「子どもの言葉に前座はない」~村中李衣さんのお話②

村中李衣さんの講演会報告の続きです。

国語の授業では、作者や登場人物に手紙を書くという実践がよく行われます。
でも疑問に感じることもあります。書くことで、子どもと物語の直接出会う機会が損なわれてしまうことがある。出会いをずらしてしまうのです。
でも、こんな実践は楽しい。三好市の小学校で実践された「物語の続きを書く授業」。これは作品と出会うとき、子どもがどこに共鳴しているのかがよく伝わってきました。
子どもと物語が響き合っている。自分の体を通して物語を読み味わっている。
三人称と一人称の並立。
野菜炒めの味覚で表された共感。
兄弟で学校生活を送る満ち足りた感覚。
国語の時間にたまたまであっただけの作品を「体を通して感じている」子どもたちを理解する大切さを実感させてくれる作文でした。

■子どもの作った絵本を読む

幼稚園での実践です。五歳の子どもたちの手作り絵本です。
特別に許可を得て、パワーボイントでお見せしながら紹介していきます。
「ぼくのすきなもの」
ぼくのすきなものは、と羅列していきます。なし、いちご、ぶどう…そして「でもいちばんすきなのは」という文がきます。
みなさん、なんだと思いますか。

ん、「お母さん」かな?
とネコパパはとっさに思いました。
そうしたら村中さんが
「いま『お母さん』だと思った人、います?」
ずいぶん手が上がりました。

正解は…「めんたいこごはん」でした!
「お母さん」と思った方、よく聞いてくださいね。
みなさんは「なし」「いちご」「ぶどう」は「前座」だと思ったのでしょう。
でもそうじゃないんです。子どもには前座なんてないんです。
子どもは、大人の考えた物語ではないのよ。

つぎは「トマトがわらった」
トマトが わらった
ニンジンが なった
なすびが たおれた
キャベツが ばけた
ムラサキタマネギが ロボットになった
ダイコンが しゃべった
おはよう

村中さんが野菜になりきって語ると、会場のみんなもトマトやニンジンになっていく。

「りっくんがひっこすひのまき」
「ですます」調ではじまり、「である」になって、また「ですます」に。
そのときそのときのりっくんの気持ちに沿った言葉になっているのがわかります。

女の子の作品は、またひと味違います。
「たびに でなければ いけません」
「こまは どうして ころがっていく」
女の子は空間軸を動かさない。「結局どこにもいかない」で自分の中に問いかけるのです。
子どもの言葉は内側から生まれてくる言葉です。

最後に紹介するのは
「ほしくんとおつきさまとたいよう」
星くんが友達を探して旅をします。おつきさまやたいようにも出会います。最初は星のかたちの星印をかくのがたいへんそうだけど、三枚目からは大進歩!そして最後は、出会った友達順に色がグラデーションして、ひとつの丸い星になります。
「出会いが地球を育てる」という、内田麟太郎さんの言葉がそのままえほんになったような。

■作品から

みんがらばー!はしれはまかぜ



日本で走っていた古い気動車が、いまミャンマーで活躍しています。ミャンマーに行った時、列車に向かって「だきーら、だきーら」と声をかける人たちが印象的だったので、それをそのまま書いたのですが、実はミャンマーにはそんな言葉はないそうなのです。とっても不思議です。

日本文化キャラクター図鑑・春夏秋冬



日本語の言葉をキャラクターにしていく、という発想の図鑑で、今4巻まで出ています。「季節を生きる」というテーマで、これは「花冷え」を擬人化したものです。
でも、絵かきさんとなかなか折り合わなくて困っています。これも、私のイメージとは随分違う「花冷えさん」になっています。
でも、言葉の語源などのデータも豊富に入れてあるから、調べ学習にも使えますよ。これを例にして、クラスで自分たちのキャラクター図鑑をつくる実践をしている小学校もあるんです。ありがたいことです。

