おじさんだって少女である



戦後民主主義と少女漫画
■飯沢耕太郎
■2009/6/1
■PHP新書597
■740円

筆者は1954年生まれの写真評論家。
私と同じ世代だけに、リアルタイムで読み進んできた漫画読者としての作品への共感、示唆を受けた場面などが実によく一致する。

大島弓子なら、『バナナブレッドのプディング』
萩尾望都なら、『トーマの心臓』
ことに『バナナブレッド』で印象的な、あの「結びの手紙」文がそっくり引用されていることには
これこれ!まさしくこれですよ!
と強く思わせる。



…おかあさん ゆうべ 夢をみました…まだ生まれてもいない 赤ちゃんが わたしに言うのです 男に生まれたほうが生きやすいか 女に生まれたほうが生きやすいかと わたしはどっちも同じように 生きやすいということはないと 答えると
おなかにいるだけでも こんなに孤独なのに 生まれてからは どうなるんでしょう 生まれてくるのがこわい これ以上ひとりぼっちはいやだ というのです…(以下略)



この、存在自体に内包される「絶対の孤独感」を、一気に救済へと変貌させる、大島弓子の表現の力。
初めて読んだときの目のくらむ思いは、決して私だけの錯覚ではなかった…そのことを確かめられただけでも、これは読む価値のある一冊だ。
この引用からもわかるように、筆者は自身の持つ「純粋少女性」そのものを手法化し、その混沌・混乱・救済を描く代表として大島弓子を挙げている。
そして同じように優れた表現者ながら、作品世界を神の目で対象化し、計算されたストーリー・構成によって、少女の内面世界を描き尽くす「天才」として、萩尾望都の名を挙げる。


以上二人に加えて、
岡崎京子
という、少女漫画を逸脱しつつ、なお失われぬ純粋さを描く漫画家への、共感にあふれた論が展開される。
「少女漫画」と銘打たれているものの、実質この三人の、限られた作品についての分析。
それが、戦後民主主義の時代背景を考察しながら述べられている。
残念ながら、私は岡崎京子の読者ではない。一方、さきの二人以上に強い印象と共感をもって読み続けている、樹村みのりについてのコメントがないのも残念。
戦後民主主義をいうなら、樹村みのりは、この世代の漫画家として第一に挙げられるべき作家と思うからだ。


少女漫画、それは「共感の共同体」、少女たちの繊細な震えや怯えにシンクロしていく回路、と筆者はとらえる。そして、この分野の発展と豊穣な作品群は、60年代から70年代の戦後民主主義、大量消費社会の後押しがあって初めて達成された、という。
特徴付ける技法として
発せられている台詞と、心の内の言葉である「内語」を同時に書き込む技法の確立、カケアミなど絵の技法の複雑化、そして時代を経るにしたがって類型化・劣化していく「かわいい」概念などを挙げていく、飯沢の論は説得力に富む。
ただし、「大量消費社会」の誘引以外の「戦後民主主義」との関連については、さらにくわしく、具体的な記述も必要と感じられた。
タイトルに大きく「戦後民主主義」とあっても、これは政治的・歴史的考察ではなく、表現論としての『少女漫画論』と見たい。


溜飲を下げたのは、「純粋少女性」という概念を、女性だけのものとして語っていないこと。
「おじさんだって少女である」
「少女漫画が戦う場所は、じつはわれわれの現実世界と幻想世界のすべての領域なのだ」そして、筆者は悲しげに付け加える…大島弓子は撤退してしまったけれど、と。

大島の近作『グーグーだって猫である』…これは、撤退してしまった作品なのか。筆者はそのように述べている。
しかし、そうなのか。私は、この作品の中で、非常に深く、強い印象を残す場面をひとつ見つけている。この一点で、私は「撤退」に異議を唱えるひとりなのだが…

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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