名古屋アマデウス室内管弦楽団第11回演奏会を聴く

Sige君の誘いで聴いてきました。
この楽団は名古屋、栄のしらかわホールで演奏会を開くことが多いのですが、今回は珍しくも愛知県女性総合センター・ウィルあいちでの開催です。
ネコパパは、映画関係のイベントで何度か、それと児童文学関係でも訪れていますが、オーケストラのコンサートは初めてです。



プログラムのうち、モーツァルト ピアノ協奏曲第22番はピアニストが内奈々子から大竹かな子に変更。
おなじみの指揮者中村暢宏は、コンサートの最初と休憩後の2回、曲目についてスピーチ。
前半のモーツァルトの2曲はどちらも1786年の作曲で、当時モーツァルトはフリーメーソンの活動に熱心であり、そちらの方面からも作曲依頼が増加していました。貴族からの注文に応じて作曲に飽き足らず、自己表現への意欲に目覚めようとしているモーツァルトの野心が伺える作品とのこと。
そして後半は、演奏会で聴くことは珍しい、管楽八重奏による、しかも短調のハルモニーミュージックであるセレナード第12番「ナハトムジーク」と、モーツァルトの死後、音楽がいよいよ貴族から市民のものへ移り変わる時代を象徴的に示す、ハイドンの交響曲「驚愕」。
いつもながら、選曲の妙が冴えていました。

■貴族の音楽から市民の音楽への転換点を音で聴く

さて演奏です。

最初の「劇場支配人」序曲は、中村らしい、弾みと勢いに満ちた表現で、弦楽器と管楽器を同等に、しっかり鳴らすことで響きの斬新さを示す演奏になっていました。
雨天のせいもあるのか、管楽器の音の出がやや不安定と感じられたのは、ちょっと惜しかったと思います。
続くピアノ協奏曲第22番は、ネコパパの大好きな曲。演奏会ではなかなか取り上げられることがないので、大いに期待していました。
この曲では、ピアノソロと管楽器の対話が随所に聴けるのも楽しみの一つ。特にオーボエとクラリネットの出番が多いのが特徴で、ライヴだとその動きがいっそうよくわかります。満喫しました。
指揮者スピーチでは「演奏時に完成する曲」とのコメントがあったので、もしや即興的なアドリブも飛び出すのでは、とこちらも期待しました。
すると、予想通り、第3楽章の中間部の入りやカデンツァ後半では、譜面にないと思われる即興的なフレーズを加えるなど、創意の生かされた演奏になっていました。
ただ惜しかったのは、第1、第2の両楽章ではそうしたアドリブは聴かれず、ソリストの音色や表情に、いまひとつ多彩な変化がほしいと感じられたこと。
「普通に、丁寧に弾くだけでは持たない器の大きさ」がこの曲にはあって、もしかしたらそれが、ピアニストがこの曲を経営する一因になっているのでは、と思ったりしました。

後半第1曲のセレナード第12番「ナハトムジーク」では、指揮者が椅子に座って、管楽奏者たちの眼の高さで指揮をするスタイルでした。
この曲、最初の2楽章は暗く荘重、後半2楽章は一転して多彩な変化と運動性に富む曲想となり、後に行くほど魅せられます。
同じ管楽奏者のsige君には、どうやら技術面や音程で気になるところがあった様子でしたが、ネコパパはそのあたりは耳に入らず(入れず)、ただただ音楽に聴き入っていました。

この日の演奏でベストと思ったのは、ハイドンの「驚愕」でした。
これは、音盤で聴くことはめったにない曲です。でも、こうしてライヴで接すると、隅々まで美しく中身が詰まった、愉悦感あふれる名曲、と改めて感じます。
中村の指揮は奇をてらわぬオーソドックスなもので、細部まできっちり鮮明に、譜面に書かれたすべてを客席に届けようとするやり方。それがハイドンにはぴったりなのです。

鮮明と言えばこの会場、オーケストラ演奏に適した音響を持っていましたね。二階席はなく斜面一面の後方で聴いたのですが、音の一つ一つがくっきりと聞こえ、それでいてドライな硬さがないのです。

アンコール曲は「十字架上の七つの言葉」からフィナーレの「地震」。


古典派のスタイルを崩さずに自然の猛威を表現するという離れ業が、こんなふうにできてしまうというのもハイドンの凄さでしょう。

現代音楽と呼んでもおかしくない、摩訶不思議な音の世界でした。



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コメント

コメント(5)
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geezenstac

2019/04/16 URL 編集返信

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> geezenstacさん
ありがとうございます!!

yositaka

2019/04/16 URL 編集返信

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『十字架上の七つの言葉』の「地震」‥‥冒頭が、モーツァルトの『ジュピター』の冒頭を思わせますね。
前者が1785~87年、後者が1787年、のようですから、影響関係は? ‥‥全然ないかもしれません(笑)。

> ハイドンの「驚愕」でした。‥‥音盤で聴くことはめったにない曲です。
やはり、と申してはヘンですが、私もハイドンの交響曲は苦手です。
とくに大編成のオーケストラによるハイドンの急速楽章は、ドンドコドンドコとうるさいのがイヤです。
お聴きになった楽団は小編成なのでよさが際立ったのかもしれません。
CDでは、ホグウッドが妙演だと思います。

へうたむ

2019/04/23 URL 編集返信

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> へうたむさん
モーツァルトはハイドンを尊敬していたようで、弦楽四重奏曲「ハイドン・セット」など、ハイドンを意識して推敲を重ね完成度を上げようとしたほどです。影響関係はおそらくあるでしょう。

ハイドンの交響曲は、むしろ指揮者で聴きます。指揮者のはっきりとした主張が聴けないと、ハイドンは持ちません。
その点、往年の指揮者はハイドンについては得意曲だけ演奏し、磨き上げた感があって、凄いものが聴けます。中でも一番すごいと思うのはシューリヒト指揮の「104番」ですね。カザルス指揮の「告別」も大好きです。
昨今の小編成スタイルでも、ミンコフスキの「ロンドン・セット」やリベラ・クラシカの演奏は解釈にキレと輝きが感じられ、聴きごたえがあります。

yositaka

2019/04/23 URL 編集返信

No title
> へうたむさん
続きです。
ドンドコと感じるのは主に後期の作品で、確かに抵抗を感じることはありますね。
ハイドンはオーケストラの腕前や人数に合わせて作曲し、小編成で名人ぞろいのエステルハージ・オーケストラではソロやアンサンブルを重視した室内楽編成、後期のパリやロンドンの大編成向けではトゥッティや合奏中心の構成で書きました。
そこでは個々の楽員の技量が低かったため、エステルハージ家でやったような繊細な音楽ができなかったようです。私は初期中期の作品の方がハイドンの秀逸さをより味わえると感じています。

yositaka

2019/04/23 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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