朝比奈隆 ブルックナー後期交響曲集のLPを聴く

朝比奈 隆(1908年(明治41年)7月9日 - 2001年(平成13年)12月29日)はドイツ音楽、とくにブルックナーを得意とする指揮者だった。
晩年は「日本でもっともレコード録音の多い指揮者の一人」として人気があり、ネコパパも随分と入れ込んでいた。
しかし、彼の名前が音楽ジャーナリズムに載るようになった1970年代初頭まで、クラシックレコード業界は日本人演奏家には冷たく、欧米録音に比べて採算が取れる分野とは思われていなかった。
そんな中で、業を煮やした朝比奈の支持者たちは、自力で録音にかかる。
その一つが、東京渋谷の小劇場ジァンジァンが発売した朝比奈/大阪フィルによるブルックナー交響曲全集である。1976年から78年にかけて収録し、1978年4月に全集として予約限定販売された。

ネコパパは当時貧乏学生。評判は聞き知っていたものの、予約販売で価格も高いこの全集LPには手が出ず、名古屋でもっとも網羅的にクラシックレコードを揃えていたYAMAHA名古屋店の棚に鎮座するそのボックスを、指を加えて見ているしかなかった。

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この全集は500部しか制作されなかったと言われている。
発売方法も変則的で、1977年6月に第8番が単売、次にその8番を含む789の後期交響曲集が同年11月に出て、最後に翌1978年4月に全曲収録した全集が出された。広告を「レコ芸」誌で見て、そりゃあないだろうと思った。
当時の広告には書いてなかったが、先に購入した分は外したセットも用意されていて、ダブり買いにならない配慮もあったそうである。

分売再発の願いもむなしく、時はCD時代に。
「幻の名盤」としてCD化が期待されたが、製作者は頑として首を縦に振らず、ようやくCDとして再発されたのは1995年。ネコパパは飛びつくように入手して、噂にたがわぬ優れた演奏…と思いつつ聴いたのだが、もはや発売当時のときめきは薄れていた。
1992年5月にはビクターから二度目の全集が出てしまい、そちらを先に聴き込むことになったことも「ときめかない」原因だった。
実際は友人のつてで、後期交響曲集を手にするチャンスはあったのだが、なぜかそれには、要の第8番が欠落していて、どうにも聞く気力が沸いてこないのだった。

ところが先日、その後期交響曲集が、なにげにヤフオクに出品されていたのである。
価格もまあ、廉価かな。試しに入札したらあっさり落ちた。

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3曲だが7枚組。第8番が各楽章一面を使って2枚に収められているのは普通だが、面白いのは7番9番がそれぞれ2枚三面に収録され、4面が溝なしのツルツル盤になっていること。
そして特典盤の練習風景は別に1枚を使っている。
こんな贅沢な面割りで、当時の価格は1万5千円。国内盤としては飛び抜けて高価な価格設定だったし、YAMAHA以外の店では扱っていなかったはずである。
今回の落札価格はその1/3。

以下、ネコパパの感想。なお3曲の録音場所は全て神戸文化ホールである。

■交響曲第7番 1976年4月14日 セッション録音

全集中最初の録音。
前年の大フィル・ヨーロッパツアーでは、ブルックナーゆかりの聖フローリアン修道院で演奏されたライヴが大きな反響を呼んだ。それで、まずはこの「第7」を、と自然の成り行きで録音されたのだろう。
全体の響き方や音楽の運びは75年盤とよく似ている。
冒頭のゆったりと開けていくような開始、第1楽章のテンポを極限にまで落としつつ音量を上げていく壮大な終結部、第2楽章クライマックスでシンバル・ティンパニ・トライアングルを加えず、弦と金管のフォルティシモだけで頂点を築く「ハース版」サウンドの渋い魅力、尻すぼみになりがちなフィナーレのコーダを、遅いテンポと息の長いクレシェンドの強調で感動的に着地させるやり方など、朝比奈独自の「第7」の魅力はしっかりと刻印されている。
大阪フィルのアンサンブルは淡く細身の弦と、強めの音量で長いフレーズも余裕を持って吹ききる金管群が対照的だ。聖フローリアンでのライヴ盤では、6秒という会場の長い残響が功を奏して、これらが上手く溶け合っていたが、ここでは水と油、まとまらない響きとして感じられてしまう。
お客がいないせいか、楽員も余裕を持って鳴らしていて、技術的な弱さは目立たない。破綻も少ない代わりに緊張感もいまひとつ。
1979年1月にビクターが聖フローリアン・ライヴを発売すると、当録音はほとんど言及されない、不遇の一枚になってしまった。その理由もわかるけれど、この繊細でデリケートな元の魅力も捨てがたい良さがあり、存在価値は十分だと思う。

