交通事故と音楽

どんッ、と鈍い音がして、ネコパパの背中をいやな衝撃が襲う。
朝の通勤時間。いつものように愛車スージーに乗り込んだネコパパは、これもいつものように混雑気味の道路を、高架の国道に登るべく信号待ちしていたところだった。
事故の現場も信号のすぐ手前で、ずらり並んだ通勤中の車にはたいへんな迷惑だったはずだが、なんとか車を寄せて一時停止ランプを点滅させた。
降りてみると後ろは白いワゴン車である。
「申し訳ありません。お怪我はありませんでしたか」と降りてきたのはまだ童顔の若い男性だった。
早速警察に連絡し、現場検証してもらう。
ネコパパの車は信号待ちの停車中で、相手がアクセルとブレーキを踏み間違えたようだ。速度も出ておらず、スージーのバンパーと背面扉が上手く衝撃を吸収してくれたみたいで、身体的異常はなし。

スージーは一週間の修理で元通りになって戻ってきた。
ネコパパは運転が下手である。これまでもしばしば小さな自損事故を主に駐車場でやっている。信号待ちで追突されたのもこれで二度目だ。
幸い、身体に影響するようなことは一度もないが…今のところは車は必需品。安全低速運転を心がけねば…とあらためて思う出来事だった。

ところで、音楽の世界でも交通事故のエピソードは時々きく。それも、悲劇的なものが多い。
今日は自戒もふくめて、話題に取り上げたい。
資料は主としてWIKIを参照した。

■カーマニアだったホルンの名手

まず、真っ先に名前が浮かぶのは、イギリスの天才ホルニストだったデニス・ブレイン(Dennis Brain, 1921年5月17日 - 1957年9月1日)である。
彼はホルンの名手を産んだ一家の5人目の奏者。父オーブリー・ブレインは、BBC交響楽団の首席ホルン奏者として著名で、SP時代の録音でホルンの活躍する曲はほとんどオーブリーが吹いたそうである。そんな父に師事し、際立った演奏家として成長した彼は21歳でロンドン・ナショナル交響楽団首席奏者に就任し、大戦中もイギリス空軍中央音楽隊の主席ホルン奏者として活動した。大戦後はフィルハーモニア管弦楽団と、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団両方の首席奏者を兼務し、名声を高めたが…
1957年9月、エディンバラ音楽祭からの帰路、トライアンフTR2に乗っていたブレインは、ロンドンまであと約33キロというハートフォードシャーのハットフィールドを通過中に運転を誤って樹木に車をぶつけて即死した。35歳。



ブレインは車が好きで、譜面台には時々車雑誌が載っているほどだった。

ブレインの録音というと、指揮者カラヤンと共演したモーツァルトのホルン協奏曲が真っ先に頭に浮かぶ。
ゆったりとしたテンポで悠々と歌わせた、素晴らしい演奏である。ブレインと同じく車好きだったカラヤンとも仲がよかったとのこと。この録音での伴奏も、いつものカラヤンとは一味違う、ソリストにぴったりと寄り添った名伴奏である。






ブレインはオルガニストとしても辣腕だった。
同じカラヤンの指揮で、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のオルガン・パートを弾いた録音がある。これはネコパパか一番良く聴くカラヤンのレコードかもしれない。

■夭折のジャズ・トランペッター

同様なケースで思い出すのは、アメリカのジャズ・トランペッター、クリフォード・ブラウン(Clifford Brown、1930年10月30日 - 1956年6月26日)だ。

父が持っていたトランペットに興味を示し、12歳の頃から吹き始めた彼は、大学在学中、ディジー・ガレスピーに出会い、ジャズを目指す。フィラデルフィアで共演したチャーリー・パーカーは彼の演奏に感銘を受け、アート・ブレイキーに推薦した。
ブレイキーのサポートを得て、1953年に初のリーダー・セッション。1954年2月21日、ニューヨークのジャズ・クラブ「バードランド」で、ブレイキーを中心に行われた歴史的セッションにも参加した。(ブルーノート盤『バードランドの夜』)
同年、マックス・ローチとともにクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテット結成。
活動の全盛期を迎えるが…
1956年6月26日、リッチー・パウエル(バド・パウエルの弟)の妻、ナンシーの運転する車にブラウンはリッチーと共に便乗した。
フィラデルフィアからシカゴに向かう途中のペンシルベニア・ターンパイクで、車は雨のためスリップし、道路わきの土手に突っ込み大破。ナンシーを含めて3人全員がこの事故で亡くなった。

わずか25歳で若い命を散らした「ブラウニー」だったが、幸い、録音は数多く残された。
彼の魅力が最も凝縮されているアルバム『スタディ・イン・ブラウン』。





そして唯一ストリングスと共演して録音したバラード集『ウィズ・ストリングス』。
ブラウンのトランペットからは完成された技巧による、晴朗な青空のような音楽がいつも聴こえる。

