追悼リー・コニッツ、92歳、コロナ禍に…

コロナ禍によってまたひとり、高名なミュージシャンが亡くなった。ジャズサックス奏者のリー・コニッツ。
ジャズ史の分岐点の一つとなったマイルス・デイヴィスのセッション「クールの誕生」(1949)に参加した9人の最後の一人である。ネコパパもジャズを知ってから40数年、ずっと聴いてきた。短い命を燃やし尽くすタイプの多いこのジャンルにあって、生涯現役、89歳までリーダー・アルバムを出し続けた人。
心よりお悔やみ申し上げます。

リー・コニッツが死去 死因は新型コロナウイルスによる肺炎

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米アルト・サックス奏者のリー・コニッツが、現地時間4月15日(水)にニューヨークの病院で亡くなった。92歳だった。彼の息子ジョシュによると、死因は新型コロナウイルスによる肺炎だったという。
アルト・サックスの名手として知られたリー・コニッツ。70年以上におよぶキャリアの中で、ビル・エヴァンス、マックス・ローチ、チャールズ・ミンガス、アート・ペッパーなど、数々の巨匠たちと演奏をともにした。
また、1949年〜1950年に録音され、のちに発売されたマイルス・デイビス・ノネット(九重奏団)の名盤『クールの誕生』にもメンバーとして参加。同作のメンバーで“現存する最後のひとり”としても知られていた。

82歳のときに米NPRがおこなったインタビューで、リー・コニッツは自らのキャリアをこう振り返っている。
「そうだな、私は可能な限り控えめだった。大金や大きなレコード・セールスにも無頓着だった。だからこそ、古株として動き回ることができたし、周りからも敬意を払われ、演奏する機会ももらえたんだ」


■モダン・ジャズの白い閃光

初めに聴いたのは大学時代、例によって大学の裏門のすぐ近くにあったsige君の下宿の一室、あるいはジャズ研の部室だったかもしれない。
それは、彼の最初のアルバム「サブコンシャス・リー」。
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師匠レニー・トリスターノ入りのはじめの4曲は、アンサンブル重視のクールな現代音楽風だが、その師匠が抜けた後がすごい。氷の叙情感みなぎるバラード「ユーゴー・トゥ・マイ・ヘッド」、それとは対照的な疾走を聴かせる「マシュマロウ」、ビリー・バウアーのギターとの緊迫のデュオ「レベッカ」。ドライアイスのように熱い「白い閃光」のようなアルトサックスだ。

豊橋駅前の窖のようなジャズ喫茶で何度もLPがある。
「サブコンシャス・リー」から30年後のコニッツが、ベーシストのレッド・ミッチェルと演奏したデュオ・アルバム「アイ・コンセントレイト・オブ・ユー」(1978)。
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ネコパパはレッド・ミッチェル主体で聴いていたかもしれない。
鼻歌交じりの、自在そのもののベースは、チェリストのロストロポーヴィチを思わせた。
対するコニッツの楽しげなサックスも魅力的だが、よく聴くとフレーズの頭が弱かったり、長い音が保てずかすれたり、と、かつての「閃光」は、既にない。
それでも「イージー・トゥー・ラブ「ワード・ビー・ソー・ナイス…」など、コール・ポーターの名曲の数々を楽しげに歌い奏でる二人の演奏はかけがえがない。今もやっぱり好きなアルバム。

社会人となって初めて買ったコニッツのCDは、確かこれだ。
CD初期、名古屋中心街の地下にできたばかりの輸入盤専門店。一枚一枚に日本語でアルバム名やメンバーを記したカードが添えられていた。LPで見たことのない、米パシフィック盤もあった。そのひとつ。ジェリー・マリガンのピアノレス・カルテットに参加したアルバム「コニッツ・ミーツ・マリガン」(1953ライヴ)。
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これはもしかしたら「サブコンシャス・リー」以上に、コニッツの「白い閃光」ぶりが楽しめる一枚かも。冒頭「トゥ・マーベラス…」はじめの一音からしてそうだ。「ゾース・フーリッシュ・シングズ」「オール・ザ・シングズ・ユー・アー」など、最初のうちはマリガンもベイカーも音を抑えてコニッツのソロを押し出し、後に行くに従って3人が対等に絡むスリリングな展開を聴かせていく。

