日本イギリス児童文学会研究大会2017③斎藤惇夫氏の講演




基調講演① 司会:成瀬俊一
演題:図書館から学んだこと
講師:斎藤惇夫(児童文学作家)

(概要)
子どものころから経験した四つの図書館を振り返りながら、私にとっての子どもの本とは何であるかをお話しようと思っています。まずは1950年代初頭の小学校の図書室、そこにいた司書、そこで私がどんな本とどんな風に出会っていたか、次に1970年代の新潟の公共図書館と図書館員から学んだ、子どもの本を選び、それを普及する仕事の実際について。また、同じころ、私の小学校時代の担任が開いた家庭文庫で私が見た、本を通して一人の人間が地域の子供達になしうる仕事について。最後に、やはり1970年代に、トロントの「少年少女の家」でもそしてニューヨーク公共図書館で経験した、あるいは垣間見た、子どもの本を選び、それを守り通す仕事の厳しさについて…この四つの図書館での経験が、私にとってどうやら子どもの本を考える基本になっているようです。今回はその経験を振り返ってみたいと思っています。



■和服の司書

まず新潟大学附属小学校の図書室について。私が小学校4年から卒業までの3年間までの思い出話です。
ここにはいつも和服姿の図書館司書が常駐して、私に「読みたい本」を手渡してくださっていた。茂田井武挿絵の「グリム童話集」はファン他事へ②遊ぶ楽しさを、「ふたりのロッテ」は民主主義を、「ふしぎなオルガン」は信仰の葛藤を、「ロビンフッドのゆかいな冒険」は本を声に出して朗読する楽しみを私に教えてくれました。
「ドリトル先生航海記」「あらしのまえ」「あらしのあと」に描かれていた言葉は、いつか無意識の自分の言葉になっていて、読み返してみると驚くことが多い。
一方で評論社から出ていた「シートン動物記」はなぜか、なかなか読めず(翻訳の問題だったのだろう)読みふけった多くは岩波少年文庫に含まれるものでした。



遊びまくった日々でした。
本は他に何もないときの「ひまつぶし」でした。
自宅には講談社の世界名作全集が揃っていたので読んではいました。主に抄訳のこの全集は、作品自体の力のせいで面白く読んではいましたが、数年後には完訳を読むことで本当の面白さを知ることになったのです。
司書は地味な装丁の岩波少年文庫をただ渡すだけで、感想を聞かれることはありませんでした。
余談ですが私の知っている海外の教師達は子どもに感想を聞きません。それを子どもへの礼儀と思っているのです。ましてや「読書感想文」なんて!その点、日本の母親は偉い。夏休みの感想文を子どもに代わって書いてあげています。素晴らしいことです。(笑

岩波少年文庫のはじめの3年間は石井桃子が編集を勤めていた時代です。私の小学校図書館での3年間と重なっています。ここには「ひまつぶし」以上の喜びがありました。心の奥底に達する際限のない深さ。思えばこれがトールキンの言う「準創造の力」であり、L.H.スミスの言う「永続的な真実」だったのだろうと思います。
少年文庫の発刊は朝鮮戦争の起こった年。民主主義を信じながら成長してきた私は、この事態に思うところあって「あらしのあと」の作者ドラ・ド・ヨングに、生まれてはじめての「作者への手紙」を書きました。小学校5年生の時です。これは僕の物語だと思い、家族は自分の家族と同じだと思っていました。ですが、手紙は出されず机の中にしまったままだった。なぜ出さなかったのか。日本はヤンの家とは違う、戦争の加害者だったことに気づいたからでした。出さなくてよかったのです。

■手渡す人々

1973年、私は新潟の「子どもの本を読む会」に講師として招かれました。
自作『冒険者たち―ガンバと15ひきの仲間』が出版された直後です。愕然としたのは、図書館員たちのレベルの高さでした。当時私は石井桃子、瀬田貞二の両宅に設置された文庫に足繁く通っていました。
二人の選書には子どもの本の世界遺産とも言うべき数々の作品が揃っていましたが、新潟の学校図書館には、それらの本がすべて揃っていたのです。
作者よりも、編集者よりも子どもに近い司書たちのもとで、読書する子どもたちの目の輝きは素晴らしいものでした。
新しい時代の始まりを実感しました。
子どもの本には編集する人、手渡す人、守り通す人が必要だ、とその時私は感じました。以来私は、編集する時にはいつも、あのときの新潟の図書館員たちのの顔を思い出したものです。

