日本イギリス児童文学会研究大会2017④「グリーン・ノウ」のリアリティ



10月29日(日)
研究発表⑤「時を超える」司会:菱田信彦

a「目に見えないもの」のリアリティ――Lucy M. Bostonの時空間認識を読む――
磯部理美(一橋大学言語社会研究科博士後期1年)

(概要)
ルーシー・M・ボストンの「グリーン・ノウ物語」のうち、第1巻、第2巻、第6巻は、主人公の少年トーリーが古い館に宿る過去の歴史、いわば「館の記憶」をたどる物語である。第1巻「グリーン・ノウの子どもたち」では、トーリーが17世紀に館に住んでいた子どもたちの存在を感じ、徐々に彼らの声を聞いたり姿を見たりするようになりながら交流を深めていく。物語が進むにつれて「現在」と「過去」が交錯していく様子が「ファンタジー」でありながらもリアリティを持って描かれているのが特徴である。
このシリーズの舞台となっているのは、ボストンが生前住んでいたケンブリッジ州の村、ヘミングフォード・グレイにある。マナーハウスThe Manorである。もともと12世紀のノルマン時代の領主館であり、ボストンは1937年にここに移り住んだ。その後2年間をかけて館を修復するが、それは彼女にとってマナーハウスの歴史を追体験することであった。ボストンは言えそのものに強い愛着を持っており、「自伝」には、過去や記憶そのものといった「目に見えないもの」への彼女のこだわりが垣間見え、その内容や文体から「グリーン・ノウ物語」にも表れる過去への眼差しや特権的な時空間認識を読み取ることができる。
本発表ではその時空間認識を探る中で、ボストンにとって「目に見えないもの」(=記憶、過去そのもの)がどのようなリアリティを持っていたのかを考察する。





■語りの「依り代」としての「マナーハウス」

・The Manorー時間の集積する場所

イギリスにある「キングズ・カレッジ」礼拝堂のような古い建物は「石の記憶」を持っているかのように、内に刻まれた歴史を想像させる。The Manorでは「壁が話す」、などの表現でそこが過去と未来を内包する、時空を漂う場所であることを表現している。ボストンのThe Manor修復への意欲もまた、そんな過去を今に押し留めるための行為であった。

・「目に見えないもの」の「語り」を「語る」

グリーン・ノウに潜む子どもたちの「亡霊」は、この屋敷の「時の層となって沈殿する空間」から、トーリーの前に立ち現れてくる。
ボストンにとって時間とは、ひとつの場所の中に沈殿するという強い確信があったと思われる。
しかし、そんなボストンも、執筆に当たっては自分の「知覚の限界」を強く意識していたようである。
回想録には、「私の霊感は役立たず」として、館に潜む人物が、見たいのになかなか見えない、という残念さを口惜しむ言葉を記している。
魅惑的な素材にあふれ、豊かな文章力を身につけていたとしても、現実に存在するものと存在しないものの違いは容易に超えがたいものと思われたのであろう。

ボストンと同世代の児童文学作家フィリパ・ピアスは、
「ルーシーは執筆に当たって幽霊とコミュニケーション(心霊体験)していたかのようだった」との印象を語っている。
またKellamは「ルーシーが触れると、館は息を吹き返す」と書いている。
しかし、ボストン自身は、回想録にその種の体験を記してはいない。ファンタジー作家ボストンについては、外側から見える印象と、実際の彼女とは「ずれ」があったと思われる。
作家として、あくまで「リアリズム」の姿勢を貫いたといえるだろう。

・テクストのゆらぎ

ボストンにとっては、文章によって「語る」ことそのものが「目に見えないものに迫る」方法だった。その表現は、「時間軸を意識的に行き来させる」ことで、読者の時間感覚を曖昧にしていき、過去に存在したものを、あたかもいまここに存在するもののように表出していく。
それを「語り」によるリアリティ獲得と見ることもできるだろう。
The Manorに蓄積された時間が、ボストンという作者の「語り」を通して、現実のThe Manorに投影される。それが時間の感覚を麻痺させるような叙述となっていく。

最初は「存在の予感」であった「屋敷に棲む子どもたちの亡霊」が、トーリーに実在のものとして感じられ「見えたり、見えなかったり」する。
それが繰り返されることで、現実と非現実の「知覚」の境界が次第にあいまいになっていく。
「知覚」には、視覚だけでなく、子どもたちの「笑い声」や「歌」のような聴覚、「髪の触れる」ような触覚、「角砂糖やマーガリン」の味覚など五感に訴える表現が駆使される。

ボストンにとっては、このような「語り」を自ら体験したかのように書き記すことが、リアリティに接近する道であった。
現実に存在する「The Manor」と、そこにある事物、事象(マクガフィン)は、その「語り」の基盤となる「依り代」としての役割を果たしていると思われる。