次に買ったのは…これかな?
家の近くにあった貸レコード屋(そういう商売があったのだ)が廃業、在庫処分セールをしたときだ。ジャズはほとんどなかったが、このCDにはハッとした。「リー・コニッツとウォーン・マーシュ」(1954)
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ベースがオスカー・ペティフォード、ドラムスはケニー・クラーク。リズムが「ずん」と分厚く、ハード・バップの色合いが強い。
そのためか、コニッツのアルトも影を帯び「オレンジ色の閃光」に。同じトリスターの門下のマーシュとの呼吸はコニッツが剛ならマーシュは柔、掛け合いというより渾然一体。

同じ二人が1959年にライヴ演奏したのがこれ。
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「リー・コニッツ・ウィズ・ビル・エヴァンス・アット・ハーフノート」ずっとオクラになっていて、1994年に初発売されたライヴ盤。ビル・エヴァンスはトリスターノの代理で参加とのことだが、ジミー・ギャリソンのベース、ポール・モチアンのドラムスと息のあったトリオで二人を支える。「コニッツ・ウィズ・マーシュ」の5年後だが、演奏は一転し「白い閃光」ふたたび、という感じの丁々発止のスリリングな演奏が展開。ふたりのサックスの演奏中は、エヴァンスは沈黙を守り、後半になってよりすぐった音で短いソロを取る。

最近は、1950年初頭のあまり聴く機会のなかったアルバムも、CDで入手しやすくなった。

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どれもすばらしくいい。
大体は早いテンポの曲はさらりと草書で、パラードはじっくり丁寧に歌いこむ。スタイリッシュで、素振りはクール、でも実はロマンティスト。
そして、コニッツの場合、短めの演奏時間の中でも決して自分だけが目立つようなことはせず、他のメンバーにもしっかりとソロスペースを与えているのもいい。晩年のコメントにある「可能な限り控えめに」というのは若い頃からの姿勢だったようだ。こういう人も、ジャズ界にはちゃんと存在していた。
合掌…

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コメント

コメント(2)
コニッツも。
リー・コニッツもですか。
コニッツが高速演奏をしていた期間は想像以上に短いんですよね。
早々と演奏能力の劣化がきてしまったようですが、凄いのはそれ以降です。
録音やライブのオファーが晩年まで途切れなかったのですから。
70歳を過ぎるともうすっかり遅くしか吹かなくなってきましたし、音色も艶がなくなりました。
でも、その演奏されるフレーズは唯一無二の実に味のあるものでした。
7~80歳台頃のライブ演奏がYou Tubeで色々聞けますがどれも素晴らしいです。

ところでコロナ肺炎で亡くなったジャズ・ミュージシャンをラジオで追悼放送されているのですが、バッキー・ピザレリは取り上げられていません。
けしからん!
良いミュージシャンなのに、日本での評価は今ひとつなんですかね。

不二家憩希

2020/04/19 URL 編集返信

yositaka
Re:コニッツも。
不二家憩希さん
流石に良くお聴きになられていますね。
晩年のコニッツは東京ジャズに出演しているのをTVで拝聴したくらいです。音楽のイメージは随分違っていました。
もちろん、後年の演奏にも素晴らしさはあるのでしょう。ところがいかんせん、ネコパパのジャズ趣味は1960年代どまり、コニッツも60年代以降のアルバムで聴くのは「デュエッツ」(1967)と、記事で触れたレッド・ミッチェルとのデュオくらいでした。You Tube、見てみます。

バッキー・ピザレリはジョン・ピザレリのお父様でギタリストなんですね。地道な活動を続けられて、本格始動は1970年代とのことですから、なかなか拝聴の機会がありませんでした。
この方もコロナで…94歳。合掌。

yositaka

2020/04/19 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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