平成最後のコンサート鑑賞は「復活」

これがきっとネコパパの平成最後のコンサート鑑賞。
節目にふさわしく、賑々しくも絢爛たる音楽に酔いしれた80分間になった。





曲目はマーラーの交響曲第2番「復活」。

カラフルで愉しい音楽の多いマーラーのなかにあって、とりわけ多彩で規模が大きく、聴きごたえのある一曲だ。
演奏会で聴いて退屈するということはまずない。まず…というのは、ネコパパには一度だけ、丁寧で整ってはいるのだけれど、なぜか胸を熱くするものがなく、最後まで冷静に聞き終えてしまったことが一度だけあったからだ。
正直に言うと、その時の指揮者は今回と同じ古谷誠一だった。
だから、不安と期待が半々、という気分で会場に出かけたのだった。申し訳ないことである。

結果は…行ってよかった!

■劇場用音楽の興奮

指揮者の棒は前回とほとんど同じ印象。端正である。大きなゼスチャーも大振りもなく、きっちりと博を刻む。解釈も奇をてらわない、どちらかと言えば情動よりも構築美を追求したもの。テンポも妥当で少しの抵抗もなく、でも、マーラーの音楽をやるにはちょっとまじめすぎる解釈と言えるかもしれない。

しかしオーケストラは、意欲満々だ。どの楽器も大きくがっちりと音を出す。

この団体は、ウィーン式の楽器とかウィーン流儀とか、音色とスタイルにこだわりのある楽団で、確かに艶の乗った、華のある音色は魅力だが、その分楽器のコントロールは難しいようで、アンサンブルの練度はいまひとつと思うところがある。今回も例外ではなかったのだが、特筆したいのは、それが音楽の足を引っ張らず、「全体の響き」としては、熱くほとばしる音楽を聞かせていたことだ。

目いっぱいの音量、というのは合唱も同じだ。

曲の最後の最後に登場する合唱。ベートーヴェンの『第九』とは正反対に、ピアニシモでそっと入ってくる。「復活」でもっとも感動的な場面だが、近頃はそれを、聞こえないくらいの弱音で、ささやくように歌うのが流行らしい。
ネコパパには馴染めない。神経質で、いらつく。
今回、オルガン前の客席に陣取ったアマデウスコーラスの面々は、もうすぐ合唱部分に入るにもかかわらず、一向に立ち上がらず、座ったままだ。
それを見て、
「なんだ、また口パク・ピアニッシモか…」
と不安がよぎったのだが、幸いにも、それは杞憂だった。
座ったまま歌い出す、その最初の一声から、メゾフォルテくらいの強さで、しっかりと歌い進めていく。
メロディーの動きが手に取るようにわかる。
ソロ歌手と交代する直前にすっと音が下がり、ディミヌエンドする箇所など、えっ、こういうふうに書かれていたのか、と初めて気付かされた。そんな場面が多かった。

大編成の曲なので、オーケストラのフルメンバーが板に上がっていたらしい。
それだと、この曲は大変だ。
金管や打楽器が舞台袖に引っ込んで演奏する箇所があるのだ。たいていは別動隊がいるのだが、どうやらそんな人員はいないらしく、その箇所が近くなると、奏者たちが袖向こうに走り去り、次の出番には駆け戻る。大奮闘だ。
ネコパパの席は3階のバルコニー席。その様子がつぶさに見られ、ちょっとはらはらした。打楽器の人なんか、本当に全力疾走で、間一髪、間に合うという塩梅。
そういえば『のだめカンタービレ』でもこんな場面があったな…

二人のソリストも、待機する席と歌う場所への移動がしにくいようで、あちこちでガタガタ、ゴトゴト…楽器を落とす楽員もいたり、こんなに音楽以外の「音」が聴こえてくる演奏会も初めてだ。
でもそんな緊張感もプラスになっているのか、音楽にはますます気合が入る。
コーダでは、オーケストラ、いつの間にか立ち上がった合唱に、オルガンの響きも加わり、まさに音の大伽藍。
満場の客席からは雄たけびのようなブラボーと拍手が湧きあがり、それはいつまでも続いていった。

先ごろの広上淳一と京響の「第1番」に続いて、またもマーラーの良さをとことん味わうことができた。
レコードで聴く限り、ネコパパには正直、それほど面白いとは感じられないマーラー、
その本質は「劇場型音楽」なのかもしれない。
どんな優れた演奏でも、音盤では、この皮膚感覚の興奮は味わいにくい。
今後もネコパパは、マーラーの音盤はあまり買わない気がする。聴くならライヴ…ということになりそうだ。
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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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