日本児童文学学会・日本イギリス児童文学会合同例会報告①

9月8日に開催された日本児童文学学会・日本イギリス児童文学会両中部支部合同例会に参加してきました。

場所は愛知淑徳大学長くてキャンパス内にある、国際交流会館です。
例会は珍しいことに、教室ではなくラウンジで行われました。開放的な雰囲気のいい会場でした。
全体を貫くテーマは「児童文学と教育」。
これはネコパパにも関わりの深い…ということで、気が引き締めて拝聴しました。





概略は以下のとおりです。
中部児童文学学会ホームページより引用。



日本児童文学学会・日本イギリス児童文学会両中部支部例会


主催:日本児童文学学会中部支部・日本イギリス児童文学会中部支部
日時:2018年9月8日(土) 12:50~17:50
場所:愛知淑徳大学 長久手キャンパス 国際交流会館(アイハウス)1階ラウンジ

【タイムテーブル】

12:50~       両学会代表者挨拶
13:00~13:40   研究発表1  青木 文美(愛知淑徳大学、日本児童文学学会会員)
            「大学生と読物体験―講座「絵本論」を通して考える読物分析力の育成法」

13:50~14:30   研究発表2  新居 明子(名古屋外国語大学、日本イギリス児童文学会会員)
           「自己理解と他者理解を育む絵本の世界―多文化共生社会の実現を目指して」

14:40~15:05   事務連絡

15:15~17:15   ラウンドテーブル「児童文学と言語教育」
           難波博孝 (広島大学)
           黒川麻実 (大阪樟蔭女子大学・日本児童文学学会会員)他

以下、発表内容の概略と所感を書き綴ってみたいと思います。

研究発表1

「大学生と読物体験―講座「絵本論」を通して考える読物との関わり方、分析力の育成法」
青木 文美(愛知淑徳大学・日本児童文学学会会員)

■概要

言葉で構築された芸術である〈文学〉を専門としない学生に、〈文学〉との付き合い方や〈文学〉の必要性を語って10年になる。
「言葉と文化ってつながってるって知らなかった。」
「絵本って子供が言葉を覚えたり物の名前を覚えたりするのにあるんでしょって思ってた。」
「『すてきな三にんぐみ』でもつらいけど、がんばって夏休みに絵本読みます。」
ここ1年未満に受け取ったコメントの数々である。
保育者養成課程の学生が素直で明るいおかげで、自明のこととしていた〈言葉と文化〉や〈文化と文学〉とのつながりが、決して自明のことではないと知り、(絵)本との関わり方や読み取った内容を語り合う楽しさを体験してもらい、「文学って悪くないでしょ」、「文学って社会を知る手がかりにもなるんだよ」という存在意義や必要性を伝えることに日々画策している。
今回はその画策の内容と考察について発表する。




■絵本は保育の道具か?

青木氏は保育者養成課程で「絵本論」を講じておられるのだが、 この分野での絵本研究は「子育てに以下に効果的か」をアンケート調査などで数値化して、学習効果の測定を行うのが一般的で、絵本の内容自体には言及しないことが多いという。
そんな中で「文学研究者」の立場で講ずる困難を感じながらの実践の日々とのこと。
受講する学生の意識にも、絵本を保育の道具と見る見方が浸透し、いわゆる「絵本好き」の学生は少ない。
講義では多読の意義をとき、50冊以上読み、内容紹介のレポートを課している。そんな中で、絵本の魅力に目覚める学生も出始めた。

「赤ちゃん絵本」では絵本の構成要素を次々指摘させる。教師は発言すべてを板書。しかし学生の中には「赤ちゃん絵本」そのものにまったく関心を持てず、白けた授業に終止する年度もあった。
「絵本は子どもの大切なおもちゃ」とくり返し伝えることで興味をつなぎ止めようとしている。

