ピアニスト、マッコイ・タイナーが3月6日に死去されたという。
彼はジャズという音楽をネコパパが意識して、ごく初期に名前を覚えたピアニスト三人のひとりだ。
あとの二人は、ビル・エヴァンス、それからセロニアス・モンク。
三人のうちでは一番地味だったかもしれない。
というのも、あの強烈な個性の持ち主だったジョン・コルトレーンのサイドマンとして記憶したのだから。
でも、アトランテイック盤「マイ・フェヴァリット・シングズ」タイトル曲での、執拗に和音をたたきつける長いソロと、「バラード」でのドビュッシーを思わせる硬質の叙情感は、このピアニストの存在感をネコパパの記憶にくっきりと残した。
当時のリーダーアルバムですばらしいと思ったのが「バラードとブルースの夜」。コルトレーンのクインテットでも聴かせた硬質の叙情に満ち溢れたアルバムである。
晩年は『東京ジャズ』で来日したときの演奏をTVで拝聴した。若いジャズメンたちと混じって、大御所の風格。でも、ピアニストとしての老いは感じられず、タッチは健在だった。ネコパパも、ジャズ好きの友人たちも、1850年代、60年代のジャズが好きなので、マッコイといっても、いまだに若いピアニストのイメージを抱いてしまう。また、若い頃の演奏がピークとみなされ、その後は『余生』と見られてしまうことも多く、「晩年の円熟」に注目するクラシックとは対照的なところだろう。
しかし、この人は最後まで存分生き、存分に弾いた。
ネコパパの好きな一枚、1994年のアルバム『プレリュードとソナタ』では、チャップリンの「スマイル」ベートーヴェンの「悲愴ソナタ」やショパンの「プレリュード第4番」などを、繊細さと力強さを兼ね備えたモダン・ジャズとして弾ききる。
共演しているクリスチャン・マクブライドの強靭なベースがまた、すばらしい。マッコイの晩年のピアノは『余生』では決してなかったと思う。
心より冥福をお祈りします。
マッコイ・タイナーさん死去 ジャズピアニスト
ニューヨーク=藤原学思 2020年3月7日 13時17分
2009年7月にフランス南東部のニースで演奏するマッコイ・タイナー氏=AFP時事
ジャズ史上最も影響力のあるピアニストの一人、米国のマッコイ・タイナーさんが死去した。81歳だった。米紙ニューヨーク・タイムズによると、同日、米東部ニュージャージー州の自宅で死去したという。
1938年、ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれ、13歳でピアノを始めた。
60年からジャズサックス奏者のジョン・コルトレーン(1926~67)らと4人で活動するようになり、「至上の愛」や「マイ・フェイバリット・シングス」などのアルバムで演奏。「黄金のカルテット」と呼ばれたが、65年に音楽性の違いからコルトレーンのもとを離れた。
87年に発表したアルバム「ブルース・フォー・コルトレーン」などでグラミー賞を5度にわたり受賞。2002年には、全米芸術基金の「ジャズマスター」に選ばれた。(ニューヨーク=藤原学思)
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コメント
sige
2020/03/17 URL 編集返信マッコイ・タイナーというと、コルトレーンという巨人の影になってしまった感があり、それはこの朝日の記事にも出ています。紹介されている盤のすべてがコルトレーン絡みですからね。ピアニストとしての評価はむしろこれからかもしれません。
yositaka
2020/03/17 URL 編集返信