日本児童文学学会第56回研究大会報告②サガ、平和主義、文学の課題



さて、午後の研究発表です。

1 『ドイツ伝説集』における家族像について-子どもを中心に-
梅花女子大学大学院博士前期課程 蚊野千尋




■グリム兄弟が大人向けに著した「伝説集」

グリム兄弟が編纂した『ドイツ伝説集』は1816年に第1巻が、1818年に第2巻が出版されたが、7回改訂された『童話集』とは違い、一度も改定がないという。
蚊野氏は本作からは西洋中世および近世における人々の姿を読み取ることができると考え、子どもに焦点を当てながら本作に登場する家族のあり方を分析し、当時の家族像を浮かび上がらせようと試みられた。

蚊野氏はまず『ドイツ伝説集』に登場する夫婦を、「不倫する夫婦」「子どもを拾ったり、育てたりする夫婦」「子どもを売ったり捨てたりする夫婦」など6つのカテゴリーに分類し、それぞれについて階層、家族構成、子どもの数、あらすじを整理、統計して、そこから伺われる「西洋中世の結婚」のあり方についての考察を述べられた。
家族や夫婦は時代や社会によって傾向が異なるものであり、西洋中世・近世では後継者=息子の確保にこそ意味があり、子どもに恵まれなければ夫婦仲良く暮らしていけば良い」という近代の考えは存在しなかったと結論づける。

質問の時間には、かなり辛口の発言も出された。
そもそも中性・近世の時代区分が曖昧であり、19世紀に出版の本書だけををもって中世・近世の実態を考察するには難しい。それにはグリムが典拠とした中世の文献との比較照合が必要である。
また「不倫」「家族」など、現代の用語を定義なく使用して分析するのも、歴史事象を論ずる場合、慎重な配慮をすべきではないか…

もっともな意見だが、ネコパパは、この発表を興味深く聴いた。
『ドイツ伝説集』に描かれた家族には、いわゆる現代の家族像との相違よりも、むしろ共通点の方が多いと感じたのである。
聞き書きによる『童話集』とは違って、文献調査を元にした大人向けの著作である本書で、グリムは歴史を貫く人間の普遍を提示できた、と自信を持てたのではないか。それゆえ、読者への配慮から『童話集』では何度も行った「改訂」も、本書には不必要と考えたのだろう。

しかし蚊野氏は「ロマンティック・ラブ」を揺るがぬ価値感としてもつ一人の若者として、ここに書かれた家族像を異質と受け止め、それが研究への情熱を生み出した。
年齢を重ねれば、あるいは見方は変わるかも知れない。しかしここには、若い研究者ならではの「旬」の燦きが感じられる。





2 普仏戦争と児童文学-エクトール・マロ『家なき子』における平和主義
京都大学非常勤講師 渡辺貴規子




■「文学」の重要課題が浮上する

マロ『家なき子』(1878)は、普仏戦争(1870-1871)でフランスが対独敗戦を経験してまもなく書かれた児童文学作品である。
当時のフランスでは対独への復讐感情が渦巻きナショナリズムが高揚、教育、教科書、児童文学にも大きな影響を及ぼしていた。『家なき子』にも当時の共和主義的初等教育の内容が多く反映していることが見て取れる。
しかし、そんな中でもマロは愛国心を鼓舞する「愛国心」の涵養にかかわる記述を巧妙に回避し、かわりに他国民同士の相互理解と共生を促す平和主義思想を含ませた、と渡辺氏は考察する。

それは1870年代のマロの他の小説にもうかがわれることで、徴兵制度への抵抗や愛国心の挫折、戦場における国籍を問わない救護活動などがこれらにはより具体的に書かれているという。

『家なき子』で、主人公はフランス中を旅するが、その旅程からは国境問題の火種となるアルザス・ロレーヌ地方は回避されている。
ストーリーにはフランス教育法に準拠した内容がかなり網羅的に取り上げられている。しかし「軍事教練」に該当する内容は省略され、作中に軍人は登場しない。
そして物語の主人公レミも最後には英国籍であることがと判明する…など、渡辺氏の論を裏付ける記述は多い。
マロは、国籍を超えた友情や家族の絆を物語の柱とすることで、フランス共和国国民の育成を願いつつ、しかし国防のために命を捧げる兵士のような国家の都合を優先する生き方を称揚しない。
そこにはマロの個人の尊重を基盤とした平和主義の確かさが読み取れるという。
説得力十分の論旨である。

ただ、これをもってマロが当時の反権力的気骨をもった作家と考えるかは、別問題だろう。
例えば近代日本では童話作家たちが富国強兵の政策に呼応して、国家主義・国威発揚の色に染まった作品を数多く書いた。そうしなければ「国家の敵」と看做されたのである。
ではマロの生きた19世紀フランスはどうだったのか。ネコパパは多くを知らないが、ざっと検索した限りでは、彼は富裕な家に生まれ、国境を越えて多くの読者を獲得した人気作家で、自由主義思想に基づく政治活動も行ったようだが、特に政府から警戒されたことはなかったようだ。

「マロの平和主義は、この作品を紹介した日本の翻訳者たちに、どう受け止められていたのでしょうか」という佐藤宗子氏の質問に、渡辺氏は「あまり意識されていなかったのでは」とお答えになった。
鈴木三重吉にも激賞され、大正期から何度も翻訳・抄訳されてきた作品だが、そこに秘められた平和主義的思想は、あまり意識されることがなかった…とするなら、それはなぜだろう。
「そこに込めた主張」と受容された「作品の価値」は、必ずしも一致しない…「文学」の重要課題のひとつが、ここにまた浮上してくるのである。



関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメント(0)
コメント投稿
非公開コメント

プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

ご訪問ありがとうございます

月別アーカイブ

検索フォーム

QRコード

QR