戦時のチェロ~トレンチ・チェロの奏でる「白鳥」

「戦時のチェロ」

・ドビュッシー:チェロ・ソナタ L.144
・ブリッジ:チェロ・ソナタ H.125
・フォーレ:チェロ・ソナタ第1 番 ニ短調 Op.109
・ヴェーベルン:チェロとピアノのための3 つの小品 Op.11
・サン=サーンス:白鳥※
・ヒューバート・パリー:イェルサレム※
・アイヴァー・ノヴェロ:「Keep the Home Fires Burning」※
・トラディショナル:「神よ国王を護り賜え」※



この不思議な楽器は、なんだろう?


ステーヴン・イッサーリス(チェロ ※トレンチ・チェロ)
コニー・シー  (ピアノ)
録音: November 2016, Potton Hall, Westleton, Suffolk, England, United Kingdom
BISSA2312(SACD-HYBRID

■魂の宿る演奏

ベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集を聴いて以来、ネコパパはすっかりイッサーリスのチェロに惚れ込んでしまった。
彼のチェロには、すべてのフレーズに血の通った彼の肉声が聞こえる。スタイルは現代風でも、魂はパブロ・カザルスと同じ何かを感じる。
カザルスが好まなかったストラディヴァリを、彼は弾く。
ただし弦はガット弦。
ライヴではなかなか音量が出ないという。けれど音盤では、その鳴り難い弦の持てる力を、ぎりぎりまで出し切るくらいに雄弁に、強い音圧を込めて、鳴らし切る。
その音は近接マイクによって収録され、生々しく再現されるのだ。
絹のような美音とはずっと違う、雑味をたっぷり含んだ、塩辛く厳しい音。
ネコパパにはなぜか、これが無上の音に聴こえる…

そんなイッサーリスの最新盤を、待ち構えるように入手した。
自分でも驚くが、発売前から予約して入手した。安物買い専門のネコパパが、そこまで…「事件」である。

まずメインの3曲は、曲自体、大好きなもの。
ドビュッシーは数多くのいい録音があるし、ブリッジはロストロポーヴィチとブリテンの歴史的な一枚がある。フォーレならトルトゥリエかナヴァラ。
でも残念なことに…御大カザルスは、この中の一曲すら録音していない。
たしか長谷川陽子もだ。
そこに登場したこのイッサーリス盤は、「長年の渇きを癒す」一枚だった。

3曲に続いて収められているウェーベルンは、初めて聴いた曲で、3曲あわせて2分ちょっと、という「音楽の俳句」と呼ぶべき曲。
でも、決して「第二芸術」ではなく、高純度の「絶対音楽」だ。

ところでこの音盤、
第一次大戦中に作曲されたフランス、イギリス、オーストリアの曲を集め、「大戦後100年」のマイルストーンとする意図をもった企画盤でもあるのだが、最後に収録された4つの小品に、変わった趣向が凝らされている。
メインプログラムの「反歌」のように収録されたこれらを、イッサーリスは「トレンチ・チェロ」で演奏しているのである。

ジャケット写真に使われている「不思議な楽器」が、それ。




■塹壕に歌う「休日のチェロ」

2017年11月10日付の、英ガーディアン紙がこのCDについて記事を掲載している。ここから、イッサーリス自身の談話を引用してみたい。機械翻訳をもとにネコパパが大まかに意訳した。


物には魂が宿るのでしょうか。過去にそれを作り出し、所有し、触れた人々の魂の粒子を吸収しているのでしょうか?
この楽器を演奏してCDを製作しようと考えたとき、私にはひとつ懸念がありました。
楽器に悲しい出自がある場合、あるいは不幸な運命を背負っている場合、それに憑いている亡霊を怖れて、演奏を避けるべきなのか?
私は演奏することを選択しました。

この録音では、2つのチェロを使っています。
盤の大半を占める3つのソナタは、英国アカデミーに貸与されている私の愛器、1726年製のストラディヴァリウス「マルキ・ド・コルブロン」。
かつてザーラ・ネルソヴァが所有し、人生の最後まで傍らに置かれていたものです。
彼女はこの楽器が信頼できる誰かに演奏されることを望んでいました。死の直前の数ヶ月をともに過ごした私に、その意思を継ぐ演奏ができていれば、嬉しいのですが。