■ドイツの名手、フランスに命を散らす

名ピアニスト、ワルター・ギーゼキングの個人レッスンを受け、師譲りの、すばらしいドビュッシーとラヴェルの演奏を残したピアニストがいる。
ウェルナー・ハース(Werner Haas, 1931年3月3日 – 1976年10月11日)。ドイツ人。20世紀音楽の専門家として著名であり、とりわけフランス印象主義音楽の演奏・録音で名を遺した。

シュトゥットガルト音楽院を卒業後、ギーゼキングの個人指導を受けたのち1950年代にヨーロッパ中でリサイタルを開き、目覚しい成功を収めた。
フィリップスに録音したドビュッシーのピアノ曲全集の録音により、1970年にグランプリ・デュ・ディスク賞を受賞。ドビュッシーやラヴェルの専門家として名高いが、ほかにもベートーヴェンやショパン、プロコフィエフ、カバレフスキーも得意のレパートリーであった…
1976年10月11日、フランスのナンシー近くの路上で運転中、車がトラックに衝突する事故で死亡。45歳。

学生時代、ネコパパはいろいろなレコードで、毎日飽きずにドビュッシーのピアノ曲を聴いていた。現在も、ネコパパが好んで聴くピアノ曲は、ベートーヴェンとドビュッシーにほぼ限定されている。
その当時、一番繰り返して聴いていたのがハースの弾いた一枚だ。
一枚900円の廉価盤ではあったけれど、ここには、ほかの演奏者にはない魅力があった。
師譲りの、強く、曖昧さがないタッチでくっきりとした輪郭線を描く演奏が魅力。現在はオランダ盤の全集LPで聴いている。「アラベスク」「月の光」などの緩やかな曲もいいが、「雨の庭」「花火」などの速い曲に見せる鮮烈さは一層すばらしい。






■頭の中に曲はあるのに

交通事故がきっかけで悲劇的な晩年を余儀なくされた作曲家がいた。
『ダフニスとクロエ』や『ボレロ』で有名なモーリス・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel1875年3月7日 - 1937年12月28日)である。

斬新な作風が、毀誉褒貶の論議を巻き起こしたものの、生前から世界的評価を得るという、作曲家としては稀な栄光を手にしたラヴェルだったが、
1932年、パリでタクシーに乗っているときに、交通事故に遭遇。これを機に、それまでにもあった軽度の記憶障害や言語症が進行し、文字や楽譜の筆記が困難になっていった。
彼の病気が何であったか、またその原因が交通事故によるものなのかどうかは今もはっきりしていないようだ。
事故後もしばらくは指揮活動を続けたが、作曲は不可能となった。

ある時は友人に泣きながら「私の頭の中にはたくさんの音楽が豊かに流れている。それをもっとみんなに聴かせたいのに、もう一文字も曲が書けなくなってしまった」と呟き、また別の友人にはオペラ『ジャンヌ・ダルク』の構想を語った後、「だがこのオペラを完成させることはできないだろう。僕の頭の中ではもう完成しているし音も聴こえているが、今の僕はそれを書くことができないからね」とも述べたという。

1937年12月17日に血腫や脳腫瘍などの治療の専門家として名高かった脳外科医クロヴィス・ヴァンサンの執刀のもとで手術を受けた。手術後は一時的に容体が改善したが、まもなく昏睡状態に陥り、意識が戻らぬまま12月28日に息を引き取った。
62歳であった。

頭の中には音楽ができているのに、書けない…音楽家としては、想像もつかない苦渋の日々だったに違いない。

1930年録音の「ボレロ」の自作自演盤SPが残されている。
交通事故に遭う2年前の録音。非常に遅いテンポで淡々とやっている。色彩的なラヴェルの音楽のイメージと違って、重苦しい。作曲家の自作の指揮は概してクールすぎて楽しめないことが多いけれど、ラヴェルの本領は、やはり作曲にあったようだ。


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コメント

コメント(12)
No title
強度のムチ打ちにならずよかったですね。
今度の杜の会にクリフォード・ブラウンの「INCORPORATED」とサックスがソニー・ロリンズに代わった「Basin Street」を持っていきます。私的には、イケイケの「INCORPORATED」をかけて頂こうと思っています。

チャラン

2017/09/27 URL 編集返信

No title
> チャランさん
ご心配かけました。なんともなくて幸運でした。
クリフォード・ブラウン、ここでは二枚だけ挙げましたが、実は甲乙つけがたいアルバムが数多くあります。マーキュリー盤だけでなく、ブルーノートの「バードランドの夜」プレスティッジの「ロリンズ・プラス・フォー」、GNPの「イン・コンサート」などもお薦めです。

yositaka

2017/09/27 URL 編集返信

No title
追突事故ですか、それは大変でしたね。。。大事に至らずよかったですね。
カラヤン指揮の「カヴァレリア・ルスティカーナ」でブレインがオルガンパートを弾いていたなんて、わが目を疑いました。まったく知りませんでした。すごい話ですね

