我々はどこから来たのか…


ボストン美術館で開催中の「ゴーギャン展」へ。
4月も終わりに近いというのに、街はするどい寒風が吹く。
しかし、会場はなかなかの人出だ。
ゴッホ、ルノアールと並び、「後期印象派」と呼ぶ慣わしの三人だが、この人は中でももっとも地味な人ではないだろうか。こうしてまとまった個人展を見るのも初めてと思う。

この画風は、素直に美しい。
初期の印象派の色合い濃厚なものから、晩年のタヒチの幻想を描くものまで、作風にぶれがない。
画面を分割して、色の帯を交差させる構成。
肌の体温を感じさせるあたたかい赤系統と、海の緑、山の青、森の碧。
そして、くっきりとして線に縁取られた、表情の綿かな人物たち。
異国の風景ながら、しっくりとなじむ画風である。
おそらく、彼もゴッホと同様、日本の浮世絵版画の影響を強く受けている。

彼の生涯を賭けた大作、「我々はどこから来たのか・われわれは何者か・我々はどこへ行くのか」も、
見る人を緊張させない、自然な温かみの中に世界をつつみこむ。
人と動物と果実、自然と神と言葉が、ごくあたりまえのように共存し、対話し、思索する。
居丈高な姿勢のまったくない一枚の絵なのである。
タイトルの疑問も、切迫しての訴えではなく、ゆったりとした語りかけと感じる。
はるかなる問い。しかし、考える時間はたっぷりとある、というような。

彼はゴッホのように思いつめた人間ではなく、堅実なサラリーマンとして、趣味として絵を描いていたのだ。しかし、パリで画家仲間と交流するうちに、ついには職を投げうってこの世界に身を投ずる。
芸術の狂気がなせる技か。
妻も子も、すでにあった。売れない画家になるわけにはいかない。
自分の絵を理解してもらうために、タヒチの伝承や人々の生活を文章にした『画本』も計画。
完本の出版は死後になってしまったが、みごとな神話的世界が刻み込まれている。
売れなくはなかった。
しかし値段は安かった。
畢生の大作と認める「我々はどこから…」すら、信頼する画商に安価で売却され、ゴーギャンは激怒したという。

今の目で見れば、よい意味でイラスト的で、デザインの面からみても、抜群のセンスだ。
当時の人々は、なぜその価値に気づかなかったのか。ゴッホと比べたって、ずっとわかりやすい作風なのに…
芸術作品の評価とは、ほんとうに困ったものだ。

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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