日本児童文学学会・日本イギリス児童文学会合同例会報告③

研究発表のあとはラウンドテーブル。テーマは「児童文学と言語教育」で、
最初に広島大学の難波博孝氏が、児童文学と教育学両者にまたがる大変危機的な現状について提案があり、
続いて大学、中学校の現場からの状況報告のあと、難波氏が補説する…というかたちで進行しました。


ラウンドテーブル「児童文学と言語教育」
難波博孝 (広島大学)
黒川麻実 (大阪樟蔭女子大学・日本児童文学学会会員)他

■概要

現在進行中の教育改革について
難波博孝 (広島大学)

現在進行中の日本の教育改革には文学の未来を大きく左右することがある。それは、高等学校教育課程の改革である。
日本では、まがりなりにも高等学校3年生まで国語科で文学を扱うことになっていた。
しかし、2022年から始まる新しい教育課程では、高2以後に「文学国語」という選択科目が設置されるが、ほとんどの高校はこの科目を選択しないと想定されている。
そうなると高2以後は文学教材を使った授業は高等学校から姿を消す事になる。

ほとんどの高等学校から文学教材が姿を消すことは、文学を享受するためのリソースを奪うことになり、文学を享受することが今以上にマニアックなものであるという認識を広めていくことになるだろう。日本にいる人々にとって共通の教養であろうと信じてきた古典作品がすでに共通教養でなくなったのと同じように、近現代文学もその道をたどっていくことが予想されるのである。

こういった改革の背後にはどのような教育政策の意図があるのか、またそれを許した文学研究側や国語教育側にどのような問題があったのか考察した上で、「マイナーな教養」となっていくであろう文学と向き合うために、子どもと/の文学に関わる人々がどう動いていけばいいか示していきたい。 

教科書に登場する東アジアの民話教材について 
黒川麻実 (大阪樟蔭女子大学・日本児童文学学会会員)

現在の小学校国語科教科書には、朝鮮半島の民話「三年とうげ」(光村図書・3年生)、「うさぎのさいばん」(三省堂・3年生)、モンゴルの民話「スーホの白い馬」(光村図書・2年生)、以上の次の三作品が東アジア民話として登場している。付属の指導書等において、これらの教材を通して、それぞれの地域の民族や文化を子ども達に理解させるよう示されている。
しかし、これらの東アジア民話教材の歴史を辿ると、植民地教育や社会主義プロパガンダに利用され、時代状況に合わせた再話の繰り返しが行われていた。
日本からの逆輸入の可能性がある「三年とうげ」では、朝鮮総督府編纂の読本教材として登場し、登場人物や内部に存在する教訓の改変がなされており、



同様のことが「うさぎのさいばん」にも当てはまることが判明した。



馬頭琴由来伝説を元にした「スーホ白い馬」は、当のモンゴル地域では全く別の馬頭琴由来伝説が継承されており、中国人作家による“作られた民話”であることが明らかになった。
本発表では、三教材を重ね合わせた上で見えてくる“民話教材を巡る問題”を示し、これからの国語教育において民話教材をどのように扱っていけば良いのか、この問いに答えていきたい。
 
言葉を、文化を伝えるには何が必要か-学校の現状から考える
(公立中学校英語科教諭)

文化の継承が難しくなっていると感じているのは、子どもと日々関わり現場の厳しさにさらされている教師だけではないだろう。中学校教師(英語科)として日々感じる事は、「子どもに言葉が通じない」ことの恐ろしさである。子どもたちには、「一斉授業を受けるスキル」が無いのである。
言葉やメッセージが伝わらなければ、物語も通じない。子どもたちには、児童文学を伝える場として学校がよりよく機能する為に、現在、学校はどうなっているのかに興味を持っていただけないだろうか。

■「スーホの白い馬」は作られた民話だった

難波氏のお話については後回しにして、現場代表のお二方のご発表について先にご報告したい。

まず、黒川氏の提言について。
これまで「アジアの民話教材」として扱われ、教科書教材としても扱われてきた作品の出自が、
実際には「日本の民話の逆輸入」だったり、元来は地域で口承されてきた話がのは日本の植民地時代の教科書で文章として定着し、その際かなりの改変が加えられたものだったり、さらには隣国の作家による創作だったり…と、意外な経歴をもつものであることが、史料研究によって論証された。

とりわけ驚かされたのは、赤羽末吉・大塚勇三のすぐれた絵本として名高い「スーホの白い馬」(1961年初出・1965年教材化)のケース。
これは一般に「モンゴルの昔話」として知られているが、実際には戦後中国のプロパガンダ的要素の強い創作民話(塞野『馬頭琴』1956)が元になっているという。




黒川氏は、これが日本で絵本化され、また教科書教材として採択されるに至った背景には、絵本作家の赤羽末吉、教科書編集者の石森延男の満州体験に由来する「満蒙への郷愁」があったのではないかと指摘する。

