
The Last Concert at La Scala : Georges Pretre
Filarmonica della Scala
ジョルジュ・プレートル(指揮)スカラ座フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:2016年2月22日
録音場所:ミラノ、スカラ座
Deutsche Grammophon CD 4817833
「おかしなプログラムだな。それに、収録時間が短い」と、不審に思いながら聴きはじめたのだが、これがすばらしい演奏だ。
フランスの指揮者ジョルジュ・プレートル(1924-2017)は、2008年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートを指揮する姿を見るまで、個人的には認識の薄い指揮者だった。
マリア・カラスがタイトル・ロールを歌った「カルメン」全曲盤(1964)の指揮者で、大阪万博でパリ管弦楽団と来日し、フランシス・プーランクの権威…というくらい。
ところがニューイヤーコンサート以来、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラーなど、たくさんの音盤が出始めて、とくにウィーン交響楽団とのマーラーの交響曲第5番の演奏がずいぶんよくて、すっかり見方を改めたのだったが、その時すでに晩年。
このディスクは2016年2月22日にミラノ・スカラ座でスカラ座フィルを指揮した演奏会のライヴで、これがプレートル生涯最後の指揮になったとのこと。
収録されている曲目は以下の通り。
ベートーヴェン:「エグモント」序曲(10:20)
ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲(8:25)
オッフェンバック:歌劇「ホフマン物語」~ホフマンの舟歌(4:54)
ラヴェル:ボレロ(17:23)
オッフェンバック:喜歌劇「天国と地獄」~カンカン(アンコール)(3:22)
最初の「エグモント」、最初の三和音の音を思いきり伸ばしてゆっくりとはじまるところから「これでなくちゃ」と思わせる。とにかく遅い。そして各楽器のディテールが克明で、全体をやしっかり鳴らしていく。
続くヴェルディは、まあ普通。「ホフマンの舟歌」は遅いテンポをためらいがちに揺らせながら情感を込め抜いた演奏で、センスに満ちたいい演奏と感じたが、白眉は「ボレロ」。
冒頭の小太鼓から大きめの音でくっきり鳴らしていくが、執拗に反復されるメロディーの終わりを、巧みにリタルダントするのがユニークで、これが不思議なことにリズムの流れを崩さない。その小洒落た表情が、全曲にわたって面白い効果を上げていく。一瞬たりとも聞き逃せない音の遊びと緊張を孕みつつ、音楽は盛り上がっていく。
演奏時間17分23秒。
ネコパパにとって最高の「ボレロ」であるクリュイタンス盤も、かなり遅めのイメージだったが、確かめてみると15分11秒であった。
まあ、遅さで言ったら18分11秒のチェリビダッケ/ミュンヘン・フィルのライヴ盤には届かないのだが、あれはちょっと指揮者とオケの我慢比べみたいなところがある。ところがプレートルの「ボレロ」は、この遅さがたまらなく愉しく、うきうきしてしまうのだ。
熱狂する観客に向かって濁声でアンコール曲を告げるプレートル。
「カン・カン」も、やはり遅めのテンポだが、湧き立つように熱狂する響きにオーケストラの高ぶりが聴かれる。これがパリジャン指揮者の幕の引き方なのだろう。
ところで、この収録時間の短さは、プレートルの体力低下などのせいではない。
実際の演奏会では「エグモント」の後にルドルフ・ブッフビンダーのピアノで、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と、ピアノ・ソロによるアンコール曲が演奏されたということだ。それが何らかの理由で外されたために、序曲二曲が続くという、妙な曲順になったわけである。
こういう歴史的な演奏会はやはり全曲聴きたい。プレートルが知ったらがっかりするだろう。発売したドイツ・グラモフォンに交渉の余地はなかったのだろうか。仮に、その意欲も失われていたとするなら、メジャーレーベルの凋落ぶりも来るところまできたと言えるかも。
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