子どもたちの遺言


子どもたちの遺言

■谷川俊太郎 詩
■田淵章三 写真
■2009/1
■佼成出版社
■1500円http://www.amazon.co.jp/dp/4333023629/


いつかぼくが
ここから出て行くときのために
いまからぼくは遺言する
山はいつまでも高くそびえていてほしい
海はいつまでも深くたたえていてほしい
空はいつまでも青く澄んでいてほしい

―「生まれたよ ぼく」から




児童文学の分野でも大きな足跡を残し続けている詩人・谷川俊太郎の新作は、写真絵本の体裁をとった詩集。
10ページからの引用である。
画面右にこの1節があり
画面の四分の三を占めて 生まれたばかりの赤ちゃんの しわくちゃな足の裏の写真。
その足は、あたかも、はるかな遠い世界から、長い時間を歩いてきた老人のそれにも繋がる
そんなイメージを感じさせる。

この一節は、ここだけ読むと、77歳の作者自身の言葉では、と受け止められそうだが、じつは、生まれたばかりの赤ちゃんが世界に伝える最初のメッセージととして、うたわれている。
「子どもたちの遺言」というタイトルは挑戦的だ。
しかし全体の内容は、皮肉でも警句でもなく、人と世界に対する思いやりに満ちた、温かい言葉たちである。、
子どもも大人も、この宇宙の時間の中で、この世界に生きる価値を静かに思い、もしかしたら、自分や世界を見つめなおそうとする手がかりをつかむことができるかもしれない。

あとがきで詩人は語る。


大人の言語がだんだんデジタル化してゆくのに反して、子どもの言語はアナログにとどまっている。大人の言葉がもっぱら頭脳から発せられるのに対して、子どもの言葉はからだ全体から、、そして心の表面からではなくその底のほうから発せられる。書きやすいのは大人の言語に比べると、そういう子どもの言語のほうが詩に近いからではないかと思う。


最初の構想は、自身が子どもに遺言を、というものだったそうだが…


死に近づきつつある大人よりも、まだ死からはるかに遠い子どもが大人に向かって遺言するほうが、この時代ではずっと切実ではないか…生まれたばかりの赤ん坊に遺言されるような危うい時代に私たちは生きている。


こう考えて、逆転の発想を行ったという。

子どもの言語のほうが詩に近い
死に近づきつつある大人より、死からはるかに遠い子どもの方が詩に近い

「詩」と「死」なんだかふしぎな、言葉の一致である。そういえば、心理学者の河合隼雄さんは、老人と子どもは共に死に近い、親和力をもつ存在と語っていた。




花 ありがとう
今日も咲いていてくれて
明日は散ってしまうかもしれない
でも匂いも色ももう私の一部



でも誰だろう 何だろう
私に私をくれたのは?
限りない世界に向かって私は呟く
私 ありがとう

―「ありがとう」より

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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