物語論って


東京で悪戦苦闘の毎日を送っている店長が、
面白い(と彼女が思う)物語の条件として次の七つをあげている。

・先が読めない
・すべての登場人物が魅力的
・最初から最後まで軸がブレない
・文章が多すぎず少なすぎない
・空想やファンタジー的な部分が、現実と地続きになっている
・危険と戦いがある
・女の子が強い

>空想やファンタジー的な部分が、現実と地続きになっている

まさに私、ネコパパの遺伝子だな。
このことが好きな物語の傾向になっているだけではなく、生き方そのものになっているところが
親子の生きる醍醐味であり
また弱みやもろさにもなっているのだな、と考えさせられる。

以前紹介した
『一億百万光年に住むウサギ』http://blogs.yahoo.co.jp/izumibun/archive/2009/06/29
店長も存分に楽しんだようだ。

>この本はあらゆる事柄が不思議なバランスで保たれていて、
そのバランスがなんだかとても居心地がいい

との感想。実際、たしかに作者の好きな題材が豊富に取り入れられていて、
よくもまあ、一作に惜しげもなく投入できるものだと驚いた。
翔太とケイ、二人の中心人物がいるのだが、
主人公はケイ、翔太はわき役だとはっきり感じられる。
それは、
作中で最も心情が深く描かれ、その変化が大きい、いわゆる「成長する」人物こそが主人公である
という古典的な児童文学のセオリーが身に付いているせいかもしれない。
翔太はここでは優秀な探偵役だ。
探偵役は、キャラクター的に面白い人物で
成長してはならない役割で、まさに彼にぴったりではないか…

そんなことを考えているうちに、ふと、最近読んだあるエッセイが頭をよぎった。

『物語論で読む村上春樹と宮崎駿』

漫画原作者と称する論客、大塚英志の物語をめぐる評論だ。
展開されているのは米国の神話学者、ジョセフ・キャンベルの「物語論」に基づく村上・宮崎の作品の分析。
物語を組み立て、語っていく上で、両者が基盤としているのがキャンベルの物語論である。それが
グローバルに受け入れやすい物語構造を獲得できた理由である。と大塚は説く。いわば二人は「物語論的に物語った」のであり、海外で高く評価されたのはそれが主な理由である。

既定の構造に沿って、さまざまな「ジャンク」を寄せ集め、組み立てて作品化していく手法。
大塚の言う「物語論的に物語る」とは、これだ。
例示された村上春樹の小説「羊をめぐる冒険」や宮崎駿の映画「もののけ姫」などに読み取れるのは、
「構造しかない日本」
という概念であるという。

このエッセイが実に面白くて、一気に読んだ。

そんな頭で『一億百万光年に住むウサギ』のストーリーをあらためて思い返してみると、
これは大変。
キャンベルの物語論の構造に、すっきりと当てはまるような気がしてくるのだ。大塚英志にいわせればこの作品もまた「仕組まれていた」「構造しかない」面白さということになるのだろうか。
店長のいっている
>あらゆる事柄が不思議なバランスで保たれていて
というのも、もしかしてそこから生まれてくるものなのか?

うーん。わからなくなってきたねえ。

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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