香津原シネマサロン『羅生門』




2019年5月11日の香津原・映画サロンに出席しました。
今回取り上げられた映画は1950年製作『羅生門』です。
コメンテーターは勝原オーナー。


戦後間もない1951年にヴェネチア映画祭でグランプリを受賞したことは知っていましたが、その映画祭の30周年記念として、これまでの受賞作のベスト・オブ・ベストを選ぶイヴェントが催され、そこでもトップの座を勝ち得たことは初めて知りました。

ヨーロッパ名うての映画人を惹きつける力は、その後も全く衰えていなかった…凄いですね。

■映像と音楽の対位法

勝原さんのお話は、ストーリー展開や撮影技法の妙を語るというよりも、黒澤明監督と作曲家、早坂文雄とのコラボレーションの創造性を伝えることにありました。
一言で言うならそれは、「映像と音楽の対位法」です。
黒澤の目指したところは、劇的な場面で劇的な音楽をつけるという常套を廃し、むしろ真逆な音楽でコントラストをつけ、観客により強い印象を与えるというもの。

作品のストーリーは、芥川龍之介の短編小説『藪の中』を基にしています。

平安時代、乱世に起こった殺人事件。
かかわりを持ったのは旅する侍の夫婦とひとりの盗賊、そして惨劇の一部始終を目撃した木こりの4人。殺されたのは侍で、事件の関係者は検非違使庁の取り調べ場でそれぞれの視点で証言を行います。
果ては、イタコの口を借りた被害者の侍の証言まで現れるのですが、
内容はいずれも微妙に食い違って真相は『藪の中』…

各人のアイデンティティを守ろうとする意識が、その食い違いを生じさせるのですが、勝原オーナーにいわせれば、それは映画のポイントの一つではあっても、すべてではない。

それより注目したいのは、山中で展開する事件現場での木漏れ日の多用や、大胆な移動撮影による視覚効果。
それ以上に画面と音楽の対比です。特に京マチ子演ずる侍の妻の泣き崩れながらの証言が続く中、ラヴェルの「ボレロ」の直接の引用かと思わせる、一定のリズムと能天気なメロディーを延々と鳴らしていく。
その音楽は、多少リズムパターンを変えながら、冒頭近くのシーンでも使われている。志村喬扮する木こりが、鉞を担いで現場の森に向かっていくところです。

「木を切るために行った…と彼は言っているのですが、それならなぜこんなに時間をかけて山の奥の奥まで入り込んでいくのでしょうか。家の近くの方が仕事には向いているはず。この延々とした歩行の場面で、観客はすでに黒澤の術策にはまっているわけです…」

ネコパパ感想。

海外での評価は娯楽映画と実験映画の中間に位置することや、日本的なエキゾチズム(イタコの怪演)の衝撃ではなかったか…とのお話も出ましたが、ネコパパには至極まっとうな娯楽作品の要素もふんだんにあると思われました。
芥川の原作と違って、木こりという事件の目撃者を設定し、希望を感じさせるエンディングにすることで黒澤なりの「決着」をつけていることも、観客に満足感を与えています。

役者では、三船敏郎の眼の演技にも惹かれましたが、やはり一人で何役もの顔を演じ分ける京マチ子の熱演が圧倒的でした。

これは予告編です。
黒澤と意見が対立して降板した助監督の編集によるものだそうです。
本編にないカットがあり、音楽も全然違う。
それに、相当ネタバレしています。未見の方は見ない方がいいかも。



…こう書いたところで、京マチ子さんの訃報が報じられたのは、なんという偶然でしょう。ご冥福をお祈りします。

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コメント

コメント(6)
No title
芥川が藪の中と蜘蛛の糸とを書いたのは、繋がりがあると言う説はないのでしょうか?
それと言うのも、藪の中はぼくにはドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の骨格をなす殺人事件及びその裁判の影響があり、蜘蛛の糸はよく知られているようにカラマーゾフの兄弟のなかに挿入されたアネクドートによくにた話がありますね。ネギの茎で地獄の罪人を引き上げてやろうとする聖人の説話。
芥川の藪の中のプレテクストとして。

