日本イギリス児童文学会研究大会2017②研究は時空を超えて



研究発表② 「19 世紀 」 司会:香川由紀子

研究者は、時空間を超えて対象することが可能か 
正置友子
(概要)
誰しも身体を持ち、この世界に生きている以上、一つのパースペクティヴしか持てない。そのパースペクティヴから見渡せる地平は限られている。その人が、この世界のどこで生まれ、どのような自然的・文化的・人的環境の中で生きてきたかで地平は異なる。さらに地平にあるものでも、本人のパースペクティヴの中に入り、その眼差しを注視へと向けられる対象は限られてくる。
私がヴィクトリア朝の絵本作家であるウォルター・クレインの絵本を見た瞬間、私が出会いたかったのはこの人の絵本だとわかった。そして何の躊躇もなく研究に踏み出した。しかしイギリスの人からすると、イギリス人もアメリカ人も本格的に研究したことがないことを日本から来た人ができるのか、という否定的な口ぶりだった。私のほうはそんな疑問は一切起こらず、「する」ことに決まっていた。なぜ私はそう思ったのだろう。クレインとの出会いから6年後、博士論文を仕上げて最終的に帰国した。それから16年を経た今年、やっと私は自分がなぜ「これが自分の研究対象だ」とわかったのかを理解することができた。今回の発表は時空感を超える研究についてのメタ的な、しかも非常に個人的な発表です。




■クレイン研究を呼び起こしたもの

ウォルター・クレインはヴィクトリア時代のポピュラーな絵本である「トイブック」の作家であるが、イギリスにはその分野の研究自体ほとんどなされていなかった。その量が膨大で、消耗品扱いされていたこと、トイブックという名称自体「おもちゃ」と見做されやすくネガティヴに働いていたことが大きな理由である。
またヴィクトリア時代の絵本には、出版年が明記されず、歴史的な研究が難しいという難点もあった。

そんな中、発表者は新聞図書館におさめられたヴィクトリア時代50年間の新聞広告から、発売年や、絵本には記載されていない画家名などの情報を収集するという途方もない作業を開始する。
当時の新聞は劣化が進み、ページをめくるのも大変な状態だったとのこと。しかし発表者は3年にわたって地道な作業を継続、記事からは当時の子どもの本の状況に関する貴重な記述も発見することができた。

膨大な絵本にあたり、印刷技術についての教示をその道の第一人者から受けるなどの努力を経て、発表者はついに英文1000ページ、図版900枚からなる膨大な博士論文を書き上げる。
それは、あまりに大部すぎるという理由でイギリスでは出版できなかったが、帰国後科研からの助成を受け、2006年に出版が実現(風間書房)。さらに2008年には、イギリス子どもの本歴史協会よりハーヴェイ・ダートン賞を受賞する。

しかし発表者が自分を駆り立てた「研究の理由」に気づいたのは、イギリスから帰国後、17年を経たのちであった。
滋賀県立近代美術館と千葉市美術館において「ウォルター・クレイン展」が開催されることになり、図録の執筆を務めることになった。その際に発表者は、ヴィクトリア時代の印刷方法である木版が日本の浮世絵に大きな影響を受けていることに気づいたのである。
ウォルター・クレイン自身、自伝に浮世絵についての記載を残していた。それに気づいた時、二十数年前、イギリスで初めてクレインの絵を見たときの感動がよみがえった。木版による「線の美しさ」「木版のテクスチャー」が、発表者のうちに取り込んでいた日本の文化と共鳴していたことを感じ取ったのである。

「研究者は、時空を越えた研究対象を研究することが可能である、と言えるかもしれません。そのとき、案外、表面的なことより、自分の内部に潜んでいる、骨肉のようになっている身体の文化のようなことも、手がかりになるかもしれません」




■ネコパパ感想

何かに憑かれたように、
というよりも、ウォルター・クレインの魂に選ばれたかのように、一分の迷いもなくクレイン研究の道に身を投じられた正置さん。その衝撃的な出会いの時点で、既に50歳を過ぎておられたとのこと。
イギリスに滞在していてすら、基礎資料がほとんどないという状況で、正置さんはヴィクトリア時代の業界紙三紙、50年分の日刊新聞を隈なく精査するという気の遠くなるような調査活動をされたのです。
なぜ自分がそれをするのか、という疑問は後回しにして…とにかくそれに専心された。
それが可能な環境だったこともあるのかもしれません。しかし、時と場所に恵まれていたからといって、実際にできるかはまったくの別問題です。

