ベルリン古楽アカデミーによる「元ネタ曲?」と「田園」のコラボ

KNECHT/Le Portrait musical de la Nature ou Grande Simphonie
ユスティン・ハインリヒ・クネヒト(1752–1817):「自然の音楽的描写、あるいは大交響曲」
BEETHOVEN/Symphonie Nr.6
ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 op.68『田園』

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ベルリン古楽アカデミー
ベルンハルト・フォルク(コンサートマスター)
HARMONIA MUNDI CD HMM 902425
録音時期:2019年6月
録音場所:テルデックス・スタジオ・ベルリン
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


ジャケットには大きく「田園交響曲」のタイトルがクレジットされているが、再生してみるとまるで違う曲が始まるのでびっくりする。
CDの一曲目は、ベートーヴェンより20年近く前に生まれた作曲家、ユスティン・ハインリヒ・クネヒトの「自然の音楽的描写、あるいは大交響曲」である。
これはベートーヴェンの《田園》初演(1808年12月)の30年近く前の作品で、全体の構成や各楽章に記された標題から、確証はないものの、影響を受けたのではないか、と推測されている曲らしい。ネコパパは全く知らなかったが、以前から指摘されていたそうだ。レコーディングも初めてではなく、少なくとも3種類目にはなるとのこと。へえー。

■嵐の到来を中心にした描写音楽

…ということで、まずはこの、クネヒトの曲から聴いてみよう。「田園」と同じく、5楽章からなるが、続けて演奏されている。

第1楽章〈美しい風景。太陽が輝き、風が穏やかにそよぎ、谷を小川のせせらぎが流れ、鳥がさえずり、山からも美しい清水が注ぎ、羊飼いが笛を奏で、羊たちが戯れ羊飼いの娘たちが甘い声で歌う〉8.25
弦楽器中心のさらりと明るい曲想。標題からも想像できるが、「田園」の第2楽章を想起させる。管楽器は時折合いの手を入れる程度で目立った活躍はしない。のどかな雰囲気は悪くないが、だだた同じような風景が続くばかりでこれといった展開がないので、8分間が長く感じられてしまう。

第2楽章〈突然空が曇り、あらゆる土地が苦しみおびえ、黒い雲が湧きおこり、風がうねり、雷が鳴り、嵐が少しずつ近づいてくる〉2.36
楽章が変わってもまるで同じ調子だが、だんだんとテンポが遅くなり、陰りを帯びるとともに、嵐の前の不安感が高まってくる。

第3楽章〈激しい風と打ちつけるような雨の嵐がものすごい勢力になる。こずえがざわめき、土砂降りの雨がものすごい音で打ちつける〉5.42
テンポが上がり、ティンパニの強打が加わると、にわかに嵐の緊張が高まる。一方ティンパニの入らない部分はやはり弦楽中心で進行し、トランペットもごく短く入るだけ。実際は単に早いだけで、雄弁なティンパニが自発的に緊張感を盛り上げているだけのような気もしてくる。ヴィヴァルディのフルート協奏曲「海の嵐」に近い感じ。

第4楽章〈嵐が少しずつおさまり、雲が切れ、空が明るくなってくる〉2.07
だんだんと嵐が静まっていく様子。フルートのソロが出てくるところが「田園」を思わせる。

第5楽章〈自然は喜び、天に向かって、創造主である神への大いなる感謝を表し、甘やかな喜びの歌を歌う〉4.53
牧歌的なテーマにヴァイオリンのソロを加えて平和な気分を描写していく。ピチカートを背景に歌うヴァイオリンとフルートのソロは効果的だ。だんだんとテンポが上がってきて、ティンパニも加わり、堂々の締めくくりとなる。
全体的には軽快なライトクラシック、といった趣の音楽で、当時としては斬新だったかもしれない。「田園」のヒントになった可能性も十分あり得ると思う。けれども音楽としては、やや薄味で冗漫な印象は否定できない。資料としては貴重だが…