■交響曲第8番 1976年8月23日 公開録音

「第7」に続いて、まずセッション録音が行われたが、プロデューサーの判断で、お客を入れての再録音となった。
この「第8」にはライヴならではの即興的な雰囲気と緊張感が充満し、前記「第7」とは対照的だ。
それはネコパパが生で聴いた名古屋大学交響楽団との演奏や、1980年代以降の録音とは趣が違う、当盤だけの魅力である。第1楽章で巨大な主題が登場するところではテンポを速め、音楽が静まると遅くなる。フレーズ間の間も長めで、聴き手に緊張を強いる。
テンポ変動の激しさが一番よくわかるのが第2楽章の主部で、強音のフレーズをクレシェンド気味にきっぱりと断ち切り、つづく緩やかなフレーズで素早くディミヌエンドする指揮者の細かい棒さばきがよくわかる。
そして第3楽章では対照的に遅めのテンポを維持して、寄せては返す情感を「大きな音楽」として描いていく。
フィナーレでは再びテンポの変動の多い動的なスタイルに戻るが、即興的な動きを要求する指揮者の棒に、大阪フィルが俊敏に対応できているとは、ちょっと言えない。金管群と弦楽器が大きくずれたり、切り替えについていけず弦楽器がソロのような音になってしまったり、良くない意味でスリリングな箇所が散見。それでもコーダでは全力を振り絞っての盛り上げが、聴き手の胸を熱くする。

全曲聞いたあと、ネコパパ取り出したのは、長く愛聴してきた1980年収録、東京カテドラルでのライヴ盤LP。これのフィナーレ後半を聞いてみた。これも大阪フィルによる演奏で、テンポはジャンジァン盤に比べやや遅めだが、基本的な解釈は変わっていない。
一聴して感じるのは、オーケストラが4年間で大きく進歩していることだ。音の変化がスムーズで、アンサンブルも改善。弦には音圧が加わり、強弱や音彩が一層豊かになっている。高まる評価と期待感が、団員の自信につながったのか。

■交響曲第9番 1976年4月22日 セッション録音

「第8」とは違い、遅いテンポを維持したスケール雄大な解釈。
第1楽章の主題提示部とコーダ、第2楽章全体、第3楽章の終結部では、朝比奈/大フィルならではの、岩盤運動のような手応えを感じさせてくれる。音楽全体がゆっくりと呼吸する、3曲共通の構築力の大きさは、この「第9」でも十分味わうことができるが、
問題は両端楽章の中間部で、妙に音密度が薄い「中ぬけ」状態が続くことである。
その原因は弦楽器のボリューム感が弱いことかもしれない。弱音やピチカートはくっきりとして手応え十分だが、太く厚みのある音がどうしても出て来ず、管楽器と重なると引っ込み気味になる。録音のせいもあるのかもしれないが、どうも頼りなく、聴いていて緊張が保てない。「第7」ではデリケートで繊細と感じた音が、ここでは物足りず「鳴っているだけ」に聴こえてしまう。