心がけていることは、安易に「なりきったふり」を子どもにさせないようにしたいということ。そうならないための最高のお手本と思っているのが、ジュール・ルナールの『博物誌』です。
「へび ながすぎる」
これはへびの様子を説明したのではありませんよ。これはへびをじいーっと見つめているルナールのため息があふれでたものです。こういうのが子どもの感じ方だと思います。

■YO,YES

アメリカの「出会い」の絵本、「YO,YES」をもとにしたワークショップです。



ふたりの先生をペアにして、ステージ上で、絵本通りの言葉に身振りをつけて、出会いの場面を再現します。
男性のペアと女性のペア、ふた組みの先生たちが熱演しました。
シンプルな一言と、一言のキャッチボールをするだけで、ふたりの心が打ち解けて近くなる。
「体を中心にして言葉を育てていく」という村中さんの気持ちが伝わってくるレッスンでした。

そして…講演の最後に村中さんの読み上げたのは、レバノンの「預言者」の言葉。

あなたの子は、あなたの子ではありません。

あなたを通ってやって来ますが、あなたからではなく、
あなたと一緒にいますが、
あなたのものではないのです。
子どもに愛を注ぐがよい。でも考えは別です。
子どもには子どもの考えがあるからです。
 
あなたの家に子どもを住まわせるがよい。でも魂は別です。
子どもの魂は明日の家に住んでいて、
あなたは夢のなかにでも、そこには立ち入れないのです。 

あなたは弓です。
その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。
射手は無窮の道程にある的を見ながら、
力強くあなたを引きしぼるのです 。
かれの矢が遠く遠くに飛んで行くために。

■ネコパパ感想

村中さんの話は、後に行くほど中身が濃くなって、しかも会場に参加を求めるものだから、メモも追いつきません。
でも、ところと゜ころにどきっとさせられたり、はっとしたり…
村中さん自身がくり返し話されるように、「体から発する力」、声、動き、イントネーションに会場との機敏なやり取り…のトータルとして、すっかり説得されてしまうような講演会だったと思います。
とくに「子どもには前座なんてないんです」の言葉には突かれました。
5歳の子どもたちの絵本からは、前座も伏線もない瞬間の本気が宿っている。
「お母さん」と思ってしまったネコパパ、かなり劣化していますね。子ども感覚が…反省しました。










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コメント

コメント(4)
No title
子供には前座などない。子供には子供の考えがある。
ふむふむ。おお!そうだ。と改めて感じる内容でした。
肝に銘じておかないと。
上手く言えないけれど絵本に触れると
オトナである私は「余計なねらい」を意識しがち。
オツムがカチカチだわ。

ユキ

2017/08/31 URL 編集返信

No title
> ユキさん
62歳ですが中身は子どもと自負しているネコパパも、いつの間にやら老化・硬直していた、と思い知らされました。長年の教員生活で染み付いたものがあるのかもしれません。お話を聞いて、せめて気持ちだけでも若返りたいと思いました。

yositaka

2017/08/31 URL 編集返信

No title
確かにそうですね…(私も『お母さん!』と答えてしまいました😆)
子ども達と絵本を読んでいて全く違う発想をする子どもさんに出会った時、抱きしめたくなります。『この子のお母さんはどなたですか!?』と当たりをキョロキョロしてしまいます。日々、素敵な関わりをされてるのでしょう、お友達になりたくなります😊
カラダもこころも、カチカチはいけませんね……

たけながゆり

2019/05/10 URL 編集返信

No title
> たけながゆりさん
ようこそ、コメントありがとうございます。
子どもの視点に感動できる大人でありたいといつも思っていますが、なかなか教員目線が抜けないのが辛いところです。時々は村中さんのようなお話を聞いたり、読んだりして刺激をうけなければと思っています。
子どもに本を読む機会があったら、けっして逃さないようにしています。たとえ突然でも、練習なしでも。本気の反応がたまらないのです。

yositaka

2019/05/10 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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