SP盤をゴミにした日~ネコパパと蓄音機②

ネコパパの生家にレコードプレーヤー(電気蓄音機)が到来したのは昭和33年(1958)年のこと。
ネコパパ、3歳。
この機械には、買った父以上に関心を持ったらしく、やたらといじる。
ついに業をにやした父は、得意の日曜大工の技でこんな「おもちゃ」を作ってくれた。
残念ながら、実機の写真は残っていない。
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正確な購入日時は不明なのだが、父が丹念に整理していた写真帳に、メモ書きがあった。
新し物好きの父は、昭和30年代の経済成長期に、周囲に合わせて、ぼちぼちと買い求めて言ったらしい。同じ年にテレビも購入したようだ。
住居はバラックみたいな市営住宅、いまでいう2DKで、家族5人が居住という「うさぎ小屋」だったから、大柄な家電は買えない。どんな製品も様子見しながら「小型の普及品」が出た頃に購入されるのが我が家の常だった。
「高いものはよう買わん。が、一番安いものは貧乏臭い。だから一番安いものからひとつ上のものを買うんだ」

父は趣味人だったが、音楽やレコードには、カメラやサボテンほどには関心を持たなかった。
ただ、同僚のTOさんが近くに住んでいて、彼はジャズやクラシックもよく聞き、ジャズ喫茶を開くのが夢だと言っていたようだ。記憶は曖昧だが7歳頃に父と訪問したことが一度ある。
当時家にあった僅かなレコード類に、ポール・アンカやダイナ・ショア、ビング・クロスビー、ナット・キング・コールなどが含まれていたのはTOさんの影響だったのかもしれない。

その電蓄を家では単に「プレヤー」と呼んでいた。
4スピードで、33回転、45回転の他に16回転、78回転も掛かるようになっていた。
オモチャ電蓄も、ちゃんとそうなっている。当時はまだSP盤も普通に売られていたのである。「超LP」16回転盤というのは全く見たことがなく、ずっと謎のままだったが…

その「プレヤー」の広告らしきものをネットで発見!
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まったく同じ製品だったか、断定はできないが…昭和33年で定価5500円。決して安くなかったはずだ。
スピーカーはなく、ラジオに接続して使用する。ラジオは家にあったものを使った。接続はどうやってしたのだろう。アンプ機能もない。ターンテーブルが回り、カートリッジ(ピックアップ)で発電する、それだけである。
面白いのは、カートリッジ部分が回転式になっていたことだ。78回転用盤と33、45回転盤用の二つが背中合わせになっていて、先端でくるりと回して交換するようになっていた。78回転用は緑色、33、45回転用は赤色、と色分けがされていた。
どちらで掛けても音は出る。ネコパパは回すこと自体を面白がって、好き勝手に掛けたものだ。
アームは太くて、重量がある。それでも針が飛ぶときは、アームの上に10円玉を載せて重くすることが普通で、ネコパパも何度もやった。10円玉は4.5グラム。載せて再生すれば、すごい高針圧だが、下がりすぎて盤とアームが擦れたりはしない。この頑丈さは、手回し蓄音機のサウンドボックスに通じる。

生家には、少ないながらSP盤もあった。
記憶にあるのは「汽車ぽっぽ」と「かわいい魚屋さん」の入った日本コロムビアの「コロちゃんレコード」2枚、「キャピトル」レーベルの数枚入り、小学生から見ればなり大きな「アルバム」、それに「なごやラプソディ」という一枚。
「アルバム」に入ったものが何だったか、今ではそれが最も気になるのだが、小学生のネコパパは自分でかけることはしなかったし、父が聴いていたという記憶も、まるでない。「グッド・バイ」という曲名一つが記憶に残っている。キャピトル盤で「グッド・バイ」といえば、見当がつきそうな気もするのだが…昭和47年の転居のとき、他のガラクタと一緒にゴミにしてしまった。

その日のことは記憶がある。
当時9歳の妹と庭でガラクタ遊びをしていて、
「こんなレコード、どうせ捨てるんだから割っちゃおう」
「わっちゃおう」
と、地面に投げつけた。ところが割れた黒い部分は表面だけで、中身は茶色いボール紙の芯だった。
「あれ、レコードの中身って紙だったの?」
ずっしりと重く、異国的なデザインと横文字をあしらった「レコード盤」の存在感が気に入っていたネコパパには、がっかり…の結末だった。

その時すでに、件の「プレヤー」は家にはなかった。
父がサンヨーの小型ステレオセットを買った際、いったんはネコパパに払い下げとなったが、中学生になってまもなくスピーカー付きの、やはり「サンヨー」の小型電蓄を買ってもらったのを機に処分されたのである。
以後50年、ネコパパ宅でSPレコードが鳴ることはなかった。
幾年月を経てSP盤と再会し、蓄音機喫茶エヂソンで「なごやラプソディ」を再び聴く日が訪れようとは、当時のネコパパ少年は、夢にも思っていない。
(つづく)





