「レコード芸術」のバロック音楽の月評や、ラジオ番組「バロック音楽の楽しみ」の解説を長く勤めた人で、名を知って50年近くになる。
日本のクラシック音楽会に、中世ルネサンス、バロック音楽を啓蒙、定着させた功労者であった。
そして、名番組「音楽の泉」の解説を31年。92年の生涯の最後まで現役。
心からお悔やみ申し上げます。本当にお疲れ様でした。
西洋音楽史学者の皆川達夫さん死去92歳 NHKラジオ「音楽の泉」司会31年以上
2020年04月22日 15時00分 スポニチアネックス
中世・ルネサンス音楽の研究で知られる西洋音楽史学者の皆川達夫(みながわ・たつお)さんが今月19日午後10時42分、老衰のため横浜市内の病院で死去した。92歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で執り行う。今年3月までNHKラジオ第1「音楽の泉」(日曜前8・05)の司会を31年以上にわたって務めた。番組公式サイトも訃報を伝えている。
NHK―FM「バロック音楽のたのしみ」(1965~85年度)「音楽の泉」(88~2020年)と長年にわたって西洋古楽、クラシック音楽の普及に貢献。「音楽の泉」の番組公式サイトは「今年3月まで31年以上にわたり、この番組の司会を務められました皆川達夫さんが、4月19日に逝去されました。謹んで哀悼の意を表します」としのんだ。
インターネット上にも「『音楽の泉』を勇退されたばかりでの訃報。ご冥福をお祈りいたします」「驚きました。3月29日『音楽の泉』で最後のお声をお聞きしたばかりですのに」「本当に体力の続くギリギリまで、音楽の素晴らしさを伝えてくださいました。『みなさま、ごきげんよう』がもう聞けない」などと悲しみの声が相次いだ。
立教大名誉教授。長崎県平戸市・生月島で隠れキリシタンによって口伝えで受け継がれてきた祈りの歌「オラショ」の研究に携わり、ラテン語の聖歌との関わりを明らかにした。著書に「バロック音楽」「洋楽渡来考」などがある。
ネコパパは、中世ルネサンス、バロック音楽の熱心な聞き手ではない。
ただ、皆川達夫著、昭和54年発行のこの本は、新刊で入手して以来ずっと、手を伸ばせば届く場所にあって、ちょっと知りたいことがあれば、いつも紐解いていた。
指に触れる部分はもう、すっかり黒ずんでいる。長年、お世話になった一冊だ。
本書の面白いところは、博覧強記の知識だけではない。あちこちで、皆川氏の本音の発言が読めるところ。
「わたくしの音楽の好みはかなり偏っておりまして、たとえばカラヤンの指揮したヴィヴァルディなどは好みません。音楽作りそのものが耐えられないのです。そして第一、わたくしはそのヴィヴァルディの作品さえ、あまり好きではありません」
1ページ目の「まえがき」からして、これである。好感を持たずにいられようか。
氏のヴィヴァルディ嫌いは有名だ。ポピュラー名曲「四季」の項では「手放しの楽天主義にはついていけない」と言いながら、取り上げないと「この本の売れ行きもがたんと落ちてしまいますから」と、しぶしぶ取り上げている素振りを隠さない。
こんな正直さで語り、しかもそれが嫌味にならない音楽評論家は、めったにいない。
推薦盤の選択にも、意志を通している。
カラヤンはもとより、バッハの鍵盤曲では当時、誰もがまっさきに推薦していたグレン・グールドもほとんど無視。無伴奏チェロ組曲では、パブロ・カザルス盤ひとつだけを推奨。
録音も演奏も古い、という反論には、みごとな啖呵で切り返す。
「録音が良くなければいかなる名曲名演奏でも聞く気がしない、という人が最近増えつつあるようですが、それでは一体何のために高いお金を払ってオーディオ機器を買い込んでいるのでしょうかしらね。エ、何ですか。『どうしても、もっと良い録音のレコードが欲しい』とおっしゃるのですか。どうぞ勝手になさってください。どれでもお気に召した「音」のレコードを買って、喜んでお聞きになればよろしいでしょう」
ネコパパはこの一節が痛快で、ここを読み返すために、何度も本書を手に取った。ここに示された皆川氏の「オーディオ観」は、いわゆるマニアのものとは違う。でも、核心を突いている。そこにネコパパは、いまも深く共感を覚える。
皆川氏が解説を担当された、NHKラジオ伝説の長寿番組「音楽の泉」だが、ネコパパがまともに聞き出したのは、ついここ1年くらいだ。