さて、本題の「田園」を聴こう。

■ほの暗く能面のような

ベルリン古楽アカデミーは、いわゆるピリオド奏法の団体。古楽器使用はもちろんだが、別の視点でも「当時の演奏」を検証している。演奏にあたっては、ベートーヴェンがウィーンで演奏したことのある会場を訪ねてまわり、会場の広さや残響の長さを調査し、当時の劇場年鑑の記録などの文献も参照しつつ、オーケストラの規模や楽器の配置を推測したという。
その結果、弦楽器の数は最小にし、聴衆から見て左側に弦楽器、右側に管楽器、トロンボーンとトランペットとティンパニの背後にコントラバスを置くという独特の配置で演奏している。指揮者なし。ネットの広告写真には23名のメンバーが写っている。
ステレオ再生によって、リスナーは左から弦楽器、右から管楽器という音場で聴くことになるのだが、聴いていて特に不自然な感じはしなかった。

第1楽章 10:59
ピリオド奏法の演奏としては普通のテンポで、思い入れなくさらりと開始。弦楽はいかにもの角を丸めた、平坦な音だ。フレーズは切れ目なくつながっていく感じだが、曲想に合わせて強めのトゥッティ、クレシェンドや溜めなど、単調にならない工夫も凝らされている。全体の音量は抑え気味で、フォルティッシモも「全力」ではなく「ほどほど」に収め、スケール感はあまりない。弦楽器が少ない分、管楽器の動きは明晰だ。それなのに全体の音の色調がとても暗く沈んだ感じに聞こえるのはなぜだろう。
再現部あたりから、演奏はやや活気を増して来るのだが、その沈んだ感じは変わらず、あまり盛り上がらないコーダで締めくくられる。

第2楽章 11:57
声を潜めるようにそっと開始される。鄙びた響きの弦楽器、木質の管楽器の音色がいっそう古雅だ。ふわりとした軽い弦に乗って明滅する木管群の音がくっきりと聞き取れる。しかし彼らの演奏は、無表情といっていいほど淡々として、表情よりも音色の再現に賭けているような印象である。クラリネットとファゴットの音色は、確かに現代楽器には聴かれない味わいがあるが、もっと嬉々とした、自発的な表情が聴きたくなってしまう。曲がどれほど進んでも、気持ちの高まりが感じられないのは、奏者たちが「能面」のような演奏に徹しているせいではないだろうか。
面白いのはコーダの小鳥の歌。「音型」ではなく、意識して「小鳥」を描写している。繰り返し部分ではいっそう遊んでいる。なんだ、やればできるじゃないか、と思ってしまった。

第3楽章 5:12
一転して速いテンポに。主部はリズムの打ち込みが強い。管楽アンサンブルも快速で進め、素早くアッチェレランドしてキレの良いトリオに入る。ここはカチカチと骨っぽい響きが「死の舞踏」みたい。即興的にぐっと音を伸ばすホルンとともに、一気に「嵐」に突入する。

第4楽章 4:01
意外に遅めのテンポ。弦が鋭い刻みを聴かせるが、決め手はティンパニ。他の楽器をかき消さないよう注意を払っているようだが、ここぞというところでは轟音を叩き出す。トランペットとトロンボーンの咆哮も、いかにも古雅で、凄みのない、枯山水に吹きすさぶ嵐という雰囲気だ。

第5楽章 9:49
経過句、導入部も演出なし、テンポも第4楽章のままでテーマが奏でられる。
弦は例によって平坦でまろやか。低減のうねりも丸い。フォルテの部分では金管も加わりそれなりの音量は出ているものの、軽く丸まった音がパラレルに繋がっていく演奏法が基調。この「寄せては返し、積み重なりつつ、高揚していく」音楽が、これではあまり胸に迫ってこない。芒洋とした音塊に身をゆだねているうちに、いつのまにか終わってしまった、という印象である。

ベルリン古楽アカデミーの「田園」を一言で言うなら、ほの暗い音色で描いた「能面」のような音楽、といえば良いだろうか。
小編成で指揮者なし、ということなら、もっと弾けるような演奏者同士の競り合いや即興性があっても良さそうに思うが、そうはならなかった。楽員たちが「合わせる」ことに配慮するあまり、小さくまとまった音楽になってしまったように思う。