もう一つは「トレンチ・チェロ」。
これは「コルブロン」よりもはるかに数奇な歴史を持っています。
この楽器の存在を初めて知ったのは数年前、ヴァイオリンの専門家チャールズ・ベアと昼食をとっていたときのことです。
チャールズは、1960年代初めにハロルド・トリッグスという老紳士が、弾薬箱のように見える奇妙な楽器を持って訪問したことを教えてくれました。それは、W・E・ヒル&サンズという会社によって作られた「休日のチェロ」という製品で、おそらくは1900年頃のもの。。中空の箱の中には、ネック、指板、ブリッジなどが収納され、慣れれば組み立てるのに数分しかかかりません。弓も楽器にあわせて特別に作られたものでした。
老トリッグスは、そのころはもうチェロの演奏ができなくなっていて、売却処分のために、チャールズを訪問したのです。

第一次世界大戦中、若きハロルドはロイヤル・サセックス連隊に従軍していました。
何人かの音楽好きの兵士と戦場で演奏するために、彼はこの楽器を携帯し、塹壕の中でしばしば演奏したそうです。
死の不安と緊張の経ちこめた戦場に響く彼のチェロは、兵士たちにつかの間の休息をもたらしたのでしょう。
時折行われた公式行事の余興としても活躍したようです。
チェロの前面には連隊の記章が描かれ、内側にはエドモンド・ブリュンデンの詩句がが記されていました。




「弾薬箱」のような箱に収納された状態で持ち運び、組み立てると…こうなる。



エンドピンもついてる。
イッサーリスにインタビューしたガーディアン紙の記者は、この楽器を「スヌーピー」に出てくるシュローダーのピアノのようだ、と形容している。
しかし続けて「音は小さくとも、自然で、甘く、特別な響きがする。長い眠りの後に目覚めたチェロは、生き返るったことを楽しんでいるように音を奏でた」とも書いている。




イッサーリスは、トリッグスが自分と兵士仲間の神経を落ち着かせるために演奏したと思われる、4つの小品を選んで録音している。
この楽器は、戦場で数多くの悲劇に遭遇しているはずだが、その音色は、幾分細身で膨らみには乏しいが、とても優しく、寂しく、温かい。
100年前のベルギーの戦場、
この生と死の狭間で、兵士たちは、どんな思いでこの音を聴いていたのだろう。
それから100年後、オーディオを通して、名チェリストの手によって、世界中で聴かれることになるとは、誰も予想もしていなかっただろう。
でも、考えてみると、そんな現在の社会にも、見えない塹壕は残っている。

このネコパパ庵の一室だって、既に塹壕なのかもしれない。






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コメント

コメント(2)
No title
戦争と音楽との奇妙な結びつき。じつは、戦争と昔話も結びついています。日本で初めて本格的な昔話集の双書が出たのが昭和17-18年、柳田國男監修の全国昔話記録。背嚢に入れて戦場に持って行かれることが多かったと、柳田は述懐しています。関敬吾は、戦争は昔話が伝播する重要な機会だと説きました。飯豊道男は、グリムの子どもと家庭のメルヒェンに兵士が多いのは、19世紀ドイツ小国分立戦争時代の刻印だと記していました。
五味康祐は、中国に出征していたとき、民家に入って略奪したのは食事ではなく煙草だったと書きました。
音楽、昔話、煙草。戦争に直面した人が求めるのは、何か、余裕みたいなものじゃないか。そう思っています。それらがが求められ過ぎる時代がよい時代か……。恐ろしい思いがします。

シュレーゲル雨蛙

2017/12/07 URL 編集返信

No title
> シュレーゲル雨蛙さん
昭和17-18年といえば政府主導で「児童読物改善ニ関スル指示要綱」の徹底が図られ「俗悪な児童図書」は発禁となり、出版前検閲によって国策に沿った「良書」のみが出版できた状況だったはずです。本格的な昔話集の双書も、そんな中で実現した出版だったということになりますね。まさしく「戦争は昔話が伝播する重要な機会」だったことになります。
といって、そういう時代でなければ世に出なかった作品や業績をすべて無価値とするわけにはいきません。時代の良し悪しは政治や状況や人々の嗜好で決まるのではなく、人間の内にある「見通す力」の有無によって決まるのだと思います。その力が持てるかどうかが、「塹壕」の有無を決めるのだと思います。

yositaka

2017/12/07 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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