■陰のある先生

5、6年生の時の私の担任、原先生は、子どもの目から見てもどこか陰のある先生でした。避けたいようなところもありました。
その先生が、実によく本を読み聞かせてくださった。その時ばかりはどの子も真剣に耳を済ませたのです。ドリトル先生シリーズ、ケストナー、宮澤賢治…国語の時間は本の時間でした。そんな先生の影響で動物学者になった同級生もいます。ドリトル先生のように動物と話せる人を目指したのです。余談ですが近頃流行の「朝の読書」、あれはやめるべきです。学校では、本は子どもではなく、教師が読んであげるものだからです。もちろん、中学校でも。
原先生は戦争中、体制に反対して治安維持法で検挙、投獄されたこともあったというのは、ずっとのちになって知ったことです。生活綴り方運動にも関与され、国語教育に情熱を注いでおられた。そんな先生が、私に最低のDをつけた評価項目があります。「書くこと」です。私は頑張ったけれども、Cにすらしてもらえない。子どもには客観的な見方はできません。しかし物語には人が生きている…当時私はそんな気持ちで文章を書いたのでしょう。しかし原先生にとって書くとは「目に見える世界を主観を交えずに書く」ことでした。私のDは、人間にとって「書く」ことは何かを教えてくれる評価だったのです。
今も。

退職後先生は「どんぐり文庫」という家庭文庫を主宰、子どもと本に囲まれた晩年をすごし東日本大震災の直前に他界されました。

■選ぶこと、守ること

1974年、私はカナダ、トロントにある「少年少女の家」を訪れました。初代責任者はリリアン・H・スミス、有名な「オズボーン・コレクション」を擁するカナダの公共図書館です。
リリアン・H・スミス「児童文学論」は私にとって子どもの本の聖書のようなもの。個々を訪れることは長年の夢でした。
図書館員との話の中で出てきた優れた本のタイトルの多くは、日本でのそれと共通していました。しかし、本に対する姿勢は日本とは全く違う厳しいものでした。

例えばC・S・ルイス「ナルニア国物語」。
出版当時は重版に次ぐ重版が続いた人気の本でしたが、「少年少女の家」では購入を控えていました。蔵書とするかどうか、6年間も議論したというのです。議論の内容は記録されていました。英語として美しいか、ファンタジーは目に見えるように鮮やかか、読者が主人公と自己同一化することが可能か、そして、宗教的な論議に耐えうるか…



「なぜ、それほど?」という問に対する答えはシンプルでした。「子どもの本だから」。
これについて思い出すことがあります。
絵本作家の赤羽末吉さんにこの話しをしたときのことです。
赤羽さんは急に腕組みをして、こう呟きました。「毛唐も、なかなかやるね。ところで俺の『つるにょうぼう』は、依頼してから何年目だ?」
6年目でした。完成は翌年、7年がかりになりました。赤羽さんは言葉をつなぎました。
「ま、相手は子どもだ」

「少年少女の家」で、その時日本版を編集中だった「ピーター・ラビットの絵本」について、「知的な文章ですね」と言ったところ、「でも、子どもにとってはどうでしょう?」と凄い剣幕で怒られてしまったことも思い出します。
館員達は「激しさ」をもって、しっかり選び、しっかり継承する仕事に専心していたのです。

ニューヨークの図書館では、あの「コンプトンズ百科事典」が今も揃っていて、改訂作業も続けられていることを知って驚きました。これは瀬田貞二が編纂した日本唯一の子ども用の百科事典「平凡社児童百科事典」の原型になったものです。
図書館では子どもたちが百科事典を読みふける姿が今も見られます。現役の本です。
これを見て私は、アメリカという国が、子どもを守るために何をがんばっているのかを知ることができた気がします。