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コメント

コメント(6)
描写音楽
こんにちは

興味深いアルバムを紹介いただき、ありがとうございます。
クネヒトの曲は初めて聴きましたが、面白く聴けました、このような描写絵巻のような交響曲は前からあったんですね、戦勝祝いの作品もよく書かれ、ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」もまた描写的ですが、パウル・ヴラニツキーが同系の曲、交響曲ハ短調op.31を書いていて面白いと思いました。
ベルリン古楽アカデミーの「田園」もあえて客観的で演奏史の上塗りを取り払ったように素の姿を細かく聴けるようでこの点好ましく思いました。

michael

2020/03/25 URL 編集返信

Re:描写音楽
michaelさん
昔の解説には、ベートーヴェンの「田園」が最初の描写音楽的交響曲で、ロマン主義の萌芽などと書かれていたものです。1936年の映画「楽聖ベートーベン」でも、嵐の中でベートーヴェンがこの曲を着想する場面がまことしやかに描かれていました。
しかし、何の前例もなく書けた思う方が不自然で、おそらく他にもこの手の曲はあったのでしょう。クネヒトの曲、なかなか面白いと思います。
一方「田園」の演奏は、意外にテンポが遅い部分があることを除けば、ピリオド演奏の標準的なものと思います。響きの艶やかな感触に惹かれる方も多いと思いますが、私としてはいささか体温が低すぎるように思いました。

yositaka

2020/03/25 URL 編集返信

無名でも優れている。
クネヒトの紹介曲を聞いてみました。
なかなか良いですね。
「有名作曲家の未発表曲」と言われて聞かされたら、私は疑わずに納得していたと思います。
こういう知られざる作曲家、作品が多いんでしょうね。
1960年代から70年代の不運にも売れなかった米英のフォークシンガーの稀少盤がYou Tubeに載っていて最近良く聴いています。
これが驚くほど質が高いんです。
発売時の販促活動が弱かったために世間に知られること無く、そのまま無名のまま終わったケースが殆どです。
悲劇としか言えません。

不二家憩希

2020/03/25 URL 編集返信

Re:無名でも優れている。
不二家憩希さん
全く知らない名前だったのですが、ウィキにも載っていますし、作品も膨大に残した人のようです。ベートーヴェンもクネヒトのオルガン曲の楽譜を持っていたそうですし、同時代を生きていたので「大交響曲」を知っていた可能性は高いですね。きっと評価していたのでしょう。
このハルモニアムンディの企画は、ベートーヴェンの交響曲と、彼の同時代の知られざる作品を組み合わせて全集とするもの(演奏者は複数)で、この盤はその第1弾なのだそうです。今後出てくるものにも興味が湧きます。忘れられた作品が、新たに名曲の仲間入りをする機会になるかもしれません。

yositaka

2020/03/25 URL 編集返信

面白い曲ですけれど…;;。
クネヒトの楽曲のご紹介、ありがとうございます。
ググると、フリーダー・ベルニウス盤の演奏が聴けますね。
たしかに工夫が凝らされ、かつ美しい曲ですが、音楽的感動からいうと、「埋もれいていた」理由がわかる、というとちょっと酷評に過ぎるでしょうか…。

吉田秀和『名曲三〇〇選』(『LP300選』改題)の、ハイドン紹介の始まりのあたりに、
「…この頃から、音楽は、いわば軽薄な音楽と本物の音楽とにわかれるようになってくる。」
とあるのですが、なんだかこの記述の実例のような気がしてきます。

> もっと弾けるような演奏者同士の競り合いや即興性があっても良さそうに思うが、そうはならなかった。
> 私としてはいささか体温が低すぎるように思いました。
P.ヤルヴィ盤のベートーヴェンに感じたことと同じです。
ピリオド奏法のテンポの速さ‥‥「フレージング」をする余裕もなく、ほとんどただスコアを正確に音化するだけ、という感じです。
スコアを「解釈」し、そこから指揮者、楽員の「表現したいこと」を表現するのではなく、「ただ楽譜に追われ、楽譜に指揮されている」ような。

へうたむ

2020/03/31 URL 編集返信

Re:面白い曲ですけれど…;;。
へうたむさん
お聴きになりましたか!これは当時は話題になって、何度かは演奏されたのかもしれませんが、現在の耳では、まあ、忘れられたのも納得がいきます。ハルモニアムンディのこの企画は、全9曲こういうコンセプトだそうですが、売れますかねえ。私は、この一枚だけで、もう結構です。
演奏については…音色や配置の再現以外にも、演奏上の主張が欲しいと思いました。指揮者なしのせいなのか、ここでは自分たちの解釈を形にすることよりも「皆で合わせて楽しむ」方に比重が傾いている気がします。聴き手としては寂しいのです。

yositaka

2020/03/31 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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