■ネコパパ感想

ルーシー・ボストンについて述べる人は、決まって、彼女の住む館であるマナーハウスThe Manorと、ここを舞台とした作品「グリーン・ノウ物語」の叙述との細部に至るまでの「一致」に言及します。「舞台」と「作品」がこれほど密接な関係にある作品というのも、例が少ないでしょう。
残念ながらネコパパは、ケンブリッジ州にある「現地(聖地?)」に行ったことはありませんが、もし行ったなら、すごい既視感に襲われるかもしれません。
ところが磯部さんによれば、The Manorは初めからその姿だったのではなく、ボストン夫人が長い時間をかけて修復、整備した結果として今の姿があるというのです。

ルーシー・ボストンにとって作品作りは、現実のThe Manorという舞台づくりと対になるものだったのですね。
古い壁、木馬、廃墟となった修道院、馬蹄小屋に、屋根裏部屋の鳥かご、ネズミの彫り物、物語に登場する大きなものから小さなものまで、実際に手に触れ、それらに込められた「過去の歴史」や「広々とした時空」が眼前に立ち上がるのを実感しながら、ボストン夫人は物語を語っていったのでしょう。

発表後の質問の時間に、「発表者の言われているリアリティとは、ここではどういう意味ですか」と、磯部さんに難しい問いかけをしたのは、昨日「ライラ」について発表された半田涼太さんでした。
磯部さんは「それは、目に見えないものを読者に『実感させる』表現の力だと思います」とお答えになりました。「たた、それを作者の回想録の内容から、具体的に跡付けることは、まだ十分にはできていません」

「ファンタジー作品のリアリティ」について、ネコパパも随分長いこと考えてきた気がします。若い頃は、闇雲に「とにかく詳しく、目に見えるように書くことで実現するのではないか」と考えたりもしました。
今回の発表をお聴きして、それは簡単に答えることができないし、考えれば考えるほど難くなることを、ますます切実に感じます。

「グリーン・ノウの子どもたち」の文章表現も「描写が細かい」なんて言葉で大きくまとめるなんて、到底不可能に思えます。邦訳を読んでさえ、その複雑にして多彩な表現は、はっきりと感じ取ることができるのです。

その秘密を解明したい。

磯部さんの研究の動機は、きっとそこにあったはず。
そのために、「語り」「視覚以外の感覚」「テクストの揺らぎ」「回想録」という複数の物差しを用意し、引用によって跡付けようとされた。
とても刺激的で、意義深い探求と思われました。

でも、これだけで「リアリティの秘密」のすべてが掬い切れたのか、と考えると、いや、まだまだ…という感想も湧いてきます。物差しはまだ他にもありそうな気がします。
例えば屋敷に存在する多種多様な「時の缶詰」のようなアイテム(マクガフィン)の分類なんて、どうでしょう?

それと…まったく別な観点になりますが、
リアリティを成立させるのは「読者」であることも、忘れてはいけないことだと思います。
どれほど精緻に作り上げられた作品だったとしても、受け止める相手にレセプターが備わっていなければ、リアリティ成立は難しい。リアリティとは作品と読者の共犯関係で成り立つものだからです。
そこをどう検証するか。
例えば「グリーン・ノウの子どもたち」で、もっとも読者に近い登場人物に着目してみる。それは主人公のトーリーです。知識も経験も少ない7歳の子どもである彼が、初めて足を踏み入れたグリーン・ノウで、時空を飛び超えることができたのはなぜなのか。
それを検証することで、本作に共鳴できる読者像=トーリーと共通する思いや感性を心に宿した読者、を浮かび上がらせることができるかもしれません。


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コメント

コメント(2)
No title
そーいえば、Green Knoweの話を読んだことがなかったなぁ(汗)ということで、この機会に読んでみることにしました。(笑)
購入は、申し訳ないですが街の本屋さんからではなく、米国amazonからKindle版です。一瞬でダウンロードされ、iPad、MacBook、スマホ、Kindle端末のいずれからでも読めるようになります。いつものことですが、この利便性は何ものにも代え難いです。
第1作The Children of Green Knowe (1954)と第3作The River at Green Knowe (1959)の2冊抱き合わせで、値段も$8強とお安い。
Kindle化されているのは、この2作のみで、あとの4作品はなぜかKindle化されていない模様です。需要が少ないのでしょうか。

みっち

2017/11/21 URL 編集返信

No title
> みっちさん
私も日本語訳は新旧2セット本棚に並んでいるのに、ずっと拾い読み程度でやっとまともに読みました。
実はそんな本がとても多く、人生の残り時間が足りるのか、プレッシャーを感じているこのごろです。こんな機会があると、読書意欲がわいてきます。あちこち出かけるのもそういうメリットがあるからです。

シリーズで最も評価が高いのは第4作の「グリーン・ノウのお客さまA Stranger at Green Knowe (1961)」だと思いますが、それが電子化されていないのは妙ですね。

yositaka

2017/11/22 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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