以上4つが、私に影響を及ぼした図書館の話、そこから「オンリー・コネクト」が生まれてくる実感を得た体験です。
数年前、ある家庭文庫でこんな場面を見ました。
やってきた子どもが「ゾロリはないの?」と尋ねたところ、文庫のベテランらしい女性がこう答えたのです。「そんな本は、学校の図書館で借りな」
ボランティア任せの学校図書館。
図書館は子どもがほしい本を入れるべき、と主張する図書館員。
みんな、1950年代から70年代の、素晴らしい図書館の歩みと姿勢を学びなおす必要がありそうです。
トールキンの「ホビットの冒険」に、こんななぞなぞが出てきます。ゴクリのなぞなぞです。
「どんなものでも食べつくす、鳥も、獣も、木も草も。鉄も、巌も、かみくだき、勇士を殺し、町をほろぼし、高い山さえ、ちりとなす。」
答えは「時間」。でも東日本大震災の当時、子どもたちは「放射能!」と答えたそうです。私たちは今、取り返しのつかない負債を子どもたちに抱えさせようとしています。子どもの本の仕事に携わる人たちは心しなければならない。
子どもの本の仕事は、子どもの「今」と「未来」のための仕事だからです。



■ネコパパ感想

本筋の話の中に、ときどき斎藤さんの「本音」めいた言葉が混じりました。
「もう、作家も評論も編集もやめました。これからは幼稚園で、子どもと遊ぶだけの毎日をお送りたいと思います」
と、好々爺のようなお話をされたかと思えば
「出版社は最近になっても最近も抄訳の世界名作シリーズを出版しているのは、ほんとうに許せません。しかも、文章に、気鋭の児童文学者たちを起用している。そんな出版に協力する作家とはもう絶交です」
と、出版界に激を飛ばす。
斎藤さんの子どもの本への熱烈な思い入れは、まだまだ現役と思いました。

質疑応答の時間、質問者がこんな質問をされました。
「図書館員が『良い本』を決めるというのは、政治的な側面もあると思うのです。また、階級制もある。『ハリー・ポッター』を反キリスト教的な本として認めないという判断もあると聞いていますが、それについてどう思われますか?」
鋭い質問と思いました。
実は私も、斎藤さんのお話を聞きながら
「イギリスやカナダの図書館員たちのの選書への真剣さは間違いなく立派だけれど、『良い本』の判断の基準の是非については別に考えるべきかもしれない…」
と感じていたからです。
質問に対する斎藤さんのご返答は、こうでした。
「それは古い考え方じゃないでしょうか。現在では国や階級の境界を越えて、新しい基準が生まれてきていると思います。そんな価値基準を乗り越える判断をしていくのが私たちの務めではないでしょうか」
斎藤さんの語気は荒く、気のせいか、どこか苛立ちが込められているようにも感じられました。

斎藤さんのおっしゃりたかったのは、何を基準にして「良い本」を選ぶのか、というような表層部分ではなく、「子どもに本を手渡す大人としての真摯な姿勢」という深層部分、基盤になる部分についてであり、一冊の本を選ぶのに6年も論議するという「思いの強度」「飽くなき姿勢」についてなのでしょう。
斎藤さんが「子ども」「子どもの本」という言葉を用いて話すときに感じられる、思わず熱く震えるような感情も、そんな「思いの強度」「確信」から発していたように思います。

しかしそれでいながら、
ネコパパの奥底で、何かがささやくような声が聞こてくるのを抑えることができません。
確かに「子ども」という言葉には、磁力のように人を揺さぶる力がある。
「子どもと大人のボーダレス化」なんてことがまことしやかに語られる現代においても、その力は失われていません。
でも、それって現実に存在する「ひとりひとりの子ども」と、疑いなくシンクロしているだろうか?40年間教師を続けて、日常的に子どもたちに接していながら、どうにもそれが確信できない自分がいるのです。
「子ども」は多義的な言葉であり、概念です。
その中には、子どもの本にかかわる大人が信じたい「イメージとしての子ども」「純なるものとしての子ども」も間違いなく存在していることでしょう。
でも決して、それが「子ども」のすべてではありません。

他人事じゃありません。
単なる「依存症」に過ぎぬネコパパだって、ときには偉そうに「児童文学」なんて言葉を口にすることがある。その瞬間に立ち上がってくるのは、純化された、特別な文学ジャンルという意識であることを、否定することはできません。
斎藤さんという、児童文学界の巨人の放つ、強度のある言葉が投げかけてくるもの。それは、簡単には答えの出そうにない、自分との対決を迫るような、重い問いかけを含むものでした。


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コメント

コメント(6)
No title
斎藤惇夫さんのお話の内容は、どうもあまり首肯できるものではありませんでした。(すいません)自分とは違う考えの人だなぁ、という違和感だけが残りました。

