宮澤賢治がジャズ誌の表紙に!

宮澤賢治が「Japan Jazz」(116号、2020.5)誌の表紙に登場。「スイングジャーナル」直系の伝統あるジャズ誌である。
これは珍事だ!

61r5y9rdXDL.jpg

記事の筆者は中川智広という方。
「ニッポンジャズ100年」と題された連載の「外伝」として掲載されたもの。
筆者は、宮澤賢治は日本初の「ジャズ文学者」であり『セロひきのゴーシュ』は日本初の「ジャズ文学」だという、大胆な仮説を明らかにしたいという。

まずはじめに「日本初のジャズ文学者」とする理由。
中川は宮澤賢治の詩や童話に「ジャズ」という言葉が何度も出てくることに、まず着目。
その契機は、1921年の最初の上京ー所謂「決意の家出」だったのではないか、と推測する。賢治が生涯持ち続けたSP盤の収集やオルガン、セロなどの楽器演奏への興味、詩に「ジャズ」という言葉を書き入れるといった行動の全ては、その上京後、帰郷して花巻農学校教諭となった時期以降に始まっているからである。
1923年9月に書かれた詩「火薬と紙幣」に出てくる「ラッグ」という言葉は「ラグタイム」のことであると推測し、これは日本の文学作品の中で最も早く記された「ジャズの言葉」だった可能性があると中川は指摘する。
1924年8月に花巻農学校で上演された戯曲「ポランの広場」で効果音楽として指定されたレコードを調査したところ、その盤の裏面には「ラグ」が収録されていたらしい。
「ポランの広場」には当時のジャズである「フォックス・トロット」が登場する場面もある。ただこれらの言葉は「ジャズ系」の音楽を示してはいるが「ジャズ」そのものではない。「ジャズ」初使用は、谷崎潤一郎(1924年3月~6月掲載「痴人の愛」)に先を越されていた可能性がある。
賢治が初めて「ジャズ」という言葉を使ったのは1924年7月の詩「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」である。筆者はこの()を、無声映画の背景音楽を指示するような「ト書き」ではないかと推測する。賢治は鉄道を描いた詩のバックミュージックとして「ジャズ」を選んだのかもしれない。

次に「セロひきのゴーシュ」が検討される。
従来は「クラシック音楽の話」と解釈されることが多かった作品だが、実際は「ジャズ文学」なのではないか。
まず、ゴーシュの所属する「金星音楽団」は、クラシックのオーケストラと看做されがちだが、ジャズでもダンス音楽でも、なんでも演奏するのが「活動」の楽士の仕事である。そのモデルになっているのは、東京のダンスバンド「ハタノ・オーケストラ」ではないかと推測している。

登場する楽曲「インドのとら狩り」が1930年のフォックス・トロット、「愉快な馬車屋」がオリジナル・ディキシーランド・ジャズバンドによる1917年、世界最初のジャズ録音である「リヴァリー・ステイブル・ブルース」としているのは、先にご紹介した黒沢政男教授の検証と同様である。加えて筆者は「ノベルティ(擬声)」の含まれた曲に対する賢治の嗜好にも着目。彼が好んで題材とした岩手軽便鉄道の蒸気機関車が、英語で「アイアン・ホース」と呼ばれることにも、動物、馬との類似性を見る。
賢治は活動写真館で「ノベルティ的なジャズ」がしばしば演奏されるのを聞いた。て、そこに漂うユーモアや、賢治が得意としたオノマトペ的表現に共鳴するものを見出し、惹かれ、「詩の背景音楽」としてもジャズがふさわしいと考えたのではないか。

「愉快な馬車屋」の演奏場面もまさにジャズだ。子だぬきはドラマー、ゴーシュと子だぬきは「リヴァリー・ステイブル・ブルース」をテーマにジャム・セッションを展開し、ゴーシュはそこでリズムの遅れを指摘され、その重要さを知ることになる。
そしてさらに深読み。アンコールで「インドの虎狩り」を演奏して喝采を浴びたゴーシュに楽長が語る言葉「ゴーシュ君、よかったぞう。あんな曲だけれども、ここではみんなかなり本気になって聞いていたぞ」の中にもジャズの本質が読み取れるという。すなわち「曲よりも演奏」。この洞察が本作を「ジャズ文学」にしているというわけだ。

実は、賢治が1926年の上京時にチェロの手ほどきを受けた新交響楽団の大津三郎は、1922年に「ハタノ・オーケストラ」に在籍し、活動写真館「東洋キネマ」でチェロを弾いていたという。
筆者は、賢治のチェロの師匠が実際に「活動写真館でセロを弾く係」だったことを指摘。ゴーシュが大津の経歴から生まれたのかもしれないという仮説も提示する。大津入団以前のハタノ・オーケストラは、1916年から1921年3月まで、新橋の映画館「金春館」で演奏していた。1921年1月、賢治は「家出」の際にそれを聴いたのかもしれない。筆者は「金星」と「金春館」の近似は決して偶然ではないと見ている…

いやいや、刺激的な記事を拝読させていただいた。
中川氏の「クラシック愛好家、宮澤賢治」のイメージを覆す「ジャズ文学者としての宮澤賢治像」の確率。説得力十分である。今後賢治作品のイメージに、ジャズの要素を付け加えていくと、どんなことになるだろう。
あの、高畑勲監督のアニメーション映画「セロひきのゴーシュ」(1982)は、クラシック音楽の面からアプローチした傑作だった。細部まで原作に忠実なつくりなのに、ゴーシュのセリフから「ジャズか」という言葉が注意深く削除されているのは、おそらくそのせいだろう。
将来、ジャズの側面も意識した映像化の試みがなされることも期待したい。

ジャズ・ファン宮澤賢治、読者として、いっそう親近感が持てる気がするな。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメント(2)
宮澤賢治とジャズ
宮澤賢治のチェロの師大津三郎氏が、「活動写真館でセロを弾く係」であったとの指摘からの推測。若き賢治は、活動写真館でジャズを聴いたのかも、だとしたらその曲名・題名何だろう研究の成果が楽しみですね。

豊明市立図書館の「音楽を楽しむ会」
10月10日(土)「開館40周年・文学と音楽「宮澤賢治」
ネコパパさんの選曲を今から楽しみにしています。

チャラン

2020/04/14 URL 編集返信

yositaka
Re:宮澤賢治とジャズ
チャランさん
「音楽を楽しむ会」、図書館側では「ベートーヴェン」シリーズと「文学と音楽」に絞って、今年は開催できればという意向です。6月に再開できれば全てできますし、やりたいですが、それまでに疫病が収束するかどうか…ウーン。

中川智広氏の「ジャズ文学者・宮澤賢治」、なかなか説得力のある主張でした。それにしても世界初のジャズ録音から知っていたとは驚きですね。大津三郎の経歴も面白い。オーケストラの前はダンスバンドでチェロを弾いていた。やがてその「ハタノ・オケ」なるバンドは、多くが山田耕筰の主催する日本交響楽協会のメンバーになっていくわけです。

yositaka

2020/04/14 URL 編集返信

コメント投稿
非公開コメント

プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

ご訪問ありがとうございます

月別アーカイブ

検索フォーム

QRコード

QR