絵本を日本文化に着目して読み解いていく視点も大切と感じている。「おばけのてんぷら」を題材に日本独自の言葉や文化の調査を行っていく授業も実践。信じたいのは、絵本が子どもを育てるのに必要な力であること。それが少しでも学生に伝わって欲しいと願って教壇に立つ毎日とのことである。




■ネコパパ感想

保育士を目指す学生のかなりが絵本の魅力を知らない、というのは驚きだ。
今20歳とすれば、幼少期は平成一桁。
バブル崩壊の時期で、子どもの本の世界では70年代から80年代の「子どもの本花ざかり」を経て、相当数の絵本が市場に溢れていた時期である。そんな中で育ったにもかかかわらず、「絵本の世界」の魅力は十分には浸透していなかったとすれば、それはかなり残念なことである。
絵本を文化としてではなく、子育ての道具としか見ない視点は、彼らの親の世代、いまの40代から50代の育てたものと見ることができる。

私たちよりひと世代若い層。
現代児童文学を築いた世代の影響力は、どうも、その世代にはあまり及ばなかった…と言うしかないのだろうか?

ガイドブックを作っての啓発をしたり、自身と絵本の関わりを熱く語っても、「響かない」「届かない」と感じることが多い、と青木氏は言う。「合理的に説明していかないと、動かない学生が多いのです」とも。

もしそうなら、なぜ彼ら彼女らは「保育」をめざすのだろう。
そんな学生の「本」に対する見方、そしてなによりも「子ども観」がぜひ知りたい。それも、深く…と痛切に感じさせられた発表だった。


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コメント

コメント(5)
No title
地元図書館が、検索システムの更新と同時に始めた新着図書のメール通知サービスを受けています。
ジャンルを指定しておくと、その分野の本の情報がメールで届きます。
「絵本」は依頼しておりまえんが「日本文学」で届く本の情報を見ておりますと、書き手はいっぱいいるのに、それに見合った数の読み手が十分いるわけではない現下の状況が見て取れます。
おそらくは「絵本」を含む児童書でも同じ状況が起きているのではないかと思ってしまいます。
専門書でも、編集者が十分機能していないのが見て取れる本が増えていますし…

gustav_xxx_2003

2018/09/29 URL 編集返信

No title
出版社側も「知育絵本」とか「しつけ絵本」
という路線で売るケースがあります。
教育の現場では、道徳的な狙いを絵本に求める教員も
実は少なくありません。
私は絵本が好きで愉しみでもありますが、
絵本に何か多くを求めたり
「絵本はこうあるべき」と考えると、
愉しみが薄れてしまうような気がします。
子供たちは、何も考えず読むんだし^^;

ユキ

2018/09/29 URL 編集返信

No title
> gustavさん
現在書店業界で唯一売れ行きを保持しているのが児童書です。それだけ、多くの書き手も活躍しているのですが、その質となると編集者の以降が大きく反映します。60年代から70年代にかけては、児童文学は志の高い編集者が活躍する時代で、現在も着実に売れ続けている「現代の古典」の数々が生み出されました。それに対して現在は、ポストモダンというべきか、むしろ大人を相手にしたようなものやエンタメに徹した作品が氾濫し、混沌とした状況です。編集者の姿勢が問われていると言えるでしょう。

yositaka

2018/09/29 URL 編集返信

No title
> ユキさん
教育を前面に出した方が売れやすく、わかりやすいという状況は、まるで子どもの本の創世時代に戻ってしまったような残念感があります。
70年代には子どもの本を教育的配慮やイデオロギーから開放し、「楽しさ」を軸にすぐれたアートとして発展させようという機運がありました。ところが昨今は「楽しさ」を「豊かさ・深さ」ととらえる観点がなかなか通用しないと感じることがあります。青木氏が保育者志望の学生に感じている当惑もそれに通じるようなものがあります。大人が楽しさを伝える言葉を失い、若い世代もまたそれを感受する心をどこかに置き忘れている。このままではいけませんね。

yositaka

2018/09/29 URL 編集返信

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2021/10/16 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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