バルビ節、全開のマーラー




イギリスの名指揮者、ジョン・バルビローリの指揮、ベルリン・フイルハーモニー管弦楽団演奏によるマーラーの交響曲。
emo君から借り受けて聴くことができた。感謝感激。

ベルリン・フィルが晩年のバルビローリーの指揮でマーラーの交響曲第九番を演奏し、感激した団員の強い要請でレコーディングが実現したのは有名な逸話だ。http://www.hmv.co.jp/product/detail/1221756#

意気投合した両者は、共演を続けることになる。ここにCD化されているのが、そのライヴの一部だ。

バルビローリの情感あふれる個性的な音楽は、しかし私見では三つの不運が重なって、日本での評価を落とす結果となっていた。

一つ目。
SP時代の名著、あらえびす著『名曲決定版』で、「第二流人」とか烙印を押され、ひどい扱いを受けていたこと。これはイギリスのオーケストラを指揮しての、協奏曲の伴奏の音盤ばかりが出ていたため。

二つ目。
吉田秀和の評価。これは実は前述のマーラーの九番を高く評価した批評文なのだが、そのなかにブラームスの第二交響曲に触れた部分があり、

せっかくヴィーン・フィルハーモニーというすばらしい楽器を手にして、ブラームスの演奏に失敗するようでは、名指揮者もなにもないのではないか!(中略)正直、バルビローリは、なんといってもマーラーがよく、あとは、いってみればもうおまけでしかないのである。―『世界の指揮者』1982 新潮文庫

と、これもかなりの酷評。温厚に思われている吉田にして、この厳しさだ。批評の第一人者にこうまで言われては…

そして三つ目。
1970年のフィルハーモニア管弦楽団との来日公演のリハーサル中に急逝したこと。
曲目は得意のシベリウス・マーラーを中心としたプログラムが組まれていた。実現していれば、大いに評判を高めたことだろう。

そこでこの三曲である。

バルビローリは、マーラーの音楽に大きな共感を持って、どの曲も長い長い「一節の歌」として歌い上げている。その「絶唱」にも似た演奏振りは、彼の演奏に対する既成概念を突き崩すほどの力に満ちたものだ。

もっともはっきりわかるのが「第三」。第二楽章、なだらかな舞曲の調べに、突然はしゃぐようににぎやかなフレーズがわりこんでくる。そんな突然の曲想変化が、マーラーの音楽の特徴なのだが、この演奏では変化を鮮やかに描き分けることをせず、踊りも、歌も、はしゃぎも、すべてがひと節のおおらかな、厚みのあるメロディとなる。
そして、ここぞという見せ場で、あふれんばかりの情をこめて「泣く」。
複雑怪奇な第一楽章も、全体が太い一筋の歌になって進んでいくために、曲の流れがとてもたどりやすい。こんなにわかりやすく聴ける「第三」は、はじめてだ。
(観客もいい気持ちになっていたのだろう。いびきをかいて眠っている人もいる。)
終楽章は、そんな彼の解釈に、もっとも向いた音楽。全曲の頂点だ。ここはまさにあふれんばかりの情感の渦。聴き手は、時間を忘れて天上の世界に浸るのみ…。

「第六」も、またすごい。
この曲、悲劇的な曲想が一貫し、マーラーとしては派手な曲想変化が少ない。完成度は高いが、重苦しくなかなか聴く気になれない交響曲だ。しかし、このような曲すらも「一筋の歌」を貫いてしまうバルビローリの指揮なら、一気に聴くことができる。

しかし「第二」は、ちょっと不調なのでは。この曲は激しい曲想変化が特徴の、いわばパッチワーク的音楽。そのせいもあるのか、バルビローリの「歌一本」の語法では、なんとなく緊張感に不足する部分も出てくるのかもしれない。第二楽章、第四楽章などは、泣きの歌が生きた名演だが、両端楽章はもう少し引き締まった、無駄のない進行が緊迫感を生むと感じる。
最後は疲れも出たのか、鐘の音がずれてきたり、ソロがコーラスよりも前面に出てきたり、なんとなく雑然としてきてしまう。
それでも、これほどに血の通った、熱い音楽はめったに聴けない。

残念なのは、録音がいまひとつなのだ。中では「第六」がもっとも鮮明。「第三」はステレオ録音で69年と新しいのに、最も不鮮明。急逝後、追悼盤としてEMIが発売を検討したというが、流れてしまった。前述の「いびき」のせいという人もいるが、どうだろう。

関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメント(0)
コメント投稿
非公開コメント

プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

ご訪問ありがとうございます

月別アーカイブ

検索フォーム

QRコード

QR