この番組では、バロック音楽にとどまらず幅広い曲を取り上げ、交響曲などの紹介では、1楽章ずつコメントしながら丁寧に紹介された。美声とは言いがたいが、語頭にアクセントを置いた押し出しの良い発声とリラックスした語り口が心地よく、毎週エアチェックして通勤の車中で聴くのが楽しみになった。
なかでも魅力的だったのは、声楽曲の訳詞など、女性言葉のところも全然もったいぶらず、朗々と朗読されるところだ。ファンの間では「神回」と呼ばれている、「現代の若者言葉」を駆使したバッハの「コーヒー・カンタータ」の内容紹介など、忘れがたい名調子であった。
4月末に訃報を知り、この番組はどうなるのかと心配になった。
その時点では、3月はじめの放送エアチェックを聞いているところだったので、消息がわからない。吉田秀和の「名曲の楽しみ」の時のように、かなりの録り溜めがしてあるのか、それとも…
すると、5月の終わりだったか、名曲喫茶ニーベルングからの帰路に、「音楽の泉」のある回が再生された。
聴きなじんだ皆川氏の解説が始まる。
「私が解説を担当するのは、今回が最後になります」と語り起こされ、すぐに本題。最後は「私事になりますが90歳を超えて少々健康にも不安を感じるようになりましたので、今回で終わりとしたいと思います。皆さんごきげんよう、さようなら」とあっさりと閉じられた。
最終回の曲目はバッハの「無伴奏ソナタとパルティータ」である。
演奏はヘンリク・シェリング。「バロック名曲名盤100」で推奨されていたドイツ・グラモフォン盤だ。選ばれた曲目は4曲。
無伴奏バイオリン・ソナタ第2番イ短調BWV1003
無伴奏バイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004から「シャコンヌ」
無伴奏バイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006から「ガヴォット」
自宅に戻って放送日を確認すると、それは3月29日の放送だった。
逝去の三週間前である。
氏の人生を象徴するような、見事な引き際であった。
ネコパパ、この音源データはずっと宝物にしたい。
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コメント
手持ちの「イスパニアの音楽」(17世紀のオルガン音楽)も日本語解説を皆川達夫氏が監修
されていました。皆川達夫氏は、スペインの芸術音楽を発掘・研究されていたのですね。
チャラン
2020/06/16 URL 編集返信「ビウエラとギター」の解説などは翻訳にもよほどの知識が必要です。とにかく、中世からバロック時代の音楽についての広範な知識では、並ぶもののない存在でした。
現在では分野が細分化されて、細かいところではより高度な(マニアックな)専門家がいると思われますが、全般に詳しく、しかも素人にもわかりやすく伝えてくださる人となると、そうはいないでしょう。近現代なら片山杜秀氏がいますが…
「ギターとビウエラ」もそうですが「コーヒー・カンタータ」の語りも一部「音楽を楽しむ会」でご紹介しました。
yositaka
2020/06/16 URL 編集返信いままでモーツァルト交響曲第39番変ホ長調、最初にカザルス、次にクレンペラー盤聴いて、異名同音の転調てのを確認していました。それからスマホでニュースチェックしようとして、まずネコパパさんチェック。うーん。最近、追悼多いです。合掌。
追記)民俗音楽では、やはり長崎県の隠れ切支丹が伝えたオラショ(オラトリオ)発掘です。
シュレーゲル雨蛙
2020/06/16 URL 編集返信これを書いていて思い出したのですが、大学1年のとき、起きがけにラジオをつけると「バロック音楽の楽しみ」をやっていて、シェリング演奏のバッハ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番」でした。
それがあまりに美しい曲なのに驚き、その日のうちにレコード店に走って全曲(といっても一番廉いシゲティ盤)3枚一気に買って聴いたことを思い出しました。
思えばそれがネコパパのバッハ開眼だったかもしれません。解説が皆川氏だったのかは記憶にないのですが、もしそうだったとすれば、なにかの因縁を感じますね。
