宮沢明子 モーツァルト ピアノ・ソナタ全集のLPを聴く③

2019/ 10/ 18
                 
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2トラック38cmオープンテープ(オーディオ・ラボ)

■ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調 K.333(315c)

これも第12番と同じく、規模の大きいソナタ。違うのは構築感よりも優美さ、流麗さが際立っていること。こういう曲では、宮沢の表情の濃厚さ、豊かさがひときわ目立つ。
第1楽章では、気持ちよさそうに身振りをつけながら引いていく姿が思い浮かぶようだ。最初は抑え気味なタッチも、曲が進むにつれてだんだんと強く、熱がこもってくる。
第2楽章は優雅さよりは落ち着き払った風格を感じさせる曲想となる。じっくりと丁寧に弾いていくが、前楽章の熱が冷めやらぬ気配も残る。
第3楽章。総決算というべき優雅の極みのテーマがはじめは慎重に、やがて緩急自在に表現され、多彩に変転する曲想を描き分けていく。

■幻想曲 ハ短調 K.475

凄みのある強打での開始は、まるでベートーヴェンのソナタのよう。
前半の遅い部分ではテンポを動かさず、悲しみに沈む曲想に深く沈潜していく。ピアノの硬質の響きもぴったりだ。
そしてアレグロに転じたあとは、目覚めた俊馬のように疾駆する。

■ピアノ・ソナタ第14番 ハ短調 K.457

第1楽章は速いテンポで一気呵成に弾き上げる。「幻想曲」同様、演奏と曲想がぴたりと一致して少しの抵抗感もない。モーツァルトとしては重苦しさの勝った曲だが、宮沢のピアノで聴くと、躍動的で、むしろ爽快にすら感じられる。
第2楽章は第12番や第13番と比べてもメロディーラインの美しさが際立つ。このソナタの頂点はこのアンダンテかも。悠々と歌われ、中間部では例によって激しい音のドラマが展開する。
第3楽章はぞっとするような弱音で開始される即興的な演奏となる。
短調の曲でこそ思う存分に個性を発揮できる人なんだと思う。
このハ短調の二曲は、別々に聞くよりも、通して聴くほうがいい。「暗くてモーツァルトらしくない」という人もいるかもしれないが、こういう一面があるからこそモーツァルトの音楽は深いのだ。それに、こういう曲を書いている時、本人は案外ノリノリだったのかもしれない。

■ピアノ・ソナタ ヘ長調 K.533&K.494

対位法を駆使した実験的な2楽章を書いたまま中断し、未完成となったが、既に書かれていた同じ調の「ロンド」を加えて3楽章のソナタとして出版された。
第1楽章はバッハから学んだ対位法的な主題を持ち、展開部は短調に転じて悲劇的な様相を見せる。宮沢の強靭なタッチが構築性、立体性の高い曲の個性をはっきりと音にする。
第2楽章も緩徐楽章でありながらポリフォニックで、モーツァルトらしい微笑みは抑制され、沈鬱な展開部へと進んでいく。この展開部は長い階段をどこまでも上り詰めていくような特異な音楽だが、ここで宮沢はタッチを次第に強くして「壮絶」なほどの緊迫感を出している。
第3楽章(ロンド)は平穏な安らぎのテーマをもった、異質の曲だが、間に合わせで繋いだ不自然さはない。むしろ、異常な緊張がほぐれ、リラックスして終わるのもいいのではないか。宮沢の演奏も明るさを増すが、打鍵の強さは維持し、ソナタとしての統一感を失わないようにしている。

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CD(ヴィーナスレコード)

■ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 K.545

「ソナチネ」として知られる珠玉の逸品を、敢えて「大きなソナタ」として表現している。コンサートスタイルで直球勝負、結果は見事で、このソナタ全集では白眉の演奏かもしれない。
第1楽章も第2楽章も、遅いテンポで深く、堂々と、強く弾かれ、可憐さや優美さへの志向はまったく見られない。
特に第2楽章は8分を超える長大さで、展開部直前の長い間と声を潜めるような沈潜ぶり、はたしてこういう曲なのかと感じる人もいそうだ。でも、モーツァルトが聴いたら「それだよ!」と大喜びしそうに思える。
第3楽章では、ようやく速めのテンポに転じ「大曲」を快活に締めくくる。

■ピアノ・ソナタ第16番 変ロ長調 K.570

モーツァルトの後期2曲のソナタは、なにか、突き抜けてしまったような自由さと、アヴァンギャルドな複雑さをもっていて、ちょっとヤバイ…
宮沢明子は、そういう音楽として、この2曲を表現していると思う。
上下に運動する、不思議な音の連なりで始まる第16番。
第1楽章の冒頭で打ち鳴らされる和音は強く、鋭いが、続くメロディックなフレーズには大きなクレシェンドがかかる。複雑な音楽には複雑な表現を、と言わんばかりの、先が読めない、挑戦的な演奏が続く。
第2楽章、モーツァルトには珍しいアダージョの指定で、密やかにうたわれる子守唄の音楽。ここも強いタッチで進む。さすがにもう少し柔らかく抑えてもいいと思うが…
第3楽章は一転、森の散策を楽しむようなうきうきとした主題が展開するロンドとなる。ピアノもようやく鉾を収め、安らぎを感じさせる響きとなる。

■ピアノ・ソナタ第17番 ニ長調 K.576

モーツァルト最後のソナタは、 K.533と同じように対位法的手法が駆使されている。
第1楽章の出だしは、モーツァルトのソナタの中でも、もっとも地味で辛口だ。でも、これこそ宮沢の独壇場である「構築のソナタ」、緊密な音に満たされ、一部の隙もなく、聴いているうちに、身動きできないくらい圧倒され、惹き込まれてしまう。
第2楽章は、ピアノ協奏曲第27番の緩徐楽章を思わせる、最小限の音だけで紡がれた、白い音楽。
時折あらわれる不協和音と短調のフレーズが際立つのは、宮沢の強い思い入れのゆえだろう。
第3楽章は、K.533では完成できなかった対位法的フィナーレ。バッハと自身の音楽の自然な融合こそ、晩年のモーツァルトの大きな課題だったのかもしれない。音の層は厳しさを孕みながら幾重にも重なり、そこに寂しく美しい音の粒子が降り注ぐ。
強い打鍵の、弾き飛ばし皆無のリアルなピアノが、そんなモーツァルトの到達点を輝かしく彩っていく。

全部を聴き通してみて、これは唯一無二の価値を持つ、個性的な全集だと、改めて感じた。
部分的には表情が強すぎたり、モーツァルトとしては濃厚すぎると思われたりするところもある。
お手本には到底ならないが、どこまでも自分の感性を信じて、深く音楽を掘り下げようとする求道的な姿勢には頭が下がる。

最も自然で音楽と演奏スタイルが一致していると思うのは、幻想曲、第8番、第14番という短調の曲。ついでは構成が大きい第12番、第13番。それ以外では、一般的なイメージを覆し、新たな魅力を想像した第11番と第15番が素晴らしいと思う。

ライナーノーツでは、ピアニストに強く肩入れした評論家が「時期尚早」「先はある。今後に一層期待する」と、辛口の発言をしているのだが、結局、宮沢明子にとってこれが唯一の全集になってしまった。
時期尚早ではなかった。決断は正しかったのである。

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XRCD(グローバルカルチャーエージェンシー)
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