「さらにいくつもの」真実

ようやく見てきました。
『この世界の さらにいくつもの 片隅に』(2019)


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アヤママとは予定が合わなかったので、日時をずらして二人で見ました。
いつもの夫婦50割引は使えなかったけれど…

2016年作品の映画『この世界の片隅に』(以下オリジナル版)で省略された原作漫画のエピソードを、さらに緻密に拾い上げ、40分も長尺の作品に。
はじめてオリジナル版を見たときは、これは息を呑むほどにすばらしい「原作の再構築」と思い、ひとりでも多くの人に見て欲しいと、ことあるごとに宣伝したものです。
幸い、異例のロングランとなるほどの話題となり、関連するTV番組も多く制作されました。「戦火のなかでも人々は生活を営んでいた」という観点を世に引き出した点でも、意義のあった作品でした。

ただ、いまさらいうのも気が引けるのですが、個人的には、惜しい気がする点もなくはなかった。
ひとつは、主人公のすずが家族親族以外に唯一心を開く、遊郭の女性リンとの交流場面が(ほぼ)カットされたこと。
とりわけ、ネコパパが原作で最も強く印象に残った場面…リンと同じ遊郭で働く、二人よりさらに若い少女、テルとの「一瞬の邂逅」の場面が皆無なのが、なんとも残念でした。
遊郭の格子窓から顔を出したテルを元気づけようと、雪の上にたくさんの「南の島」の絵を描いて見せるすず。しかし若い兵士に無理心中を図られ、冷たい川に落ちて発熱しているテルは、まもなく落命。
わずか5ページのエピソードながら、原作者こうの文代が「表現することの意味」を読むものに問いかける、原作漫画の中でも屈指の場面です。
そしてもうひとつは、すずが「救えなかった命と引き換えに失った」「右手」の意味を深く鋭く問い続ける、「あの場面」以降の、左手によって描かれた描線。
こうの文代は、こうすることで、原作あとがきで述べているように「のうのうと利き手で漫画を描ける平和」についての思いを伝えようとしたのでしょう。
映画ではこれがどう表現されるか、とても楽しみにしていたのですが、さすがにこれは再現困難だったようです。

この「新作」では、素晴らしいことに、遊郭におけるリンとの交流をほぼ完全に再現することで、オリジナル版では十分に描けなかった、すずの内面を描き出すことに成功しています。
それによって本作は、オリジナルの補作というよりも、全く別の作品に生まれ変わりました。リンとの交流に加えて、そこにすずの夫、周作の過去がほのめかされ、さらにすずの幼友達の上原もからんで、物語は人間臭い色合いを加える。ネコパパは、オリジナル版を映画で見て、TV放送も見ているのに、本作の感触は「既視感ゼロ」に近いものでした。
オリジナル版の映画で、原作よりもやや幼く見えたすずの造形は、キャラクターデザインによるというよりは、これらの場面の、おそらくは苦渋のカットから来ていたことがはっきりわかりました。

朝日新聞の映画評では、本作はこれらのシーンの追加によって、オリジナル版では明確だった「平和の希求というメッセージ性」が薄れてしまったことが不満げに述べられていました。
さて、この評者は、原作をちゃんと読んでいるのかな、と疑問に思いました。
人物像を掘り下げることでメッセージ性が弱まるとしたら、それはメッセージというよりプロパガンダではないか、という気がするのです。

本作によって、オリジナル版の存在価値が薄れたとは思いません。
誰もがいつでも、180分もの大作を見られるわけではないですし、追加シーンの中には、本気度の高いラブシーンもあったりするので、もしかしたら小中学校の上映会などでは、オリジナル版が向いているかもしれません。
むしろ、違う観点で作られた、優れた作品が「二本も」生まれたことを喜びたいと思います。
ただ、まだ未見の方におすすめするとしたら、ネコパパなら断然、新作の方をおすすめしますね。もちろん、子どもであっても。




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コメント

コメント(6)
因果応報
「人物像を掘り下げることでメッセージ性が弱まるとしたら、それはメッセージというよりプロパガンダではないか」
卓見だと思います。単純化することが、意味を分かりやすくする妙手であるならば、名作を全て一時間で分かる、五分で分かる、にしてしまえば良いことになりますが。しかし。
そうはなりません。複雑、輻輳性こそは、われわれ生きている間に引き受けなければならないリアルなのです。単純化して分かりやすく言うのが、いまの人気取りの主流ではありますが、複雑な現実に目をつむるのは、やがて回り回って、複雑なじぶんのありのままを見てくれる人がいなくなることに繋がります。じぶんに返ってくるのを想像するとかなり怖いことだと思いますが……。