帰国後17年経って初めて、それが日本の文化にも根を持つ「木版」による線の魅力だったことに気付かれたそうですが、私には、到底それだけとは思えません。
何か目に見えない力が、正置さんを突き動かした。
研究とは、そんな何か、何者かに選ばれ駆り立てられてなされるもので、そんな力の前には、国籍や文化の違いなどは乗り越えられてしまうものであることを、本発表は物語っているようにも感じられます。



正置さんは調査活動のなかで、1865年12月12日のある新聞記事に出会います。そこには、子どもの本を作ることは熟練の技と良いセンス、細やかな配慮を必要とする。それにもかかわらず、まともな扱いをされていない、と憤る内容の記事でした。これを読んだ正置さんは強い感動に襲われたといいます。
この年はウォルター・クレインが初めて絵本を出版した年。
既にこのときイギリスには、「子どもの本」というカテゴリーがあったこと、
購買層が拡大しつつあったこと、
よい絵本を作り出す機運が生まれていたこと…しかしその一方で、子どもの本はガラクタと考えられていた状況があったこと。
これらのことが、この一つの記事から読み取れたからでした。

イギリスは長い伝統をもつ「絵本・児童文学の先進国」と考えられていますが、残念ながらそれは、ジャンルが芸術の一分野として尊重されていることと同じではないようです。
イギリスでは出版できなかった論文が日本では出版され、「あと出しジャンケン」のように英国で受賞したという事実は、その状況が、もしかすると今も変わっていないことを示しているようにも思います。
正置さんは「150年という年月を隔てて、子どもの本、とりわけ絵本は常に辺境に貶められていたのだ」とも書かれています。

でも辺境には、辺境の栄光というものがある。
正置さんという優れた研究者の存在は、それを確かなものとして私たちに示しているのではないでしょうか。


関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメント(4)
No title
この正置さんの本の表紙に使われているのは、「長靴をはいた猫」ですね。(愉)
なかなか雰囲気のある、いい感じの挿絵です。
子供向けの本が低く見られるというのは、ある面仕方がない気もしますが、情熱を持って研究された経緯は、感動的ですね。

みっち

2017/11/15 URL 編集返信

No title
> みっちさん
そのとおりです。この絵本は日本でも出版されていて私も架蔵していますが、見事な出来栄えで、主役である末っ子の王子が子どもっぽく描かれず、猫もありのままの「猫」なのがいいのです。
そして最初の一枚は「美女と野獣」です。
日本では(イギリスでも?)同時期の挿絵ががといえばケイト・グリーナウェイの人気が高く、国際的な絵本賞にも名を刻んでいますが、甘さのないウォルター・クレインは地味な存在です。しかし絵本としてはより完成度が高いかも。展覧会に行けなかったのは実に残念でした。

yositaka

2017/11/15 URL 編集返信

No title
その昔、指導教授に言われ兄弟子にあたる方の研究室にお邪魔してお話を伺ったとき、最初に聞かれたのが「実家にお金はありますか?」でした。
学者としてモノにならないこともあり得るので、そのときのことを質されたのです。
拝読して当時のことを思い出し、正置友子さんという方が、ドクター論文を書き上げるまでの間、どうやって生計を立てていたのかと、下世話なことが気になると同時に、ひたすら研究に没頭できたことが羨ましく感じました。

gustav_xxx_2003

2017/11/15 URL 編集返信

No title
> gustavさん
いや、そう感じたのは私も全く同様で、それが可能な環境だったということなのでしょう。しかしそれを生かすのはやはりご本人。自分はどうなのか、とつい思ってしまいました。

yositaka

2017/11/15 URL 編集返信

コメント投稿
非公開コメント

プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

ご訪問ありがとうございます

月別アーカイブ

検索フォーム

QRコード

QR