日本におけるアジアの民話教材には、日本の東アジアに対する「植民地政策」「植民地教育」そして何らかの形で植民地時代の思想的背景を持った「作者の意向」が強く反映している。
教科書指導書に謳われる「民族の間に生まれ、長い時間をかけて伝えられてきた話で、その土地独自の見方や考え方、民族の心に触れさせることができる」という文言は、必ずしも正しくないと言えよう。

「民話」そのものを読み味わうことよりも、理想化された「民」を鮮明に描き出す作品として教材化することで、時代にふさわしい人間像を学習者に形成(刷り込み)することに教育界の意図があったのではないか、と黒川氏は推察する。
そうであるならば、今後研究者が追求するべきなのは「このような教材成立の背景や、改変の経緯そのものを教材として活用する可能性」を探ることではないか…

この発表は、これらを「優れた民話」と考えてきた人間に、再考を迫るものであった。ネコパパもそのひとりだ。
作品そのものの価値や評価は別としたいが、「授業で学ぶ」ことで、子どもたちに一つの民族に対する偏ったイメージを印象づけてしまうとしたら、好ましいことではないだろう。
しかし、多忙な現場の教員に「改変の事実を教材化する」ほどの「飛躍的な」実践を期待できるだろうか。
相当に難しいと思う。
当分はこの学会のような機会に「草の根」的に認識を広げていくしかないのかもしれない。

■現場の困難、教員の困難

黒川氏に続く提案は、公立中学校の現職教員による実践報告であった。
内容は教育現場での教師と生徒のコミュニケーションが困難な状況を、英語科の授業実践を報告しつつ述べたもので、私も現場教員として共感する点は多々あった。
しかし一方で、この報告に限ったことではないが、
「現在の子ども」のマイナス面ばかりに注目しがちなのはどうなのだろうか、とも思った。

教員は、ある意味、矛盾した職業である。
「子どもは肯定的に見るべし」と言われながらも「よさを引き出し、マイナス面は毅然と正すべし」という姿勢が求められる。
とりわけ近年は「成長した姿こそ結果だ。結果を出せ」という「成果主義」のプレッシャーが増して、「評価者」の側面が肥大化しつつある現状だ。

肯定的な面ばかりでなく、マイナス面を見なければ「評価」はできない。
そして誰もが知るように、人という生き物はマイナス面を見つける方が、よほど易しい。

「児童文学」というジャンルは、原則的に子どもを、そして人間を「無条件に」肯定することをよしとする立場で書かれる文学である。
その一点で、児童文学と教育は、どうしても相容れぬものがあるのは確かだろう。

ラウンドテーブルの取りまとめ役である広島大学の難波博孝教授は言う。
「文学に関わる人は、大体教育には冷たい。でも、その反目のツケが回って、文学研究も潰れるかもしれない。この動きは止められないが、止めなければならない…これからするのは、そんな深刻な話です」

続きます。

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コメント

コメント(4)
No title
先日の口承文芸学会では関敬吾シンポジウムしましたが、関は昔話をかなり流動的に捉えていました。最近の教科書昔話どうですか教えていいのですかと質問ありました。パネリストの高木さんはガンガン教えてよい派でしたよ。ただし。高木さん曰く、主体的・対話的で深い学びにつなげられる優れた教員の援助が欠かせないと。
小1から何だ教科書もたくさん間違いあるんだという判断を自らできるように援助できる能力が教員には必要だそうです。
それって教えるの賛成なのかしら?

シュレーゲル雨蛙

2018/11/21 URL 編集返信

No title
スーホの白い馬の真実はもう少し知られてよいのですが、返す刀で、国策以外の創作も取り上げる必要があるように思います。ぼくはスーホの白い馬を読んだときに日本では鶴女房譚を換骨奪胎した夕鶴のお芝居に大変よく似ているなと思いました。

シュレーゲル雨蛙

2018/11/21 URL 編集返信

No title
> シュレーゲル雨蛙さん
本当の意味で「主体的・対話的で深い学び」につなげられれば、あらゆるものが教材となります。ただし、教育現場ではそれを狭く受け止め、手のひらに載せるような出来レースを子どもに演じさせ、いかにも「子ども主体」で授業を行っているような外観を整えることが横行しています。まずいことに教師もそれでいいと思っている。
ネコパパのいう「変幻自在」とは、用語の曖昧さを逆手にとって子どもに加担する姿勢で授業に臨むことです。1時間のうち5分でも10分でもそういう時間が取れれば、現場も随分風通しが良くなると思うのです。それには教員の発想の転換が必要ですが…

yositaka

2018/11/21 URL 編集返信

No title
> シュレーゲル雨蛙さん
大塚・赤羽版の絵本「スーホの白い馬」は、それでも傑作だと思います。ただ、その良さは福音館発行の絵本という形で読むことではじめて味わえるもので、教科書掲載作はそれとは似て非なる「劣化コピー」にすぎません。

とはいえ、本当のアジアの口承文芸が紹介されなければ、やはりまずいでしょう。その分野が今後ますます切り開かれていくことを期待したいものです。

yositaka

2018/11/21 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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