話は変わりますが、芥川也寸志の作品はロシア(ソ連)の作品の影響を強く受けていますが、これは父のドストエフスキー贔屓が影響していないかと考えたりしてみたことがあります。
ちなみに亀山郁夫訳ドストエフスキーの兄弟が全5巻になっているのは、初出の形態を意識していて、その構造がマーラーの交響曲第5番に酷似しているって解説にありましたね。マーラー→ショスタコーヴィッチ→芥川也寸志というラインがあるかと。

たかしにも。

こういう繋がりはもう広く知られたことなのかな? ぼくは芥川よく知らないので。

もしそうならば、黒沢明も。デルス・ウザーラ繋がりはなかったかしら。よたばなしですみませ

シュレーゲル雨蛙

2019/05/16 URL 編集返信

No title
> シュレーゲル雨蛙さん
大変面白い。芥川作品、私も中学校時代まとめて読んだくらいで、熱心な読者ではありません。まあ、単行本一冊分の児童文学作品を残しているので興味はありますが。
その息子の芥川也寸志との関連となると、それこそ「藪の中」になりますね。
当時の日本のクラシック音楽作曲家は、全般にロシア・ソビエトの影響は大きかったのではないでしょうか。
ことにストラヴィンスキー。NHKの番組を見た限りでは、来日時は作曲家たちにとってアイドル扱いだったようです。戦後の日本文化はロシア・ソビエトの影響力まことに甚大な時代だったと思います。
黒澤もエイゼンシュタインの洗礼を受けた一人ではなかったでしょうか。

yositaka

2019/05/17 URL 編集返信

No title
一度書いたコメント削除しました。亀山郁夫さんの岩波新書のタイトル間違えていました。手元にないのでうろ覚えですが、ロシアフォルマリズムだったような。訳書は驚くべきショスタコーヴィッチ。息子さんから教わり、池袋西武のリブロポートにて購入したのでした。隣人氏つまり教師が生徒に教えられたことになります。

シュレーゲル雨蛙

2019/05/17 URL 編集返信

No title
「羅生門」物心が付いた頃から有名で、ポスター・TV・ダイジェスト版等で見た気になっていました。
でも三船敏郎・京マチ子が羅生門にいない・・・駄目ですね見ていない。
冒頭の木漏れ日の中、ボレロの曲に合わせた木こりの動きに並行してカメラが動き木こりの前を「横切ってから」木こりの顔をアップするカメラワークは、古さを感じさせないですね。
侍の死について4通りのシナリオを用意して真相はいかにと観客に問いかける広い意味の「対位法、オムニバス」ですね。
起承転結の原作にない捨て子を木こりが育てる事にしてハッピーエンドの結とし観客に安心感を与える娯楽作品としていますね。
「羅生門」は、映画会社の言う儲かった文芸作品?それとも私の思う娯楽作品?それは「藪の中」
作品には、関係ありませんがドリス・デイさんも13日にお亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

チャラン

2019/05/18 URL 編集返信

No title
> シュレーゲル雨蛙さん
黒澤明も音楽通だったから、ショスタコーヴィチはきっとご存じだったでしょうね。「驚くべきショスタコーヴィッチ」かなりの大著ですね。でも、面白そうなので注文しました。教師が生徒に、ネコがカエルに教えられる。良い循環です。

yositaka

2019/05/18 URL 編集返信

No title
> チャランさん
映画自体は最近まで見たことがなかったんですが、小学校時に家で買っていた百科事典にスチール写真が出ていたのが記憶に焼き付きました。その後芥川の「羅生門」をよんで、これはどうも映画とは違うな、と思いましたが、映画のテロップにもちゃんと『藪の中』と書かれていたんですね。
しかし『藪の中』ではお客が呼べないと思ったのでしょう。そこで確信犯でタイトルを「羅生門」とし、門の場面を物語の外枠にくっつけ、話にはあまり関係のないそのセットに莫大な予算をつぎ込んでしまう。黒澤という人、たいへんな山師です。

yositaka

2019/05/18 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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