オラショについては「バロック名曲名盤100」でも言及されていて、関連するものとして皆川氏監修のLP「サクラメンタ提要」が紹介されていました。
yositaka
2020/06/17 URL 編集返信特徴ある語り口がお気に入りでした。
”名曲の楽しみ”も毎週聞いていました。
番組降板を告げる放送を聞き(やっぱりか)と思いました。
放送に出ている芸能人、文化人等は、自分から番組を降りることはまずありません。
体調が余程悪いか、犯罪かそれに近いような大きなスキャンダルを起こしていない限り、自分からは辞めないんです。
ラジオは特にそれが顕著です。
声だけで良いので足元がおぼつかなくなり車椅子でスタジオするようになっても番組に出続けます。
病院のベッドの上で収録することもあります。
黒田恭一さんも自主降板し数日後に亡くなりました。
皆川さんの放送では、降板一ヶ月前ほどにNHKのスタジオ録音ではない回がありました。ご自宅等で録音された音声でした。(番組内では説明無し)
NHKのスタジオに通うだけの体力が無かったのでしょう。
皆川さんのヴィヴァルディ嫌いは面白いと感じていました。
ヴィヴァルディは最高の音楽家なのに、なぜそこまで嫌う(笑)と思っていました。
不二家憩希
2020/06/17 URL 編集返信なるほど確かに、吉田秀和氏も児山喜芳氏も、自分からはお辞めになっていない。それだけに皆川氏の引き際のよさは目立ちますね。体調悪化を自覚されたとしても、なかなかこうはいきません。
ヴィヴァルディに対する姿勢は、皆川氏が高く評価するテレマンやコレッリが、ヴィヴァルディほどは聞かれない悔しさから来た戦略的な言動だったのかもしれません。
あるいは、ご本人の主張はわかりませんが、ヴィヴァルディが大戦期のイタリアで国威発揚のために「再発見」「喧伝」されたという歴史的事情を意識されてのことかも。
ネコパパ自身は、ヴィヴァルディは大作曲家だったと思っています。「四季」よりも陰影豊かな傑作がたくさんあります。
yositaka
2020/06/17 URL 編集返信今はヴィヴァルディはオペラ作曲家として再評価されてきている気がします。
パワポ作りでいま帰宅途中。オンライン参りました。
シュレーゲル雨蛙
2020/06/17 URL 編集返信ヴィヴァルディがたくさんのオペラを書いたことは知られていても、20世紀はほとんど取り上げられなかったのではないでしょうか。声楽曲としては「グローリア」が時々聞かれるくらいでした。
オペラは、「春」のテーマをそのまま使ったアリアもあって魅力的な曲も多いです。まあ、バルトリのアリア集で聞いているくらいですが。
「ヴィヴァルディばかり流している喫茶店」…違和感はありませんね。そういう音楽としても使えると思います。それがモーツァルトだとちょっと、ですが。
yositaka
2020/06/18 URL 編集返信オン・ブックス名曲名盤100シリーズは、案内本、いや、デート指南書として全部揃えました。
ある種の熱病からでした。
(名曲名盤100シリーズ執筆陣の皆川達夫、諸井誠、門馬直美、大木正興。ラジオから流れた各氏の声が懐かしい)
音大の彼女とは、建築家・黒川紀章が女優・若尾文子に「君はバロックのようだ」と讃えた《バロックの恋》を話題にして、皆川バロック音楽と黒川バロック美術を語り合ったものです。
ある種の熱病からでした。
今、バロック音楽が好きだという女性が現れたら「君がバロックだ」と讃える準備はしています。
ひきこ杜
2020/06/18 URL 編集返信書籍をいっぱい揃えて読んで、「君がバロックだ」と女性を称える。いやあ、素材はバロックながら、なさっていることは「ロマンティック」そのものですねえ。
バロックは標題性がなく、音楽に言葉を持ち込んだのが「ロマン派」とすれば、オン・ブックスそのものが、ロマンティックな存在といえましょう。
現在は新刊が出ていないのでしょうかね。いろいろ読みましたし、「ただいま放送中」(1991)という、NHKディレクターの書いた放送番組の裏話等、類書のないものもありました。
ただしバロックの語源は「ゆがんだ真珠」であります。教養あるご婦人に「君がバロックだ」なんて言ったら肘鉄ものかもしれません。ご用心!
