日本イギリス児童文学会研究大会2017⑦翻訳は「窓」そして「星座」



ラウンドテーブルA
国境を越えて:翻訳と編集出版
さくまゆみこ(翻訳者)×村中李衣(ノートルダム清心女子大学)

(概要)
児童文学の翻訳とは(さくまゆみこ)
私は、児童書というのは、子どもの周りに窓をあけるための媒体だと思っている。子どもに無理強いして窓を開けさせるのでは意味がないが、「子どもが開きたくなるような窓」を用意しておくことには意味がある。窓を開けた子どもがそれによって自分の視野を広げたり、あるいは自分が置かれている息苦しい状況から抜け出したりすることができれば、翻訳者としても嬉しい。
また私は、日本の作家が書けるような作品であれば翻訳する必要はないと思っているので日本の作家には作れない窓を翻訳者が作っていくことが大事だと考えている。
一般書ではあまり問題にならないが、子どもの本の場合はわかりやすさという点も大いに考慮しなくてはならない。翻訳という作業には、異文化を伝えるという意味があることは十分に理解しつつも、読者対象によっては<注>が使えなかったり、子どもが知っている語彙にあわせなくてはならなかったりするため、いつも文化の伝達を優先するか、あるいはわかりやすさを優先するかというジレンマを抱えて翻訳者は悩むことになる。

【翻訳された言葉から世界に向き合う(村中李衣)
読者の立場から翻訳された言葉で物語を受け取るということについて考えていきたい。ひとつの例としてさくま氏が思いを込めて翻訳紹介された「ひとりひとりのやさしさ」を取り上げてみる。読者としてどう受け止め、どんな疑問を持ち、その問にさくま氏がどんな風に答えてくださったのかを報告する。
さらに、さくま氏とは異なるアプローチで翻訳作品の中にある子どもの生き難さや終わらない物語を日本という文化土壌に浸透させる「ことば」を模索していた灰島かり氏の仕事について考える。
最終的に翻訳作品と日本の子ども読者が出会うために、私たちは何を杖に「国境を越えて」いけばよいのか「国境を越えたのち」何を目指せばよいのか、その展望を持ちたい。

■それは「覚悟」を込めた訳文

最初にさくま氏が発言。

50年近く翻訳編集にかかわり240冊の翻訳を行ってきた。翻訳者は子どものために「開ける窓」を用意する人と思っている。窓を開くと、いま、こことは違う世界が見えてくるような。
児童文学作家キャサリン・パターソンは「自国だけでなく他国の本を紹介することは、国を越えて子どもが友達になることだ。そうすればどちらの国の政府も爆弾を落としあうことはなくなるだろう」と書いている。
子どもの本の難しさは言葉の選択にある。明治・大正の翻訳者は主人公を日本名にしたり、日本人になじみのない事物を日本のものに置き換えたりする工夫をしていた。私が訳したいと思うものは日本の作家には書けない内容の本だが、それには日本の子どもに届く日本語としてのおもしろさ、リズム、うねりが必要だ。
翻訳者が「言霊」を込めることで、外国作品であっても、内容はどんな子どもにも伝わるに違いないと考える。

続いて村中氏が発言。

さくま氏の言われる「窓」はどこに開ければよいのか。読者の立場で話してみたい。
私は子どものころ27回引越しをして、大人が信じられない子どもになった。
けれども本の文章の中では信じられる人間に出会うことができた、特に翻訳作品ではそれが多かった。たとえば何度も読み返したリンドグレーン「長くつしたのピッピ」の,大塚勇三の翻訳文。そこには原文を越えて伝わってくるものがあった。

日本語で読めてよかった、と思うような作品がある。
さくまさんが訳されたロイス・レンスキーの「四季の絵本」(あすなろ書房)はそんな本の一つだ。
たのしいなつ」。



「まいにち まってた なつがきた」
「おひさま きらきら ひなたみず ばしゃばしゃ」
見事な音節の繰り返しで、慣れない言葉も威風堂々と伝えられる、
子どもにとって「うれしい」絵本になっている。これは、傷ついた子どもにも利く言葉だ。

