ムラヴィンスキー、「ららら♪…」に登場

旧ソ連時代に活躍したロシアの指揮者エフゲニー・ムラヴィンスキーは、国外での演奏を滅多にしない「幻の指揮者」と呼ばれていましたが、日本には2度のキャンセルを経て1973年に初来日、以後すっかり日本がお気に入りとなり79年まで四回もの来日公演を行いました。
このムラヴィンスキーを特集した番組がNHKの音楽番組「ららら♪クラシック」枠で放送され、
30分番組と言いながらかなりの反響になったようです。
ネコパパは当番組を毎週録画しているのですが、見るのはずっと後になりがちです。
この回も、おやっとは思ったものの、つい先日見たばかり。
反響は大きく、4月13日に初放送されてすぐの19日にも再放送されたそうです。
全く知りませんでした。

以下、NHKサイトから引用。




解剖!伝説の名演奏家「幻の指揮者ムラヴィンスキー」 

旧ソ連時代、半世紀に渡り、世界屈指のオーケストラ、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者として君臨したエフゲー二・ムラヴィンスキー(1903—1988)。
少年期にロシア革命を経験し、芸術家への監視が厳しい社会を生きながら、信じる音楽のためには、どんな圧力にも屈しなかった人物。70年代の初来日まで、「幻」と呼ばれていた巨匠の実像に迫ります!

「鉄壁のアンサンブル」妥協なき指揮者

ムラヴィンスキーは、眼光鋭くわずかな手の動きで100名を越す楽団員をまとめ、一糸乱れぬ「鉄壁のアンサブル」を生み出した。その演奏の秘密はリハーサル。「もう一度」と一つの音を突き詰め、楽団員たちに自分の理想の音を奏でるよう求める。その妥協なき姿勢を他人以上に自らにも課し、自宅では常にスコアの解釈に余念がなかったという。ムラヴィンスキー夫人は「作曲家の意図に入り込み、自分も作品の創造に“参加している"と感じなければいけない。それが『指揮者の使命』と夫は考えていた」と語る。

70年代に4回来日・巨匠の生い立ち

幻の指揮者は70年代に4回来日。その素顔は「厳格な巨匠」ではなく優しく真摯な人柄だった。初来日から15年間、通訳を務めた河島みどりさんは、天ぷらをフォークで食べる巨匠へ「指揮棒は使えるのに」と問うと「指揮棒は1本。箸は2本だから使えない」とユーモアたっぷりに答えた思い出を語る。そんなムラヴィンスキーは、帝政ロシア時代に音楽を愛する貴族の家に生まれた。しかし14才で起きたロシア革命で生活は一変。レニングラード・フィルの指揮者になってからも、旧ソ連体制の厳しい監視と統制の中で生きた。そんな中、訪れた日本。巨匠が厳しい時代を生きた、ふだんとは違う笑顔を見せた瞬間だった。

信じる音楽のために・反骨精神の指揮者

指揮者ムラヴィンスキーの音楽人生に欠かせない人物がいる。世界が誇る大作曲家ドミートリ・ショスタコーヴィチ。彼が作曲した交響曲全15曲の内、7曲の初演をムラヴィンスキーは手がけており、2人の信頼関係は厚いものだった。スターリンの圧政が続く1948年にある事件が起きる。ショスタコーヴィチは、その作品が、「体制にふさわしくない」とソビエト連邦作曲家同盟の特別会議に呼ばれ、自ら否を認めなければ、粛清されてしまう危機に陥ったのだ。この出来事に対し、ムラヴィンスキーは憤る。指揮者生命をかけ、ショスタコーヴィチの作品を演奏会で取り上げ、集まった聴衆を熱狂させた。指揮者の大井剛史さんは「ショスタコーヴィチの音楽を否定してしまったら、自分が信じている音楽を否定されてしまう。それをムラヴィンスキーは音楽家として許せなかったのだろう」と熱く語る。


大井「ムラヴィンスキーの演奏は、楽譜に忠実で、ストイックな中から音楽が立ちのぼってくる」
河島「圧力に対し、自由を求めて信じる道をいこうという闘いがあったから、すごい音楽ができたのだと思う」


もうひとつ、タワーレコードの記事も引用。

ららら♪クラシック4月13日放映「解剖!伝説の名演奏家『幻の指揮者ムラヴィンスキー』」が大反響!

