マリス・ヤンソンスに刮目する「幻想交響曲」

今日の朝日夕刊に、今年1年の音楽界を展望する記事が出ていた。末尾には逝去された人々へのお悔やみの言葉。 アンドレ・プレヴィン、マリス・ヤンソンスの二人には、個人的に感慨深いものがあるが、他に近年になって突如脚光を浴びたチェコの指揮者、ラドミル・エリシュカと、アメリカのソプラノ歌手ジェシー・ノーマンの名も挙げられていた。
エリシュカという人は、TVやFMで度々耳にしたが、音盤は架蔵していない。長老指揮者に似合わす、速いテンポで、過度な思い入れを配してきびきび進める人で、それはお国物のスメタナ「わが祖国」でも同じ。 とくに「モルダウ」の淡白さは、ネコパパには物足りなかった。
ノーマンはR・シュトラウス「四つの最後の歌」の、深々と沈んだ歌が印象的で、R・シュトラウスとブラームスのピアノ伴奏歌曲集もよく聴いた。
しかしかえすがえすも惜しいのは、マリス・ヤンソンスだ。

これは12月10日に朝日に掲載された追悼記事。
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オーケストラを「家族」として、おおらかに、奏者の自主性を重んじて「親心」で接したことが書かれている。違いを尊ぶことが共生の本質で、「鬼軍曹」ムラヴィンスキーとは異なる道を歩んだとも。立派な追悼文ではあるが、ヤンソンスの「音楽」の特色があまり読み取れないのはなぜだろう。書かれている言葉はたったひとつ「快い疾走感」それだけだ。

ネコパパはヤンソンスの音楽には、ずっと惹かれていた。
それは、出てくる音楽そのものが、他の人にはない個性に溢れていたからで、そこに「親心」や「共生」の力を感じたからではない。 それがずっと引っかかっていて、記事が掲載されてから断続的に、追悼の気持ちも込めて、残された音盤を聴き直している。
逝去を知った日に注文したバイエルン放送交響楽団とSACDボックスも到着した。

まずはベートーヴェン交響曲全集に含まれた「英雄」。
第1楽章冒頭から突き上げるような勢いがある。確かにテンポは早めだが感じるのは「疾走感」よりも、音密度の高さと、フレーズの頭に強いアクセントをおく「共感音圧」の強さである。ベートーヴェンは1番から4番までの交響曲を聴いたのだが、基本的な解釈は同じである。

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ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」。
2016年の録音で、激しく盛り上がる部分での強靭さは当然あるのだが、ベートーヴェンとは逆に、沈みこんでいく部分の弱音がすばらしい。この曲からこれほどの「孤独感」や「寂寥」を感じたことはついぞなかった。
チャイコフスキーの交響曲第5番。
これも弱音を繊細に描き分けた演奏。ピアニッシモのフレーズが反復ではいっそうディミヌエンドされてますます寂しくなる感じは、どこか師匠ムラヴィンスキーの表現を思わせる。
マーラーは「第5」「第7」を聴いた。
どちらも近頃よくやられる「微に入り細をえぐる」ような、テンポや色彩の変化を目立たせる演奏スタイルではなく、ざっくりと体温のある音色で、中庸のテンポを守って進められていく。その自然な流れの一滴一滴に情感が満たされていて、全曲続けて聞いても少しも疲れない。こんなにマーラーが楽しめたのは何年ぶりだろうか。

YouTubeにアップされていた動画も視聴した。2019年9月配信、ヤンソンスとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会である(現在は削除されている)。
会場はハンブルクのエルプ・フィルハーモニー。
12月号の「レコード芸術」誌に、11月28日から5回続きで予定されていたウィーン・フィルとのコンサートがキャンセルされたとある。 11月30日に逝去したので、12月号に訃報は間に合わなかった。もしかしたら、この録画が最後のコンサートの記録になるのかも知れない。

ヤンソンスは、時々椅子に座りながら指揮していたが、快活な表情で生き生きと振るさまは、いつもと少しも変わらなかった。
曲はシューマンの「春」とベルリオーズの「幻想交響曲」。
最初のシューマンは、クールな透明感に満たされた演奏で、いつもの音の厚みや体温が感じられないのが意外だった。
驚かされたのは「幻想交響曲」である。
シューマンでの透明度が一層研ぎ澄まされ、そこに豊かな歌と色彩感が加わり、初めて聞くような驚きと楽しさ、そして澄み切ったに清冽さに満ちていた。
第2楽章の、前に躍り出るようなハープに乗って歌われるワルツ。眠気を誘う第3楽章「野の風景」さえも、終わってほしくないと思うくらい雄弁に語る。最後のふたつの楽章も、不気味さや恐怖感といった文学的雑味を呼び起こすことなく、音楽そのものの美感で満たされている。聴き慣れていたはずの音楽が刷新されて、より純度の高い、別の曲を聞いているような気持ちにさせられた。

ヤンソンスの録音は、最近の特徴かもしれないが、オフマイクで会場の響きをまるごと収録したものが多く、オーケストラの楽器そのものの生々しさが聴きとりにくい。そのため、スピーカーにかじりつくようにして集中しないと、音楽の特徴が掴みづらい。そのことが演奏の評価にも影響しているとしたら、残念なことである。
ちなみにウィーン・フィルとの「幻想」のテンポは全体に大変遅く、すみずみまで克明に音を見渡せるもので、追悼記事にある「快い疾走感」とは対局をなすものだった。

彼の演奏について、私たちはまだ、少しも語れてはいないようだ。
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Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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