ジャクリーン・ウッドソン文、E.B.ルイス画「ひとりひとりのやさしさEach Kindness」(BL出版)。
主人公はクローイという女の子で、自分に笑いかけてくる貧しい身なりをした転校生の女の子を無視し続ける。
いじめっ子の心情を追った作品。
終盤、小石をバケツの水に落として、広がっていく小波をクローイに見せる担任のアルバート先生の言葉。「Each little thingsが広がっていくのです」
先生のスタンツはどうもよくわからない。Each little thingsの訳文は「やさしさ」でいいのだろうかと思う。タイトルのEach Kindness「ひとりひとり」か「ひとつずつ」か、どちらにも取れるが、敢えて「ひとりひとり」を選んだところに、さくまさんの葛藤と「覚悟」が見て取れる。




■翻訳で『星座』を描く人

提案が終わったあとは、お二人の協議に入る。
2016年6月になくなった研究者・翻訳者の灰島かり氏の翻訳姿勢を柱として、子どもの本の翻訳のあり方を考えていく内容となった。

村中氏は「灰島さんは普通の研究者とは違う視点で絵本研究をされた人。作品のメッセージはストーリだけでなく、細部に隠されているとの考えから、ことばと響きあう『読みの身体』の必要性を主張され、作品と身体を合わせ考察する研究の必要性を説かれた」とし
「灰島さんの翻訳はジェリー・ムーア・ルーカスさびしがりやのドラゴンたち』(評論社)のように、読者と一緒にリズムを作り出そうとする姿勢が感じられた。窓を開けるだけではなく『ここにいたら風に当たるよ』と、読者を「窓」に近づける言葉を模索されていた人だった。」と話された。



さくま氏は「灰島さんは、昔、夜空に星がいっぱい見えていたころ、人々が星と星をつないで『星座』にして見せたように、翻訳で『星座』のかたちを見せてくれる人だった。私は彼女とは違って、原文にできるかぎり忠実に、そのままを記していく方針」と話された。また、
アン・ファイン『チューリップ・タッチ』(評論社)での灰島さんの訳文には、ラストシーンに『星座』がある。物語のキーセンテンスの訳文を読むと、作者よりも灰島さんのほうが、主人公の心情をより深く汲み取っているように思うくらい。私が訳せば、より原文に近く、灰島さんの訳文とは違うものになるだろう。でも、子どもにわかりやすいのは、灰島さんの文章かもしれない」とも述べる。



■ネコパパ感想

村中李衣さんの「読者の立場から物語を受け取る」という読みの姿勢にはいつもながら心を揺さぶられます。さくまゆみこさん訳「四季の絵本」や、灰島かりさん訳「さびしがりやのドラゴンたち」の、リズム感や音節の引き出す感情を「iとaの明るさ」「mの響かせる安心感」と明晰に分析し「知らない言葉も威風堂々と伝えられる」言葉の力への信頼を差し出してきます。

さくまゆみこさんの翻訳という仕事に対する厳しさも、お話の中からありありと伝わってきました。
訳すとは「言霊」を込めること。
それによって、遠い異国で書かれた作品が、「ここ」でも確かに伝わるということを確信すること。

ただ、話し合いの中で示されているように、訳すという行為には開くべき「窓」を用意する姿勢と、「窓から見える星座」を示すことで、読者を窓に引き寄せようとする姿勢とがあり、この二つは共通部分も多いけれども、ある部分では、そして訳者の主体によって、あきらかに違う局面がある…そんな「翻訳の仕事」の多様さと複雑さを浮き彫りにした協議でもありました。

その「違い」の部分を際立たせて見せたのが「「ひとりひとりのやさしさ」の翻訳をめぐる、村中さんの問題提起です。
ひとりひとり、とも読めるし、ひとつひとつ、とも読める。
それを敢えて「ひとりひとり」の言葉を選んだのは、「ここは読者にはっきりと示すべきだ」という、さくまさんの覚悟の表れだ、と村中さんは言われているように思います。
それはもちろん「別の可能性もあるけれど」の含みも込めたものでしょう。