シュレーゲル雨蛙

2020/01/22 URL 編集返信

yositaka
Re:因果応報
シュレーゲル雨蛙さん
周囲を見ていると、多くのものが単純化され、それによってわかった気にさせられてしまう事象が多いことに気づきます。「わかったようなこと」を言う言説には用心しなければならないと思います。この映画があえて複雑化に舵を切ったのも、そうした社会への警を鳴らしているのかもしれません。
驚くのは、エンドタイトルに登場するクラウドファンディング協力者の数の多さ。「オリジナル版」の何倍、いや何十倍もの名前が挙げられていて、圧倒されました。
決して「動員」されたのではなく、個人として、この作品の長大化・複雑化に賛同し、支援した人々がいる。長いものに巻かれやすい国民ですが、決して希望がないわけではないと感じたのでした。

yositaka

2020/01/22 URL 編集返信

長さを感じない
時間が伸びたので、途中トイレに行きたくならないか、腰が痛くならないか心配でしたが、長さを全く感じない素晴らしい映画でした。
テルに絵を描いてやるところ。リンと子供について話すところは追加されたところで特に良かったと思いました。
ただ、小林さんが、周作にリンをあきらめさせたことを語るのは、原作にないし、説明しすぎかと。また、枕崎台風の夜、お父さんが解雇されて怒って帰ってきたところは、原作より随分大人しくなっていた。また、遅れてやってきた神風を、冴えんと皆で笑うところは、原作では家の外でした。枕崎台風は中心が近づいて雨が止み風が強まったという記録があります。
クラウドファウンディング、私も参加しようと思ったのですが、つい踏み出せませんでした。
片渕監督は私と同い年、先日ドキュメンタリー映画も観ました。凄い方ですね。

サンセバスチャン

2020/01/22 URL 編集返信

yositaka
Re:長さを感じない
サンセバスチャンさん
映画も原作漫画も緻密に分析されているんですね。すばらしい!私はそこまで読み込んでいませんでした。

周作とリンの過去をほのめかす会話部分は、原作で読んだ記憶がなかったのですが、やはりあれは追加されたんですね。おそらく監督は、こうのさんとも協議された上で観客にわかりやすくと考えたのでしょう。でもまあ、言わずもがなとは思います。

お父さんが解雇されて帰宅するところ。
原作ではこれまでの意趣返しの味もあって痛快なシーンでしたが、セーブしたのは大人の事情でしょうか。ちょっと残念でした。
台風の場面も変更されていましたか。そこは気づきませんでした。今度読み直して、比較してみたいと思います。

yositaka

2020/01/22 URL 編集返信

長くなったが窮屈になった
気になったのは、特に前半、前のバージョンより早めにカットされているように思った点でした。例えば蟻の行列を追っていくところ。また高射砲が色とりどりに炸裂するのを画用紙に絵の具を置いていくように表現したところです。
どのシーンにも愛着があります。
三年前は神戸まで行って観ました。壁には観客のメッセージカードが一杯貼られていたり、ノートも置かれていて自分も思いを記してきました。私は、それ以来のんさんを応援しています。

サンセバスチャン

2020/01/23 URL 編集返信

Re:長くなったが窮屈になった
サンセバスチャンさん
そう、確かに序盤はスピーディになっていると感じました。オリジナル版をすでに見ている人には「ここはご存知のとおり…」と、メッセージを送っている印象です。もちろん初見の人には気づかないレベルなのですが、そこからして『新作』の空気を漂わせている。うまいものです。
「画用紙に絵の具を」…こういうカットを増やしたことで、原作にいっそう近いものになったと思います。原作から入った私にとっては、こういう表現は歓迎です。
神戸まで行って観られたんですか。映画そのものの価値だけでなく、見に行く人、応援する人も含めてのシチュエーションを生み出しす力をもったという点でも、本作は画期的な「事件」といえるでしょう。そんな人の輪が広がっていくことがこの国の希望です。

yositaka

2020/01/24 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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