この曲も1980年の東京カテドラル盤と比較してみた。大阪フィルではなく新日本フィルの演奏で、オケの音色は大フィルとは異なり、明るく抜けた金管木管の音色が快い。
しかしながら、構えが大きい割に緊張感が保てない弱さはこちらにもあり、当時朝比奈が「第9」の演奏に悪戦苦闘している様子がうかがわれる。それでも、弦楽器の思い切った音の出し方では、新日フィルに一日の長があると思う。

「第8」もそうだが、ビクター制作による東京カテドラルでの1980年盤「交響曲選集」のLPの音は…今聴くとプアーだ。
音量レベルが小さい上に、残響がかぶりすぎてなんとも聴きづらい。混沌としている。
単身赴任のアパートでネコパパは、毎日のようにこれらを聴いていたが、よく我慢できたものである(後に出たXRCD、SACDはかなり改善されている)。当時のネコパパの心境もまた、混沌としていたのだろう。
それに比べると、ジァンジァン盤は、もうちょっとオンマイクで、中低音をしっかり録って欲しい気はするものの、細部まで明瞭でストレスがない。これを発売当時に聴けていたら、さぞかし感激したことだろう。
でも時は戻らない。

1980年盤
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コメント

コメント(10)
貧乏学生でしたが死ぬ気で買いましたよ。後期集ですが。
ビクターの立派な箱物も予約して買いました。
私はジァンジァン盤の方が好きです。荒削りですが、それが魅力的に聴こえるのが朝比奈さん。
オケには最初から期待してませんでした。それにも増して、当時は貴重なブルックナーのレコードで、今でもこの8番は好きですね。
ビクター盤はフローリアンで味を占めた某氏の主導で企画された物だったと記憶して居ります。
要らぬお節介だったと思いますよ。

夢似果

2019/10/07 URL 編集返信

yositaka
今更ながら
夢似果さん
出始めに買われたとはラッキーでしたね。私も清水の舞台から飛び降りるつもりで買っておけばよかったと今更ながら思います。

ビクターはジァンジァン盤とは別の特色を出そうとして、東京カテドラルでの録音を敢行したと思われますが、やはり無理がありました。
録音史、演奏史の面から見て貴重なドキュメントとはいえ、音の面では誰にでもお勧めするわけにはいきません。

ただ、これがイベントとして成功したことは、以後の朝比奈のキャリアに大きく影響しただろうとは思います。

yositaka

2019/10/07 URL 編集返信

この ジァンジァン盤の初出CDに関しては、自分で買って聴いたのではないのですが、ちょっとした思い出があります。

アメリカ留学中の弟に、「出たら買っといてね。開封して聴いてもいいから」ということで、注文、入手。
ヘッドフォンで聴くと、A/D変換あるいはCD製盤の杜撰さのゆえと思しい、「プチ」、「ピュッ」など(記憶)というデジタル・ノイズがかなり多し。
帰国後手渡した弟も、「音にうるさいオマエなら、クレームつけそうなものなのに。いや、クレームつけなかったことに文句言うわけではないが…」と、感激よりも不満の声。

これも記憶なのですが、このCDセットは、のちのち絶対に店頭販売もダンピングもしない、という触れ込みで、そうとう高価だったのですが、みごとにタワー店頭に平積みされた、ということもあったかと。

初回盤は JJ008、第8番のセッション録音とリハを入れた17枚組(!)が、グリードア発売の JJGD2001~17かと思いますが、ネコパパさんご所有のCDはどちら、そしてノイズはいかがでしょう。

朝比奈 隆のディスクは、残念ながら1枚も買って聴いたことがありません。
阪神圏にいた時、阪急電車の車内で、真っ白のスーツ姿のマエストロご夫妻(たぶん本モノ;;)を、近くの席で見たことあり、です…30年以上前でしょうか。