私は、ちょっとひっかかってしまいました。
それは本文のEach little thingsではなく、タイトルのEach Kindnessを「ひとりひとりのやさしさ」と訳したことについて、です。
確かにわかりやすい言葉ではあるけれど…教員生活の長いことも理由なのか、ネコパパには、どうにも素直に受け取れないタイトルなのです。しかも「いじめ」を扱った作品となれば…「大急ぎで逃げ出したくなる」ような教育色が感じられてしまった。これは一種の職業病なのかもしれません。
「やさしさ」は素敵な言葉です。
子どもたちは「やさしいね」と言ってもらうと、うれしい。
大人たちも、子どもに「やさしいね」と言えたら、きっとうれしい。
とっても。
でも「ひとりひとりのやさしさ」という題名の、「いじめ」を描いた絵本を一緒に読み合うというのはのはどうなんでしょう。うれしいだろうか。
どうにも違和感がある気がするのです。

こんなのは全く個人的な感想なのに、質問の形で発言してしまった私は、とんでもない無礼者です。でも言わずにいられませんでした。
協議後に赤面して謝罪する私をさくまさんは笑って受け止めてくださったのですが…

この訳がストレートな「窓」ならば、「星座」のような訳文とは、どんなものなのか?
教育色を感じない、違う言葉にすればいいのか?でもそれはもしかしたら、原文を損なうことになるのかもしれない。
たくさんの課題をいただいたラウンドテーブルになりました。


さて、このあと研究大会は、鶴岡真弓氏の『ケルト的想像力』についての講演が続きました。
これは興味と想像力を掻き立てる貴重なお話だったものの、多様かつ深遠、何よりも圧倒的な情報量に満ち満ちて、凡庸なネコパパの処理能力ではメモも追いつかず、申し訳ないことですが、記事としてまとめることは諦めざるをえません。

講演終了後、風の強まる東京女子大学のキャンパスを後にしたネコパパは、台風の接近する東京を大急ぎで移動、新幹線ホームにたどり着きました。
そこへ定刻通り、事前予約しておいた「のぞみ」が到着。
「よかった、なんとか動いてる…」と安堵したのもつかの間、
まさにその時点で「台風による運転見合わせ」のアナウンスが告げられ、私は人生最初の「座席で待機する体験」をすることになったのでした。
(おわり)





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コメント

コメント(4)
No title
>タイトルのEach Kindnessを「ひとりひとりのやさしさ」と訳したこと...

みっちは単純な奴ですから、eachの後は可算名詞が来ると信じており(笑)、よって、ここは「一つ一つの親切な行為」となるのが正しいと思いました。
この訳者の方は、そんなことは百も承知で、こうされたのでしょうねぇ。
悩んだ上の選択なんでしょうが、はたして、そういう思いは読者に通じるのでしょうか、独りよがりにならねば良いがと思います。

みっち

2017/11/29 URL 編集返信

No title
> みっちさん
eachの後は可算名詞…なるほど、そう考えられますか。でも厳密に言うと「親切な行為」って加算は難しいですよね。それに、絵本のタイトルとしてはちょっと硬い気がします。
「親切」も「やさしさ」も、タイトルに持ってくるとどうしても教育色が強くなって、ネコパパはアレルギーを起こしそうです。
「では、どうするんだ」と言われそうですが、会場でお話を聞いているうちに思いついたのがあります。
ここでこれを書くのは大変おこがましいのですが、勇気を出して、書いてしまいましょう。
「おもいがひとつ、またひとつ」

yositaka

2017/11/30 URL 編集返信

No title
こんにちは。初めて来ました。確かに、外国の作家は、珍しい「窓」
を作ってくれて、そこから新しい風景、体験が出来ます。
日本料理と、諸外国の料理じゃないですけど、「窓」から手を出して、いろいろと食してみたいですね。また、読みに来ます。

kouwann

2017/12/12 URL 編集返信

No title
> kouwannさん
ようこそ、コメントありがとうございます。
日本の外国文化への興味関心と紹介の速さは、児童文学に限らず全般的にそうで、明治時代の翻訳など調べてみますと、本国での出版とほとんど同時期に翻訳が出ている作品が多いことに驚かされます。音楽や美術の取り入れも速く、日本人は「窓をあける」ことに秀でた国民であり続けたのですね。
もっとも、そんな中でも紹介されない欠落も少なくありません。
特に出版情勢の厳しい最近では、翻訳されてしかるべきものがなかなか出せなくなっているようです。といって、いまさら原書を読む修練も厳しいです…
拙劣ブログではありますが、よろしければ、またお立ち寄りください。

yositaka

2017/12/13 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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