要望があったのか、しばらくして2枚組2000円でクリュイタンス盤を発売。かなり行き当たりばったりな企画でした。
yositaka
2020/08/24 URL 編集返信クリュイタンスの田園に関しまして、何やら催促したような形になって仕舞い、申し訳無く存じます。
私も、この演奏に関しては、闇雲に感動すると云うような類のものとは思いません。クリュイタンス、或いはプロデューサーかは判りませぬが、何故田園を最後の録音にしたのか、と考えますと、矢張り相当に構えて居たのでは無いかと感じます。
第5なんぞを比べて聴きますと、もっと明朗快活な解り易い田園も可能だったと思いますが、敢えて内省的とも思える表現を取って居る事が判ります。細部まで作り込んで居ますが、それが表面的に解り易い方向では無く、聴き手をふるいに掛けるような「品格」を感じます。
ライヴでは…と仰せですが、私が思うに、ライヴでは例の「幻想」のように解り易い表現になったように思います。
脱線しますが、オケの差かも知れませぬが、私はフィルハーモニア管との音盤の方が、抑えた不気味さを感じて好みます。
田園も同じ表現法で描かれて居るのでは、と思って居ます。
音盤を一つの「作品」と捉えると、クリュイタンスの考え方が理解出来るような気がします。
夢似果
2021/01/28 URL 編集返信コメントありがとうございます。体調は大丈夫ですか。無理せずのんびりやってください。
さて、クリュイタンスのステレオ盤全集では、「田園」が最後の収録になっていたんですね。あまり意識していませんでした。考えてみればモノラル盤が先行していますから、再録音が後に回されたのは自然といえば自然です。モノラル盤との比較も興味のあるところですが、録音の傾向が違っており、モノラルの方が幾分デッドな音でした。解釈自体はそんなに変化がありません。
>聴き手をふるいに掛けるような「品格」
深く聞けばそうですが、クラシック初心者が聴いても癖なく曲の魅力が伝わって、いいんじゃないかと思います。クリュイタンス盤でこの曲に入門した人は幸せだったと思いますよ。
私が当初「重い・遅い・盛り上がらない」と感じたのは、既にワルター、イッセルシュテット、ベームの三枚に馴染んでいたせいもあります。
ウィーン・フィルの音が基準になっていたからでしょう。最初に買った「田園」のレコードはカラヤンでしたが、ベルリン・フィルではなくフィルハーモニア盤で、これも響きは明るかったですからね。
yositaka
2021/01/29 URL 編集返信