Loree

2017/09/27 URL 編集返信

No title
> Loreeさん
瞬間はひやりとしましたが…大丈夫でした。お気遣いありがとうございます。
カラヤン指揮の「カヴァレリア・ルスティカーナ」といえば、グラモフォン盤が有名ですが、ブレインの弾いているのは1954年録音、EMIへのモノラルです。オルガンの音がホルンのように大きな音で入っています。
https://www.youtube.com/watch?v=2LHARy2dVjw
カラヤンは、ブレインの死後まもなくステレオで再録音しましたが、及ばないと思ったのかオクラにしています。

yositaka

2017/09/28 URL 編集返信

No title
私も信号待ちで追突されたことがあります。
バックミラーで「あ~、来る来る」とわかってはいても、どうしようもなく、ただ、前の車にぶつからないようブレーキを踏むのがやっとでしたね。(身体は無傷でした)

カラヤンのモノラル盤「カヴァレリア・ルスティカーナ」はEMIのBOXで聞いておりましたが、オルガンがデニス・ブレインとは気づいておりませんでした。
ご教示、ありがとうございます。
なお、あらためて確かめたところ、ステレオの再録音は1959年に行われて、第1集BOX46枚目に収録されておりました。

gustav_xxx_2003

2017/09/28 URL 編集返信

No title
大事に至らずよかったです。
五味康祐さんのように事故を起こすのもタイヘンだし、起こされるのもタイヘンです。
トライアンフは、こもりまことさんの絵本『バルンくん』の主人公バルンくん(オースチン・ヒーレー・ストライプ)に似ていますね。
バイク事故ですが、ポスト3大テノールの呼び声も高かったサルバトーレ・リチートラ。これはほんとうに無念でした。今度来日したら絶対聴きにいこうと思っていたのに。
ご油断なく。

シュレーゲル雨蛙

2017/09/28 URL 編集返信

No title
大事に至らず良かったです。先方もまともな人で良かったです。

ラヴェルは残念でしたね。
音楽は脳内にあっても記譜できない、口三味線もできないということでしょうね。
創造するとはどういうことか?創造の神秘を示しているように思います。

不二家 憩希

2017/09/28 URL 編集返信

No title
> gustavさん
ご心配おかけしました。前触れなしの突発事も怖いですが、接近が見えているというのもイヤですね。ブレーキを踏んで頑張るしかないでしょう。
EMI盤の「オペラ間奏曲集」では、モノラル盤にこの曲があるのにステレオ盤にないのは、以前から不思議と思っていましたが、実はちゃんと録音した上でオクラにしたのですね。こういうことって、随分あとになって明らかになるものです。

yositaka

2017/09/28 URL 編集返信

No title
> シュレーゲル雨蛙さん
ありがとうございます。『バルンくん』、素敵な絵本です。とくに車好きには堪りませんね。リチートラという歌手は知りませんでしたが、44歳で事故死とは惜しいことです。ノーヘルでガールフレンドを載せてスクーター運転中、横転ですか。ヘルメットは大事ですね。

yositaka

2017/09/28 URL 編集返信

No title
> 不二家さん
ご心配おかけしました。そう、事故で気になるのは、まず相手ですね。場合によっては怪我や物的損害よりも嫌なことになる場合があります。私にもそんな経験があります。気をしっかり持って、堂々と対応しないと。
ラヴェルは『ジャンヌ・ダルク』を切実に完成したかったことでしょう。「もっとみんなに聴かせたい」という言葉は、いかにもラヴェルらしいと思います。ものを創る人はみんなそうした思いを隠して旅立っていくのでしょう。

yositaka

2017/09/28 URL 編集返信

No title
遅まきながら‥‥大事に至らず何よりでした。とまれ、お大事に。

ショーソンも亡くなった時は自転車が転倒していた、とか?

ラヴェルとともにフランスですが、フランスが芸術・文化の国であるとともに技術先進国でもあった証拠でしょうか??

へうたむ

2017/10/02 URL 編集返信

No title
> へうたむさん
お気遣い痛み入ります。ショーソンは、自転車事故でしたか。私も自転車にたまに乗りますので、きをつけなきゃと思います。昔、パリを観光したことがありますが、技術先進国ではあっても、交通マナーはひどいもので、信号を見ている歩行者など全くいませんでした。運転マナーも呆れたもので、これでよく事故にならないものだと思ったのですが、実際は事故は多かったのでしょう。

yositaka

2017/10/02 URL 編集返信

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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