yositaka
2020/06/19 URL 編集返信皆川さん、亡くなられたのは知りませんでした。40代のころから、すでに老大家の貫禄がありました。
ヴィヴァルディ嫌い、『四季』嫌いは、吉田秀和氏に通じますね。
私は、ルネサンス音楽は「合わない」と感じて、いちどCDを全部処分しましたが、『バロック名曲名盤100』と吉田氏の『LP300選』とで、選りすぐって10枚ほど買い直しました。
改訂版『ルネサンス・バロック名曲名盤100』では、さらにCD紹介が更新されて、有益です(と言いながら、これ以上買いませんけど;;)。
ひきこ杜さんのお話、ネコパパさんのおっしゃるとおり、ロマンティックの極みですねえ♪
皆川さんも、ワインに造詣が深かったり、ワーグナー好きだったり、豊かなロマンティックも持っていた方だったかも。
へうたむ
2020/06/20 URL 編集返信吉田秀和はヴィヴァルディ嫌いでしたか?
「LP300選」をめくってみると、いやあ…「四季」について、言ってますね。
「私はこの曲を好まない。何を好んで特に幼稚な表題楽的手法のために、音楽の本当の醍醐味が軽薄になり、進行が乱されているような曲の流行の片棒を担ぐ必要があろう?それよりはむしろ作品3の『調和の霊感』をとろう。なんにしてもヴィヴァルディがかくも流行するのは、音楽がかるいだけでなく…」
一方コレルリについては「微妙な半音階的変化を持った旋律の交錯の中に、終始保持されている一種のローマ的清澄さだ」として持ち上げています。
この本はのちの吉田秀和が隠してしまった「本音」がたっぷり含まれていて、好きな本でした。
ただ、私にはあくまで「文章として面白い」本で、レコード選びの参考にはなりませんでした。この人の音楽の(演奏の)好みが、自分とあまり重ならないことに気づいたからです。一方で、皆川氏のレコード選択は真っ当です。「バロック名曲名盤100」の、なんと、カバーの裏に記された演奏家豆辞典での忌憚のないコメントは今読んでも面白い。
yositaka
2020/06/20 URL 編集返信コロナでソーシャル・ディスタンスやリモートワークが平気な世の中になりました。人々の意識と行動がますますディジタル化へ。まさに無血革命の真っ只中であることを実感しています。その中で、針を下ろす仕草は台風の目の中にいるようなものなのか。
隣家からの映像か、宇宙船からの映像か区別できないようなモニター画像を見ていると、脳内がゆがんだ真珠になります。それより、教養ある令夫人の肘鉄のほうが有難い。(満員電車の肘鉄には十分気を付けています)
『アサヒカメラ』が休刊に。『レコ芸』はだいじょうぶ?
出版社や広告主に屈することなく「本音の文章」を袋とじやカバー裏に偲ばせてください。体温の高いコメントが読みたいのです。
ひきこ杜
2020/06/21 URL 編集返信「隣家からの映像か、宇宙船からの映像か区別できないようなモニター画像」…ううむ、まさしくその通りです。物理的ディスタンスは離れても、時空のディスタンスはむしろ近すぎる。このコロ難儀で思うことは、生命の危機よりもむしろ個人の危機です。人間が数値化され、電脳空間の粒子の如くなり、そこにコンピューターウィルスならぬコロナウィルスが侵入して個人を囲い込み無力化する。
LP、CDを再生し紙の本を読むのは、ネコパパには適度なディスタンスと著作者への敬意が保てます。一方、瞬時にコンタクトできるデータ音源、電子書籍のような「ひかりもの」には手応えがなく、袋とじやカバー裏のような「陰影」もなく、どうにも「正対」できないところがあります。
なんとか生き残って欲しいと思うのですが。
yositaka
2020/06/21 URL 編集返信-
2020/06/29 編集返信