ねじれてる…『くまとやまねこ』


くまとやまねこ
■湯本 香樹実・酒井 駒子
■河出書房新社  
■¥ 1,365


―ある朝 くまは ないていました。なかよしのことりが しんでしまったのです。
扉には横たわる小鳥の絵が置かれ、めくって本文最初のページの文章が、これ。


最愛の友だちをなくしてしまったくまは、死んだ小鳥を箱に入れ、いつまでも持ち歩く。
そのことを知った森の動物たちは「はやくわすれなくちゃ」と、くまを諫めるが、
くまは、くらくしめきった部屋に閉じこもってしまう。そして…

モノクロの、沈んだタッチで描かれた絵。
暗い森の情景は、マリー・ホール・エッツの名作絵本『もりのなか』を思わせる。
物語は、くまと小鳥の出会いの回想、猫との出会い、結末までが、静かな調子でつづられ、描かれていく。


2009年第1回MOE絵本屋さん大賞 総合部門、美術賞、文学賞で第1位。
紀伊国屋書店「キノベス2008」第8位。
世の話題になっている絵本、らしい。



作者の一人、湯本香樹実は、次のようなコメントを寄せている。

この『くまとやまねこ』は、ずいぶん長い時間をかけてできあがった絵本なのですが、できあがった今、時間をかけたかいがあったなあと心から思えるし、この絵本で私が書きたかったことも、やっぱり「時間」なのだな、とあらためて感じています。身近な人が亡くなることも含めて、大事な何かを失うというのは、自分自身の一部が死ぬことと等しい。死んだ自分を抱えている間は、時間が止まってしまったようにも思えるけれど、時間は実はきちんと流れていて、なにもしていないように見える人にも、深い変化をもたらしているのではないでしょうか。この絵本のなかのくまが、悲しみに閉じこもり、でもやがて外に出かけていったように、必ず死んでしまった自分自身の一部も、またよみがえる時がくるんだという、そういう時間というものへの深い信頼と感謝の念が、私にこの小さな物語を書かせてくれたのだと思います。
酒井駒子さんの素晴らしい絵によって、くまやことりややまねこや、命あるものすべてに流れる時の一刻一刻が、一頁一頁、このうえなくいとおしいものとして描き留められました。お読みいただけましたら幸いです。(アマゾンcomより)


長いコメントに、作品の主題がはっきりと述べられている。
しかし、このコメントは、読者に直接向けられた言葉のように思える。

お読みいただけましたら幸いです。

すると、これは大人に向けての絵本ということだろうか。
たしかに、『絵本ナビ』http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=18832を見ても、読者は圧倒的に「大人」だ。

大人の喪失感を癒す、美しく丁寧に作られた絵本。
しかし、文章はひらがな中心の、子どもに向けたかのような、語りかけで書かれている。
引っかかるのは、そこである。

対象年齢いかんに関わらず、
深い感動や新たな認識に読むもの見るものを導く作品は多い。
しかしこの『くまとやまねこ』は、なぜかそういう手ごたえを感じさせない。
なぜだろうか。
それは、大人にわかればいい、形体は子どもの絵本だが、それはあくまでデザイン上のこと。

そんな意識が見え隠れするからではないだろうか。
子どもだって、たくさんの喪失を日々、味わっている。
そんな子どもたちに寄りそって、温かく支えてくれる、そんな絵本があっていい。
でも、この作品の、唐突な出だしは?
時間の順序がふらつくような、流れの見えにくい展開は?
心の傷を癒すのに、「ここではないどこか」に旅立たせる結末は?

子どもに向けた形をとっているにもかかわらず、その実大人向きをねらっている。
この作品に今ひとつ感動できないのは、一冊の本として、奇妙なねじれを生じているためではないか。

この絵本に感動された方
あるいは高く評価される方からのご意見を、ぜひお聞きしたい。

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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