ケストナーはいまも新しい


点子ちゃんとアントン
P¨UNKTCHEN UND ANTON
■エーリヒ・ケストナー,  池田 香代子 訳
■岩波書店
■2000/09/18 出版
■204p / 19cm / B6判
■ ¥672 (税込)

>なんの話だったっけ?ああ、そうそう、思い出した。これからみんなにしようと思っている話ときたら、じつにへんてこなのだ。まず第一に、へんてこだから、へんてこだ。…  

人を食った出だしのまえがき。続いて有名な「物語の定義」が述べられる。

>「じっさいにおこったかどうかなんて、どうでもいいんです。たいせつなのは、そのお話がほんとうだ、ということです!」

そして開幕。壁に向かってすすり泣きながら、ひざをかがめてお辞儀をしている点子ちゃんと、それを見てぼうぜんとしているポッゲ氏のアップから、いきなり物語は始まる。この語り口だけで「参りました!」
児童文学の古典は、今も新しい。


舞台は1930年ごろのベルリン。
お金持ちのポッゲ氏の娘ルイーゼは、点子というあだ名で呼ばれている、空想好きのちょっとはじけた女の子だ。
ポッゲ氏は経営するステッキ工場の仕事で、いつも忙しい。母親のポッゲ夫人も社交に現を抜かし、家庭に目がいかない。点子の世話は養育係のアンダハトと家政婦のベルタ(それに犬のピーフケ)に任せきり。裕福でも、何かが抜け落ちた家庭だ。
点子の大切な友達はアントンという男の子。
アントンには父がいない。母は手術をしたばかりで、家計は苦しい。母に内緒で、橋の上で靴ひも売りのアルバイトをし、家を支えている。点子は、そんなアントンの境遇にわだかまりなく接し、頼りにしている。
点子には秘密があった。夜になるとひそかに家を抜け出して、アントンが働く同じ橋の上で、アンダハト嬢と一緒に変装し、物乞い行為を続けているのだ。
やがて事件が起こる。二人をめぐる家族の気持ちも大いに揺れる。そして…

ケストナーは、物語が一章進むたびに、そこでのできごとをふりかえり、考察する。
それが各章末尾に置かれた「立ち止まって考えたこと」("Nachdenkereien", 高橋健二訳では「反省」)と題するメッセージである。
題名を列挙してみよう。

1義務について
2誇りについて
3空想について
4勇気について
5知りたがりについて
6貧乏について
7生きることのきびしさについて
8友情について
9自制する心について
10家族のしあわせについて
11うそについて
12ろくでなしについて
13偶然について
14尊敬について
15感謝の気持ちについて
16ハッピーエンドについて

まるで道徳教育の内容項目のようだ。この話って、結局、説教? そう思われるかもしれない。
「いいね?」「わかったね?」「ねばならない」「わからない子だね、まったく」…たしかに、説教口調が目立つ。
それでも納得させられてしまう。なぜだろう。


>ぼくは、みんなひとりひとりが、いい友だちにめぐまれるよう、願っている。そして、みんなひとりひとりが、友だちの知らないところで、その友だちのために一肌脱ぐめぐりあわせにめぐまれるよう、願っている。みんなには、ひとをしあわせにすることがどれだけしあわせか、知るひとになってほしいのだ。-8友情について

>おとなには大人の心配がある。子どもには子どもの心配がある。そして心配ごとは大人にも子どもにも、手におえないことがよくある。そんなとき、心配ごとはのうのうとのさばって、大きな影を投げかける。そうすると、大人も子どもも、その影にうずくまって寒さにふるえている。-10家族のしあわせについて

>だれかがうそをつくまいと思ったら、この世のどんな力も、そのひとにうそをつかせることはできない。-11うそについて

>こういう、人間の顔をした動物にも劣るやつは、子どもの中にもいる。…こんなやつをちゃんとした人間に仕立て直すことは、およそ考えられるかぎり、とびきりむつかしいことだ。それにくらべたら、水をふるいにかけることなんか、お茶の子さいさいだ。その人の中にはじめからそなわっていないものは、引き出しようがないのだ。逆立ちしたって…-12ろくでなしについて

>みんなは、ほかの人のせいで罰をくらっても、そんなに驚いてはいけないよ。それよりも、みんなが大きくなったとき、世界がましになっているようにがんばってほしい。ぼくたちには充分にはうまくいかなかった。みんなは、ぼくたちおとなのほとんどよりも、きちんとした人になってほしい。正直な人になってほしい。わけへだてのない人になってほしい。かしこい人になってほしい。-16ハッピーエンドについて



ケストナーが「教える」という姿勢ではなく、大人としての厳しい反省のもとにこれを語っているのが、伝わってくる。
「ろくでなし」
子どもといえば無条件に肯定したがる向きには(私も含めて)耳に痛い内容だ。しかしケストナーは、嘘はつかない、という決意の下で、覚悟を持って語っている。
そこから、この説得力がうまれてくるのだ。

では物語そのものは、どうだろう。
軽妙な語り口と無駄のない展開。謎も意外性もある。結構暴力的なシーンもあって驚く。シンプルなストーリーなのに、人物がいきいきと躍動している様はさすがと思う。

その一方、言い足りなく感じるところもある。
たとえば点子ちゃんの行動の動機の不可解さ、アンダハト嬢の内面、点子ちゃんの母親の人物像も、もっと奥行きを持って描けたのでは…。
(「飛ぶ教室」では、ずっと深い人物造形が達成されていると感じる)
古典的な児童文学に共通する、人物の典型化(類型化)への指向を、この時代のケストナーはまだ持っていたのかもしれない。

大人として魅力を感じるのは、作者の都市への思い入れが言葉としてあらわれていることだ。
彼の物語が、都市と、そこに生きる人間への愛着から生まれたことを実感できる。


>バスが、あとからあとから、橋をわたっていく。そのうしろには、フリードリヒ通り駅がそびえている。高架鉄道が、町を見おろしながらつっきり、車両の窓がきらめく。客車は、きらきら光るへびのように、夜の闇をぬっていく。空は、下界が投げかけるおびただしい光の照り返しで、ときおりバラ色に染まる。
 ベルリンはすばらしい。とりわけ、この橋の上はすばらしい。それも、夜がいちばんすばらしい!…バスはけたたましく走り去り、車はクラクションを鳴らし、人々はおしゃべりをし、笑いさんざめく。ねえみんな、これこそ生きてるってことなんだよ!


夜のベルリンの雑踏を活写する筆致のうれしそうなこと。この雑踏に立ち、ここを舞台とした物語を書こうと思い立ったときのケストナーは、まさにこんな心境だったのだろう。

オペラに出かけたポッゲ夫人を描く場面でも、にやりとさせられる文言が…


>舞台では『ラ・ボエーム』をやっていた。とてもすばらしいオペラで、まるで甘いボンボンがふりそそぐような音楽が鳴りひびいている。有名なテノールが、ロドルフォの役を歌っていた。ボックス席のチケットは、目の玉が飛び出るくらい高かった。二人分で、アントンと母さんが二週間は生活できただろう。


終盤で蓄音機が奏でるタンゴにあわせて、子どもたちや家族、景観たちまでがが踊り出す場面とともに、ケストナーの舞台好き、音楽好きが顔を出す。

こんなぐあいに、大人、子ども、それぞれに楽しみ、味わうことができる、飛び切り上等の物語である。
池田香代子の新訳と解説もすばらしい。やっぱりこういうのは、いきいきとした現代文で読みたい。

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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