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コメント

コメント(8)
昭和のプレーヤー
こんにちは

同じ頃、うちにも同じようなプレーヤーがありました、ラジオに繋ぐタイプで、
ピンプラグはなかった時代、芯線とシールド線を繋ぐ端子があったと思います。
神戸一郎、江利チエミ、水原弘、ペギー葉山のレコードがあったのは記憶して
います、絵がプリントされた童謡のレコードも、
レコード店に行くと現行機種の交換針がずらり置いてありましたね。

michael

2020/05/24 URL 編集返信

yositaka
Re:昭和のプレーヤー
michaelさん
芯線とシールド線を繋ぐ端子…なるほど、そんな感じでしたか。アナログなつなぎ方ですね。
歌謡曲も村田英雄とか、何枚かあった気がしますが、あまり聞いていた記憶がありません。絵がプリントされた童謡のレコードは確か、ありました。ソノシートみたいなものです。
のちにSP盤ピクチャーレコードの存在は知りますが、それはなかったと思います。針交換はおそらく必要だったと思いますが、自分で交換した記憶はありませんね。ずいぶんいいかげんでした。

yositaka

2020/05/24 URL 編集返信

5球スバーと4スピードプレヤー
5球スパーなっかしいですね中学の時、自由研究で5球スーパーヘテロダインラジオのキットを組立て提出したら親が先生に呼び出され放送部員になった思い出があります。

セットの4スピードプレヤーは、今は死語になった「ロッシェル塩」の圧電効果を利用したクリスタル型ピックアップですね。
ロッシェル塩の結晶に針圧をかけていますので多少のことは問題ないですが、現在のMCカートリッジに同じことをお孫さんがしたら「うーん」泣きますね。
16回転もできるのは驚きですね。16回転用のレコードをさがしていますが私には幻しです。
ネコパパさん情報がありましたらお知らせください。

チャラン

2020/05/24 URL 編集返信

yositaka
Re:5球スバーと4スピードプレヤー
チャランさん
我が家には写真とは少し違うもっと横長タイプの管球ラジオが2台くらいありました。母の実家にはドラマに出てくるような木製縦型のラジオもありましたね。プレヤーばかり聴いていてラジオを聴かないでいたらそのうちチューニングが合わなくなってしまったことを覚えています。
プレヤーは長持ちしましたね。
幼児の酷使にも耐えて頑張っていました。昭和33年の5500円は現在の貨幣価値だと3万円くらいなので、当時としては大金です。それで父も苦肉の策でおもちゃを作ったのでしょうが、はたして気をそらす効果はあったのでしょうか。

yositaka

2020/05/24 URL 編集返信

SPは紙?
>黒い部分は表面だけで、中身は茶色いボール紙の芯だった。
SP盤は紙にシュラックとか言うものをコーティングしたものということでしょうか?全部シュラックかと思っていました。

>昭和33年の5500円は現在の貨幣価値だと3万円くらい
もっと高いです。12~5倍位ではないでしょうか?思い切り譲歩しても10倍はあります。

不二家憩希

2020/05/25 URL 編集返信

yositaka
Re:SPは紙?
不二家憩希さん
10倍ですか。親父もよく買ったなあ。同時期にテレビも。そんなに太っ腹な性格ではまるでない。勢いだったんでしょうね。当時の人々の。

茶色いボール紙の芯は、戦中戦後の材料不足による「上げ底」だと長いこと思っていましたが、そうではなく、日本コロムビアの開発した針音を少なくする工夫だったようです。
当初は材質にも気を配り、初期はシェラック、パルプ、シェラックと三層にして、材質の違いによる反りや歪を防止したとのこと。昭和14年頃までの状態の良いコロムビア盤は、針音がほとんど感じられないほど少なく、音質も良好で世界最高品質とまで言われたそうです。
ただし、戦争で物資が不足するとシェラックも薄くなり、パルプも粗悪化して材質は全体的に低下していったと思われます。昭和20年前後の、よく使用された盤はツヤがなく、カビ取りのために強めにクリーニングしたりすると地のボール紙が出てくるくらいシェラック部分が薄いことがわかります。

yositaka

2020/05/25 URL 編集返信

キャピトル盤の「グッドバイ」
はじめまして。東京都在住の蓄音機コレクターです。
ベニー・グッドマン、トミー・ドーシーなどの
スイング・ジャズを聴いています。
さて、キャピトル盤の「グッドバイ」ですが
間違いなくベニー・グッドマンのレコードですね。
カップリングは「メモリーズ・オブ・ユー」。
とても素敵なバラードが2曲カップリングされたレコード。
日本で映画「ベニー・グッドマン物語」が公開された時に
発売されたものでした。1955年の盤ですね。

あきら

2021/07/10 URL 編集返信

yositaka
Re:キャピトル盤の「グッドバイ」
あきらさん
ようこそ。コメントありがとうございます。今後もよろしくお願いします。
ベニー・グッドマンですか。これから気を付けて探したいと思います。
「ベニー・グッドマン物語」はいい映画でしたね。「メモリーズ・オブ・ユー」が大変効果的に使われていた覚えがあります。当時は生前でも伝記映画が作られる時代でした。
1955年というと、私が生まれた年でもあるので、その点でも感慨深いものがあります。

yositaka

2021/07/10 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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