掲載: 2018年04月16日 00:00

Eテレ 毎週金曜 午後9時30分の「ららら♪クラシック」、4月13日(金)放映の「解剖!伝説の名演奏家『幻の指揮者ムラヴィンスキー』」が大きな反響を呼んでいます。

東西冷戦の時代を生きた、旧ソ連の大指揮者エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903~1988)について、 (1)「鉄の結束」を生んだ自分に厳しい指揮者、(2)70年代来日で見せた巨匠の素顔、(3)信じる音楽のための「命がけの演奏」という3つのテーマで論じました。

ゲストに指揮者の大井剛史氏、ロシア語通訳・翻訳家でムラヴィンスキーと親交のあった河島みどり氏を迎え、元レニングラード・フィル フルート奏者でムラヴィンスキー夫人のアレクサンドラ・ムラヴィンスカヤ氏の証言を交えながら検証してゆく、たいへん興味深い内容となりました。

そしてムラヴィンスキー指揮のショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 作品47が映像で流されました。この20世紀の名作交響曲の初演者、ムラヴィンスキーの使命感に満ちた凄絶無比な演奏に、改めて注目が集まりました。

引用終わり。

■貴重なインタビュー

番組を見ての収穫は、ムラヴィンスキー夫人でレニングラード・フィルのフルート奏者だったアレクサンドラ婦人へのインタビューが行われていたこと。100歳を過ぎてお元気なことに驚かされました。インタビューの場所も、写真などでよく見るムラヴィンスキーの自宅マンションの一室のようだったのも印象深く感じました。




スコアは徹底的に読み込まれていました。作曲家の意図まで入り込んで、その雰囲気の中で自分も作品の創造に『参加している』と感じなければならない。それが指揮者の使命だと考えていました。作品がその後長生きできるか短命かその運命は指揮者の手の中にあるのだと。もし作曲家が望んだ高みに上げられたらずっと生き続ける。そして、自分が準備してきたものとオーケストラとの間の境目を無くすことに徹底していました。」

もうひとつは来日時、通訳を務めた川島みどり氏をスタジオに招いて指揮者のエピソードを語ってもらったところ。ムラヴィンスキーは案外おちゃめな人柄で、、リハーサルで楽員を怖がらせるよう、片眉を上げて睨みつける表情を、鏡を見ながら何度も練習したことを白状したこともあったようです。

これにのインタビューは、30分番組の枠内という制限のためにごく短く編集されてましたが、可能なら枠を広げたスペシャル版を放送して欲しいものです。

■期待はずれの演奏場面

でもまあ、ネコパパの最大の興味はそこではなく、演奏場面でした。
放送予定を知ってまっさきに思ったのは、1973年の初来日時にNHKが放送した映像。
まさかとは思うけど、もしや「あれ」が放送されるのでは?
と、儚い期待を抱いたのです。




1973年5月26日東京文化会館での全プログラム、
ベートーヴェン「第4」ショスタコーヴィッチ「第5」、それにアンコールで演奏されたリャードフ「バーバ・ヤーガ」…コンサート全曲のTV放送は、いまもネコパパの記憶に生々しく残っています。
浩瀚なるサイト「海外オーケストラ来日公演記録抄」の伝える、その映像の様子は…

ショスタコーヴィチの5番!とにかく指揮が激しい!第一楽章途中でその激しい指揮により、胸の勲章がこれまた激しく揺れる映像もまた印象的だったのですが、演奏終了後こちらが「おお、すごいなあ」と思った瞬間、指揮者が客席を振り返らない。激しい歓呼と爆発的な拍手にもかかわらず、口をもごもごさせながらスコアを見、不機嫌な表情でなにかを点検してるではないか。 「師匠、駄目なんですか!ここまでやっても」と正直絶句したものでした。また文化会館の照明のせいか妙に頬の辺りに影ができてしまい、顔に深い影を落として指揮をしていたその表情に、またなにか異常なほどの不気味さを感じたものでした。