お話の中に出てくるC.S.ルイスのナルニア国物語は、その宗教観などから、みっちは「トンデモ本」の一種だと思っており、とうてい真面目には読めません。
一方、トールキンの一連の話は大好きです。ホビットの冒険なんて、annotatedバージョンまで買っちゃった位です。
しかしですね、仮に児童向け図書館にルイスの本が置いてないとなると、これはこれで問題、選択はこどもに任せるべきで、大人はあんまりしゃしゃり出るべきではないと思いますが。

みっち

2017/11/16 URL 編集返信

No title
> みっちさん
確かに一般論としては理解しにくいところがある話だと思います。斎藤さんは作家としてはもちろん、福音館書店の編集者としても、高い理想を持って児童文学の質的向上に務めてこられた人です。その仕事を支えるのは質の高い子どもの本を選び、生み出し、長い期間にわたって流通させるという強い信念だったと思います。そのためには「子どもは最良の本の読者であるべきである」というイメージが不可欠だったのでしょう。
「選択はこどもに任せるべき」という考えには、斎藤さんも異論はないでしょうが、その前提として「子どもがいつでも手に取れる場所に、優れた本がふんだんにあること」が必要で、その環境を整えることが「大人の責任」と主張されているのだと思います。
ただ、大人が何を持って「優れた本」と判断するのか、そこが問題です。そこにその人の「子ども観」が出てしまうからです。

yositaka

2017/11/17 URL 編集返信

No title
子供が自分で本を選べるようになれば、
大人は静かに見守るだけです。
でも、何を選んで良いのか分からない子供には、
大人の大人のチョイスが必要だと…。
そう、その時の選択と判断こそが、
もしかしして「影響力」だったり?

私が日々思うこと。
子供に任せるのは簡単ですが、
子供に勧めのは、とても困難です。

とりとめのないカキコミですみません。

ユキ

2017/11/19 URL 編集返信

No title
> ユキさん
「子供に任せるのは簡単ですが、子供に勧めのは、とても困難です」…全く同感です。そのためにはたくさんの本を知らないといけません。
それを知らないで子どもに特定の本を「読ませ」ようとする人々の善意に付け込むように、最近「頭の良くなる本」「これを読ませて東大進学」云々といった言説が、信用あるはずの雑誌に平気で載ったり…
そんな「落とし穴がとても多い」状況を見ているからこそ、斎藤さんの憤りも頑なになる…そんな気がします。

自分が本当に面白いと思った本を、子どもに薦めたいですね。子どもと共有できる面白さを本から見つけ出せる、そんな読み手になりたいですね。

yositaka

2017/11/20 URL 編集返信

No title
専門外の機械屋から、斎藤先生は、図書館員の精度の高い良質の「資料」を提供する使命感を述べられていますね。質問にあった、「判断基準」もインターネットの発達で宗教・政治…情報が共有化されつつある現状を言っていたのだと思います。
又、「抄訳本」に怒っておられるのも文学者の恣意で原作者の意図が伝わらないからだと思います。

子供の時何を読んでいたのか、自分の子供・孫に何を読んで欲しいかを考えて与える事は、子供の考え方に影響を与える事を考えると難しいですね。私は、子供の為に児童書を購入した事は記憶に無く家内任せの育児放棄者でした。(汗)

余談ですが、私が子供の頃、就寝時に「少年」読んでいて父に取上げられました。
その後、父が熱心に?読んでいたのを思い出します。

チャラン

2017/11/21 URL 編集返信

No title
> チャランさん
私も買ってもらった経験はごくわずかですが、叔母のクリスマスプレゼントとしてもらった偕成社の「ピーター・パン」の影響は、今思うと大きかったと思います。これは戦後まもなくの児童文学雑誌乱立時代の代表的な童話作家だった筒井啓介による「抄訳」でしたが、大学生になって読んだ岩波少年文庫の完訳とは随分違う、リアル感のある文章でした。

子どもの為に購入、という点は、うちはやや特殊だったかも。何しろ親が率先して児童書を買い込むので、子どもたちは好き勝手に読むし、買いに行くときは「共犯」でした。とりわけマンガの話題には熱中したので、アヤママには顰蹙を買いました…

光文社の「少年」は名雑誌でした。「アトム」「鉄人」はもちろん熱中しましたが白土三平の「サスケ」は私の歴史認識に多大な影響をもたらしたと思います。チャランさんの父上にもその価値は伝わっていたでしょう。

yositaka

2017/11/21 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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