「動物と話せる少女リリアーネ」を読む②ケストナーの血脈

第3巻。
 (8)

リリアーネのママは、政治番組のキャスターの座をねらうアナウンサーです。
彼女は、リリの「秘密」が世に知られることで自分の仕事が脅かされることを恐れ、事あるごとに秘密を漏らさないように、リリに念押しをします。
専業主夫のパパや、メカに強く大工仕事の得意な母方のおばあちゃんは、リリをいつも温かく見守っていますが、リリとママの関係はずっと緊張をはらんだままです。

さて、夏休みを過ごすために、北海沿いのペンションに滞在することになったリリ一家。
両親が海外勤務で不在中の、親友イザヤも加わって、海辺での楽しい日々が始まります。
もっとも、ママはほとんどこもりっきりで仕事に没頭しているのですが。
リリはここで、足の不自由な、内気な少女フェリーンと、彼女の風変わりな母ゲノヴェーヴァに、海では観光客の出す騒音によって方向感覚を失い、自分たちの海に帰れなくなってしまったイルカたちに出会います。リリとイザヤはまたも才能を発揮して、彼らの問題解決のために走り回り、泳ぎ回ることになります。

第4巻
 (9)

イザヤの両親は長く海外勤務で、彼は叔父のコルネリウスに預けられています。その家がリリの家の隣だったことから、ふたりは仲良くなりました。
ある日、リリは家の近くで不思議なチンパンジーと出会います。
確かにチンパンジーなのに、その仕草は人間のようで、もっと不思議なのは、どんな動物とも話せるはずのリリの言葉がまったく、通じないのです。
例によってリリとイザヤはチンパンジーの秘密を探り出そうとするのですが…動物コレクターの大金持ちの屋敷を調べようとしたそのとき、なぜか突然、イザヤノ態度がよそよそしくなります。
さらには意外な場所で再会した、いじめっ子トリロジィの深刻な家庭の事情。
複雑に絡み合い、先の読めない物語が展開していきます。

この2冊の結末は、子ども向きの物語の枠を、大きく超えたものになっています。
第3巻では、イルカの家族を故郷の海に返すために、海辺の環境を改善する運動が必要になります。イルカの方向感覚を司るエコロケーション能力が、観光客の水上バイクなどの騒音で働かなくなるからです。
リリとイザヤが解決策として選ぶのは、佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」で登場した「関係者に悪夢を見させる」といった「ファンタジーを生かした、うまい方法」ではなく、デモ行進を計画し、ラジオを通じて参加を呼びかけるという、いたって現実的な方法です。
第4巻では、金にあかせて野生動物を買い漁るコレクターや、動物密輸など、犯罪がらみの問題も扱われます。リリやイザヤがいかに才能のある子どもでも、さすがに小学生には手に余る。
ところが作者は冷徹。たとえ子どもであっても、不正や不当な行いに出会ったら、冷静に、正しく判断し、行動しなければならない。
ときには、友達や自分の家族でも糾弾する厳しさが要供される。作者は遠慮なしに、リリたちをそういう場に立たせています。トリクシィの家で、彼女が母親に虐待される現場に居合わせた二人は、ビネガー園長が児童相談所に連絡し、トリクシィ姉妹が保護される場面を目撃します。また、叔父の不正を知ったイザヤが、涙をこらえて、自分で警察に通報する場面も出てきます。

子どもたちの葛藤は丁寧に描かれますが、最後の決断では、決して情を挟まず、社会正義を実行する。児童文学では、まして本書のようなファンタジーでは、めったにお目にかからぬ場面ではないでしょうか。ここには、エーリヒ・ケストナーらが築いた、ドイツ児童文学の血脈が生きている、と感じます。
これを読むと、近頃の日本の児童文学は、いささか個人の内面に嵌まり込みすぎているのでは、と心配になってきます。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメント(0)
コメント投稿
非公開コメント

プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

ご訪問ありがとうございます

月別アーカイブ

検索フォーム

QRコード

QR