…NHKはその録画を廃棄しました(録音は健在)。
今になってこんな番組を組む以上は、もしや、どこかでエアチェックでも発見されたのでは、と思うじゃないですか。
期待ははずれました。
放送されたのはこれではなく、同じショスタコーヴィチの「第5」でも、その10年後、1983年、ミンスクでのライヴ映像。ムラヴィンスキーの死後、NHKが入手して世界に先駆けて放送したものです。
曲目はシューベルトの「未完成」とショスタコーヴィチ「第5」でした。当番組ではショスタコーヴィチのフィナーレ後半が5分間ほど放送されました。
もちろんこれも貴重な記録ですが、すでにメディア化され、ここでも視聴できるものです。



NHKには今後も失われた映像遺産の探索を切望したいと思います。
それが収録した者としての責任だと考えます。
その費用を負担したのは、私たち視聴者なんですから…

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コメント

コメント(4)
No title
こんにちは。らららクラシックは見るようにしているのですが、何故かこれは再放送も見逃しました。とても残念。アルタスのCDは持っているのですが、ベートーベンの方しか聞いてないです。ちょっとショスタコビッチは取っ付きにくくて敬遠していたところ、偶々買ったメロディアの中古レコードの1954録音が腰を抜かす程の迫力だったので、逆にちょっと他の録音には縁が遠くなっています。

1954年の凄味は、叩きつけるコントラバスのピチカートです。あまり詳しくないですけれど、こんな弾くと言うよりも叩く音は他では聞いた事がなく、当時の革命から続くソ連でしか聞けない音で、作曲家と初演を共にしたムラビンスキーならではと思います。復刻盤のCDでは、中々そんな音を聞くことが出来ません。懐古趣味ではなく、当時のSPやLPから音源を作ると、そんな体験が出来るので中古レコードは魅力的です。

如月

2018/04/23 URL 編集返信

No title
> 如月さん
こんばんは。実は私も1954年盤LPでムラヴィンスキーの演奏に開眼した一人なんです。今も説得力十分な盤ですが、どちらかというと迫力よりも、全てを削ぎ落とした枯れ切った響きに特徴があり、これに比べると、ムラヴィンスキーの他の演奏は多かれ少なかれ演奏効果を狙った表情の濃さを感じます。
けれどたしかにコントラバスノピチカートなどに着目すれば「刻み込み、打ち込むような強度」はありますね。

こういう音で録音されているのはムラヴィンスキーでも珍しく、かなり特殊な音録りです。あとは57年のチャイコフスキー第4に近い音づくりが聴かれると思います。

yositaka

2018/04/23 URL 編集返信

No title
57年のチャイコフスキーも、メロディアをデジタル化して聞いています。この頃の初期の盤はよくイスラエルからeBAYに出ます。20世紀の歴史を辿るように、ジャケットはボロボロか或いはないものが多いです。でも大抵は驚くくほどの高音質です。レコードというのは意外と長持ちです。

この時代のソ連録音を聞いていると、私はとてもRCAに近い音を感じます。そして何故かトスカニーニのRCA録音はメロディアから多々出ています。ベルディのレクイエムなどは、いったいこれはいつの録音なんだろかという程に高音質です。あくまでも推測ですが、録音テープだけでなく、録音技術の提供もあったのではと思ってます。ベルリン封鎖とかベルリンの壁の前ですから。

如月

2018/04/24 URL 編集返信

No title
> 如月さん
ソビエト時代の録音は、録音年代の違いにあまり左右されず良かったり悪かったりするので、どうも実態がつかみにくく感じます。戦後ドイツからフルトヴェングラーの録音を持ち去ったことは有名ですが、おそらく機材も入手して研究したのかもしれません。
メロディアは国内のみ流通していた盤が多くあったそうですが、その中にはアメリカを含む西側のものもかなりあったということなんですね。私が知っているのは、西で流通したのは英語併記の輸出仕様だったことくらいです。

yositaka

2018/04/24 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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