へうたむ

2019/10/09 URL 編集返信

yositaka
私のはジャンジァン盤CDです
へうたむさん
私の架蔵しているCDはグリーンドアではなく、1995年に限定発売されたジャンジャン製作のもので簡素な紙ボックス仕様の12枚組でした。JJ008-019です。
LPと聞き比べるために7番だけ聴き比べましたが、やわらかく自然な音で聴きやすい再生音です。デジタルノイズは感じませんでした。
グリーンドア再発盤はでかすぎ、高すぎで所有する気持ちになれず、ワゴンセールになったときも白けるばかりでした。ただ、別テイクの第8番は気になったので、友人から借りました。

yositaka

2019/10/10 URL 編集返信

朝比奈隆指揮はどれを選べば?
こんにちは。
ブルックナーは大好きな作曲家で評判の良い演奏は一通り入手していますが、朝比奈盤は非常に少ないのです。
理由は、CDが高価、日本のオーケストラに対する私の偏見、そして朝比奈盤は種類が多くてどれが良いのかわからないためです。
そこで、第7番、第8番、第9番について、朝比奈盤はどれがよろしいのかお教えいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

ハルコウ

2019/10/13 URL 編集返信

yositaka
敢えてご参考までに
ハルコウさん
厳しいご質問ですね。
私はおそらく朝比奈ファンの端くれで、ファンというのは客観的な判断はできない(しない)ものです。
その辺をご理解の上で、敢えてご参考までに…

第7番 東京都交響楽団2001.5.25 
第8番 NHK交響楽団1997.3.6 以上フォンテック
第9番 大阪フィル1995.4.23 キャニオン

完成度を重んじた選択です。

私にとってこの3枚は「ここぞ」という時にしか聴かない、取って置きの一枚です。普段はたいてい1980年代のビクター盤を取り出します。理由はこれが私が最初に聴き親しんだ朝比奈盤だからです。

yositaka

2019/10/13 URL 編集返信

こんにちは。
回答をいただけないかもしれないと思っていましたが、ずばりお答えくだって感謝しております。
第7番は大フィルとの1975年聖フローリアンライヴが有名ですが、都響2001年5月25日のほうが完成度が高いのですね。まずはこれから聴いてみたいと思います。
ありがとうございました。

ハルコウ

2019/10/14 URL 編集返信

yositaka
「内容」よりも「伝説」?
一般には1975年、聖フローリアンでの第七番ライヴが名盤とされていますが、
あの残響の長い、音の分離が芳しくない盤を薦めるのは、個人的には躊躇します。
普段は朝比奈に批判的な人が、あれだけは褒めることがあるのも、私には納得できないのです。

どうも私たちには「内容」よりも「伝説」を好む傾向があるのかもしれません。「レジェンド」なんて言葉が流行ったりしますし、ねえ…

yositaka

2019/10/16 URL 編集返信

‘80聖カテドラル公演
画像消失トラブルの原因が「みっつ」さんからのご忠言で判明?!したようなので
アメブロで記事掲載を再開したいと思います。
今日御茶ノ水ディスクユニオンにて、喉から手が出るほど希求せる聖カテドラル公演4枚組4、7、8を手にすることとなりました。
この8番大阪フィルは愛好会北村会長にとっても特別なものと聞いてたもので尚更でした。

それにつけてもみっつさん、シュレーゲル雨蛙さんの過去記事から現在までを読ませていただきましたがクラシックの尽きない世界に心が打ち震えるばかりです。

老究の散策クラシック限定篇

2022/02/03 URL 編集返信

yositaka
Re:‘80聖カテドラル公演
おお、ブログトラブルは解決しましたか。それはなにより。さっそく訪問させていただくことにします。
ところで「みっつ」さんじゃなくて「みっち」さんです。

ビクター盤交響曲集も入手されましたか。よかったですね。これも今となっては貴重品で、私にとっても8番はとりわけ愛着のある一枚です。
みっちさん、雨蛙さんとのブログ交流も長くなりました。お二人とも知の巨人で、ネコパパなど足元にも及びませんが、いろいろと学ばせていただいています。老究さんのブログ継続も楽しみにしています。

yositaka

2022/02/04 URL 編集返信

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Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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